第19話 西郷、長州藩邸を訪ねる②
桂とともに客間に移動し、私は隣の部屋を開け、そこに別の長州藩士とともに待機した。その部屋の後ろの廊下に土方がこっそりとついてきているが、特に誰も文句は言わないようだ。
程なく、久坂が大男を連れてくる。
(やはり西郷か)
薩摩というと
西郷、大久保、あとは
安政の大獄の頃は、京で尊王攘夷活動をしていたはずの西郷であるが、長州藩士の様子を見ると、あまり見知っている者はいないらしい。
当時は島津斉彬の側近として活動していたのであるから、若い面々には分からないのかもしれない。
「お初にお目にかかり申す。拙者、薩摩の西郷隆盛と申す」
正面にどっかと座り、桂に頭を下げて挨拶をした。
「長州の桂小五郎です」
「早速だが用件を申させていただく。今後、数日、いや、十数日になるかもしれませんが、長州藩の方で、薩摩のことに口出しをしないでいただきたい」
「……それはどういう意味でしょうか?」
桂は見事にすっとぼけてみせた。
西郷は全く動じない。
「……薩摩のことは薩摩で片付けさせていただく所存にござる。もし、余計なことをする者があれば、薩摩の者として処置させていただくことがあり申すこと、ご理解いただきたい」
要は、寺田屋に長州藩士がいれば、薩摩の尊王攘夷派として斬ることがありうるので、近づけるな。
警告はしたぞ、ということだろう。
久坂をはじめ、周りにいる者が一気に色めいた。殺気のボルテージが上がっていく。
桂はそれらをじろっと眺め渡した。「軽はずみなことをするな」という視線だ。
「つまり、西郷先生は長州がいると邪魔とおっしゃりたいのかな?」
「そういうわけではない。この後、向こうにある土佐の屋敷にも行くつもりだ」
長州もそうだが、土佐もかなり尊王攘夷が激しいところである。確か、史実通りならこの頃には武市半平太が土佐勤王党を立ち上げているはずだ。
西郷は顔を左右に動かした。周りの面々に険しい視線を向ける。
桂は西郷の意図を察知したようだ。「君達、下がっているように」と指示を出した。
ここでは私もお邪魔虫だろう。廊下へと下がろうとしたが。
「あいや、そこの御仁は残られよ」
「……!?」
他ならぬ西郷から制止を受けてしまった。
「桂先生と、そこな者のみ聞いていただきたい」
他の者は話すに値しない。
そう言わんばかりの態度に久坂がまた殺気立つが、桂が「久坂君」と声をかけると我に返ったようで、無念そうに下がっていく。
部屋には桂、西郷、私の三人が残された。
「大坂でお会い申したな」
「そうですね」
「わしは目立つ男じゃ。注目を浴びるのは理解できる。しかし、正助がわしを呼んだ時、おまえの視線は明らかに変わった。だから、別の者に命じて京までつけさせた」
「えっ、そうだったんですか?」
私は驚き、同時に桂が「山口先生、頼みますよ」と肩を落とす。
「お主の面体を、薩摩の面々に聞いたが誰も知らぬという。長州の屋敷に出入りしているならば、誰かしら知っている者がいて不思議ではないはずなのに、だ。まことに奇怪な御仁がいたものだ」
「恐れ入ります」
「……まあ、それはよい。わしは前主に側近として仕えていた。その経験から言うが、久光公はダメじゃ。皆が島津に期待していることは知っておるが、あの方はそうした期待に応えられる方ではあり申さん」
「ふむ……」
「一言で言うなら、あの方と共に大望を抱いているのなら、悪いことは言わん。お止めなされ。今はその時ではない。時が巡るのを待つしかない」
西郷はそう言って、ハッハッハと笑う。
「かく言うわしもその一人じゃ。下関に待機しているよう言われたが、ここまで来てしもうた。国に戻れば、また流刑になろう」
正確なところまでは覚えていないが、西郷は島津斉彬の側近として活躍していて、斉彬の弟・久光にはかなり低い評価をしていたようだ。
それは久光にも伝わっていたようで、この二人は犬猿の仲だったとも言う。
西郷の赦免を認めた時に、噛んでいた煙管には悔しさを示すような噛み痕が残っていたという話だ。
「つまり、島津公には期待するな、ということですか?」
「そういうことですわい。もちろん、わしの言うことが信じられんというのなら、好き勝手してもらって構わんが……」
「まさか。この緊張感高まる中で、わざわざここまで来て忠告いただいたのですから、有難く聞き受けることとしますよ」
桂も多少余裕を見せる。
「有難い。変わりに京では好きにしてくれい。久光公が立ち退かれた後は、薩摩は歯抜けになるじゃろう」
「承知しました」
桂が答えると、西郷はにっこりと笑った。
元々美男ということもあり、いい笑顔だ。
「それでは、失礼しました」
ぺこりと巨体の頭を下げると、立ち上がって玄関へと歩き始めた。桂が慌てて立ち上がり、見送りに向かう。私も付き添った。
「それでは、また、時が参りましたら」
西郷は玄関でも頭を下げて出て行った。
また、時が参りましたら……いずれ桂とも会うことになるとの示唆だ。
彼はこれから先のことを知っているのだろうか。
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