第8話 燐介、リンカーンから感謝される
フィラデルフィアで一晩を過ごして、翌日の午前中にワシントンまで到着した。
リーの部隊がこの近くまで攻め込んできたという話もあるが、ホワイトハウス周辺は平穏だ。海軍服を着たファラガットとデューイには歓迎するような声も飛んでいる。
ホワイトハウスに着き、ファラガットが「大統領に会いたい」と言った。出て来たのは国務長官のウィリアム・スワードだ。
大統領選挙では共和党の有力候補だったが、敗れてしまった男だ。
「代将、大統領は忙しいのだ。いきなり来て会わせてくれと言われても……。うん?」
スワードと目が合った。
「こっちへ来たまえ」
あれ、何か急に対応が変わったぞ?
ホワイトハウスのオーバルルーム、大統領の執務室に案内される。
部屋に入ると、リンカーンしかいなかった。
「おぉ、リンスケじゃないか!」
両手をあげて、俺に近づいてきた。そのまま俺の両手をとる。
正直、びっくりするくらいの歓待だ。知らない間柄ではないし、門前払いはないだろうと思ったが、まさかの両手での握手である。
「あ、大統領。ファラガット代将が」
ここに連れてきたのはファラガットであるので、彼の復帰の要件を先に済ませようとして視線を彼の方に向けた。リンカーンもつられて見た。
「代将、30分待ってくれないか。私は先にリンスケと話をしなければならないのだ」
「ハハッ!」
ファラガットもデューイも敬礼だ。
どちらも海軍のエリートだが、彼らの指揮官は大統領ということになる。だから、大統領が待てというのなら、待つしかない。
それは分かっているが、彼らより俺を優先する理由というのは何なのだ?
スワードも出て行ったので、リンカーンと二人きりになった。
「リンスケ、君には本当に助けられている。感謝しているよ」
「……何のこと?」
いきなり頭を下げられても、俺には何のことだかさっぱり分からない。
「君がイギリスを合衆国寄りにしてくれているおかげで、我々のオフィスの負担はとてつもなく軽減されている」
あぁ、イギリスとの件か。
それは多少貢献しているのだろうけれど、ここまで感謝されることなのかな?
「とてつもない貢献だよ。私はアメリカの外に出たことがない。イギリスの外交官だって私のことなんか知らないだろう。『エイブラム・リンカーン』なんて呼んでいるかもしれない」
そういえば、大統領選初期は知名度の無さで、そう呼ばれていたなんて話もあったな。
「外交に関しては、スワードに任せるしかないのだが、彼は急進派として生きてきた男だ。イギリスやフランスとの折衝は不安でならない。南部の側も、この点では大きくは変わらないと思うが、我々のスタッフに外交音痴が多いのは本当に気がかりだった。外務大臣のジョン・ラッセルは南部寄りだとも聞いていたしね」
そうなのか。
そんな話は全然知らなかったな。
俺はそこまで「合衆国! 合衆国!」って叫んでいたわけではないが、結構効いていたのかね。
確かにアメリカには気軽にラッセルに会いに行ける者はいないだろうし。
「そのおかげで、私もラッセルも目の前のことに集中できているし、イギリスとフランスが連合国側に回る心配もしなくて済んだ」
「それは良かったよ」
ということは、俺がいなかったとしたら、イギリスやフランスとの交渉には苦労していたのかな。フランスはメキシコにも攻め込んでいるから、この点でもアメリカと利害が重なりまくっているし。
そこは分からないけど、戦況は相当良いようだった。
「はっきり言うと、懸念があるのは陸側の司令官だけだ。やはりロバート・リーは強敵だからね。彼が私の説得に応じず、連合国に行ってしまったのは本当に痛い」
そこからしばらく、陸軍司令官に対する愚痴が始まった。特にリーと相対している連中には口さがない。
マクダウェル、スコット、マクレランといった名前を出しては、「ダメだ、ダメすぎる」と頭を振っている。
「……俺には分からないけど、リー将軍が強いから苦戦するのは仕方ないんじゃないかな?」
「それは分かる。しかし、合衆国は多くの面で有利なのに、彼らはいつも期待を裏切ってくれる」
困ったなぁ。
史実では確かグラントが合衆国の司令官として活躍したはずだったけど。
「グラントはどうなの?」
「グラント?」
リンカーンは一瞬虚をつかれたような様子で、しばらく考えてから。
「あぁ、ユリシーズ・グラントか。そういえば、彼は問題もあるが優秀な指揮官だという話を誰かがしていたな。ふむ……」
リンカーンは真面目に考えだす。
しまった。ちょっと言い過ぎてしまったかな……
「一晩考えてみよう」
「陸は考えてもらうとして、水軍のファラガット代将も」
「おぉ、そうだったね。よし、ファラガットを連れてきてくれ」
リンカーンとの話は終わった。
奴隷解放宣言の話をするのは忘れてしまったが、グラントの話題をして、更にその話まですると、俺が予言者みたいに思われるかもしれないから、ここはやめておこう。
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