第5話 勝海舟、勝負に出る②
勝海舟は長い生涯において円滑な人間関係を築くことが少なく、頻繁に対立したり、閑職に追いやられたりしていた。
しかし、現在の将軍・徳川家茂とは総じてうまくいっていた。
だから、勝は将軍のために出来るだけのことをする、と決めたようだ。
そこまで覚悟を固めたのであれば、私も協力せざるを得ない。
「……まず、人事案を要求してくるでしょう」
安政の大獄から既に三年経過しているが、まだ当時の状況を引きずっている。
井伊直弼と対立して登城し、処分を食らった一橋慶喜、松平慶永、徳川斉昭は幕政から遠ざけられたままだ。
「越前公と一橋公は仕方ないだろうな」
「あとは島津をはじめとした雄藩大名を幕政に参加させるかどうかという点も議論になるかもしれません」
「そいつはまずいな……。それは何とか断りたい」
勝の意見は当然だろう。
ただ、この時、私の中に閃くものがあった。
「……いえ、参事役として入れた方が良いかもしれません。加賀、薩摩、肥前については」
「何故だ?」
「……それは。もし、聞くと、いざという時にまずいことになるかもしれませんので、内密にしておいた方が良いかと思います」
私の答えに、勝は露骨に不愉快な顔をし、至近距離まで近づけてきた。
距離にしてほぼ20センチ。アラブ人ならこの距離でまくしたて合うこともあるらしいが、他の人種ならまず間違いなく相手に喧嘩を売る距離だ。日本人とて例外ではない。
「……一太ぁ、何かあった時、腹を切るのは俺だ。それでも言えねえっていうのか?」
「はい」
「……チッ。何かあったら、一緒に腹を切れよ」
勝はそう言って引き下がった。
「次に、制度改革も求めてくるでしょう。この緊急時ですので、参勤交代を今までの頻度で行わせるわけにはいかない、と」
「あぁ、そいつは皆が思っていることだろうな。やむを得ない」
「また、これまで以上に列強のことを研究すべきです。下級旗本を中心にヨーロッパに派遣すべきです」
「そいつも問題ない。むしろ提案したかったぐれえだ。一太、あいつはどうにかならんか?」
「あいつと言いますと?」
「アメリカにいた奴だよ。燐介って言ったかな」
「燐介ですか」
「そうだ。あいつを国内に戻して、ヨーロッパのことを色々説明させるというのはどうだ?」
「確かに、幕府側の切り札として使えるかもしれませんね」
とはいえ、燐介は幕末政治には興味がない。
明治維新までそのまま進んでしまえば良い、と思っていそうだ。
燐介の存在は切り札として使いうるのも確かだが、期待しすぎるのはまずいように思えた。
「次回、ヨーロッパに派遣される者に、燐介の下に行かせることにしましょう」
「そうだな。他には?」
「あとは京ですね。京はあまりにも不穏過ぎます」
「京都所司代だけではダメだということか」
「そうなりますね」
「……しかし、送る奴がいねぇ」
勝は弱音を吐いた。
この弱音はもっともだ。
現時点の京に踏み込んで、治安の問題を解決するというのは至難の業だ。
実際、史実では最後まで成し遂げることができなかったのであるから。
治安維持のための兵士を雇うのも手弁当となりかねないし、尊王攘夷派からは目の敵にされる。まさに火中の栗を拾いに行くようなものだ。
誰が好き好んでやるというのか。
勝でなくても、そういう懸念を持つのはもちろんのことだ。将軍が「京の治安を維持してくれ」と頼んで、断られた場合、将軍の権威がまたまた下がってしまう。
しかし。
「いるではありませんか。徳川宗家にどこまでも従うという家が」
私が言うと、勝は少し考えて、険しい視線になった。
「……会津か。しかし、容保公も若いが……」
新撰組で戦った隊士達と比べると、松平容保は個人の印象が薄い。
勝が言うように、彼は若い。近藤や土方よりも年下だ。
「とはいえ、引き受けてくれる者は他にはいません。それに会津中将様はあくまで名目上の京の管理人。実際には他の補佐役を送ればいいでしょう」
「誰を送るんだ?」
「……それはこれから選抜することになりますが」
「近藤と沖田か?」
「……有力でしょうね」
史実でも組んだわけだから、そうなるのが自然な流れではある。
ただし、史実では清河八郎が提唱して、その下に近藤が集まったという流れだが、今回、勝は直接に近藤を名指ししている。
それだけ、史実よりも試衛館組の働きが大きいということだろう。
「あとは、上様が京に行くことも要請されるでしょう」
「……そいつは、前向きな返答をしつつなるべく留保としたいところだな」
勝の肚は決まったようだ。
「よし、一太。上様のところへ行くぞ」
「分かりました」
二人並ぶ形でそのまま、将軍のところへと向かうこととなった。
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