第4話 勝海舟、勝負に出る①
横浜を出た私と土方は、六月の声を聴く頃に江戸に戻ることになった。
江戸では、既に京の出来事が伝わっていて、島津久光が江戸にもやってくるようだということで大騒ぎになっている。
江戸城内も同じだった。
帰国報告を兼ねて城に出仕し、廊下を歩いていると、いつものように勝海舟と出くわした。
今回、反応がいつもと全く違う。
彼は「おぉ!?」と声をあげると、ギリギリ走らない速度で近づいてきて、私の胸倉をつかんだのである。
「一太、おまえ、ようやく戻ってきたのか!? 京に行っていたんだよな? 一体全体どうなっているんだ!?」
いつでも鷹揚としている勝海舟だ。
それがここまで迫りくるのだから、私も完全に面食らった。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ。ほら、池でも眺めながら」
私の提案に、勝はジロッと睨みつけるような視線を向けたが、ひとまず付き合ってくれる。
「一太はいつだって何だって他人事って風采だ。頼もしい時もあるが、今は嫌んなるねぇ」
「すみませんね、こういう性格なものでして」
「で、どうなんだ? 京は? 島津は?」
「ですので、慌てないでくださいよ。そもそも、島津公も幕府と考えを同じにしているのです。公武合体を目指しているわけです」
島津が押しかけてくるということで大慌てなのは分かるが、逆に考えれば幕府の協力を求めているからこそ押しかけてくるのである。
「島津に倒幕の意思があるのなら、京から引き揚げていきますよ。来るのは良いことなのです」
幕府開府初めての事態に皆が動転するのは仕方ないが、この点を改めて理解してもらう必要がある。島津に余計な敵意をもつのは良くない。
勝は多少冷静さを取り戻したようだが、それでも納得はしない。
「そうは言うが一太よ。島津公相手に上様が後ずさるところがあれば、それは世評として非常にまずい。そうでなくても上様より帝の方が上だと思われているわけなのに」
「……それは確かに」
これは幕臣なら誰もが危惧しているところだろう。
少なくとも室町時代以降は「将軍>帝」であった。それがこの数年で逆転の兆しを見せている。
和宮の降嫁にしても、降嫁と言いつつ婚儀の時は和宮の方が格上とされていた。つまり、公式に幕府は「帝が上です」と認めてしまったわけだ。
尊王攘夷派には当然のことであろうが、逆に幕府が絶対と考えていた者もいた。そういう者にはショックだったに違いない。
そこに島津久光である。
そうでなくても日本第二の大名であるうえ、朝廷の後ろ盾まで得ている。
帝相手ならぎりぎり許せても、島津久光相手にまで臆したところを見せれば、将軍の権威が一気に崩れ落ちてしまう可能性がある。
「下手すりゃ、将軍を変えろって話になる」
勝海舟の最大の心配はそこにあるようだった。
これは私がうっかりしていたところでもある。
当然だが、歴史を知るものとして、将軍・家茂の地位は浮き沈みするが、例えば将軍剥奪とかそういう事態にならないことは知っている。
しかし、それを知らない幕臣にとっては落ち着いていられることではない。
「ひょっとしたら、将軍が変わってしまったり、将軍位そのものがなくなってしまったりするのではないか」という考えになっても不思議はないのだ。
「何か良い方法はねえか、一太。そのために見て回ったんだろう?」
「いや、私に聞かれましても」
私にできるのはせいぜい提案であるが、幕府対島津となると提案できることなど何もない。
しかし、勝は必死である。
「いいや、おまえさんなら何か良い方法があるに違いない。それを何だか知らないが隠し持っている!」
「そんなことはないですよ」
何とかかわしたいのだが、勝は完全にヒートアップしている。
最低でも提案の一つでも出さないことには、解放されそうにない。
「……京での噂なども含めて、島津公が提案してきそうなことは分かります。先手を打ってこちらから実行するべきではないでしょうか?」
島津久光は、朝廷から「幕府に一言言ってこい」と言われて、江戸に向かってきている。その中には改革のための計画がある。
これを島津側から提示されて幕府が飲んだので権威低下につながるのである。
なので、島津久光から言われる前に幕府が先に実行してしまえばいい。こうすれば、少なくとも「島津の要求に屈して改革をした」という事実は弱まる。
実際にはそれほど変わるものではないが、こうした形式というものも大切である。
とはいえ、口で言って簡単にできるようなら苦労はしない。
そもそも、今回島津久光が持ってくる話の半分くらいは、そもそも言われる前からやりたかったことである。単に反対派がうるさいからできなかっただけのことだ。
これらについては、朝廷と島津の圧力があって初めて出来ることもあるのである。
それを今、無理にやるとなれば、当然、軋轢が生まれる。それは実行者の方にしわ寄せとなって現れることになる。
更に島津久光の立場もある。
朝廷からの意見を携えて意気揚々と乗り込んだら、幕府が先手を打ったとなると、これまた恨みを買うことになりかねない。もちろん将軍に文句を言うことはないだろうが、実行者に恨みを抱くのは間違いない。
つまり、今、改革を実行するとなると、大勢の者に嫌われることになる。
「相当な泥をかぶることになりますよ。それでも良いのですか?」
下手をすれば命を狙われかねないことである。
勝は即答した。
「当然よ。今、動かないなら、一生動かねえのと同じだ」
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