第17話 一太、大坂で残る三傑と会う
長州藩邸にしばらく滞在していたが、さすがに同じ建物の中に何日もい続けると気が滅入ってくる。
私も退屈だが、もっと酷いのが土方で、昨日などは壁に向かって会話をしていた。
かなり精神に来ているようだ。
京は危ない、ということなので大坂に出向いていいだろうかと桂に提案した。
「そうですね。土方先生は見るからに悶々としているようで、外出した方がいいかもしれません。そうだな……」
桂は近くにいた若い衆を二人呼んだ。
「二人を大坂まで案内してあげてほしい。必ず共についていなさい」
「分かりました」
共についていなさい、ということは土方が遊郭などに入ることはできない、ということだ。
とはいえ、外に出られるだけで充分だろう。
かくして、私達は長州藩の二人に連れられて大坂までやってきた。
さすがに商業の中心というだけあって、川を行きかう船の数も多く、店も人も繁盛している。ピリピリした空気の漂う京都とは全く違う雰囲気がそこにあった。
土方も「すげえなあ、大坂は」と感心しながら店や通りを眺めている。
「お、一太、見ろよ。相撲取りもいるぞ」
土方が袖を引っ張って、道の端にいる大男を指さした。
「大坂も相撲がありますからね」
幕末以降、東京の方に有力力士が流れてしまったという話があるが、かねてから相撲は江戸と大坂の二か所で開かれていた。もっとも、土方と相撲取りとなると、芹沢鴨が力士と喧嘩をして斬り殺したという不祥事の方が頭に出て来るが。
「中々、男前な力士だな」
幕末きっての美男子と知られる土方が「男前」と他人をほめるのは中々新鮮だが、確かに力士にしておくには勿体ない美男子ではある。歳は三十くらいのようだが、大きな目が輝いていて、少年のような魅力を感じさせる男であった。
その後、大坂城を見て、更に町を回った後、戻ってくる。
「お、あいつ、まだいるじゃねえか」
「土方さん、あの力士が気になるんですか?」
茶化して言うと、土方は「そんなんじゃねえよ」と不機嫌に答える。
「そんなじゃねえよ。ただ、目立つから気になるだけだ」
「それはそうですが」
力士なら、どこかで修行でもしているか、力士仲間と街を練り歩いているイメージだ。
ただ、あの男は通りの端で、誰かを待っているかのようである。
力士のイメージとは似つかない行動であるのは間違いない。
そう考えていると、力士の方がこちらに近づいてきた。
「わしに、何か?」
ドスの利いた声で問いかけてきた。
土方はムッとした顔をしたが、若い長州藩士が「荒事はやめてくださいよ」とばかりに引っ張ったので、トーンダウンした。
「いや、立派な力士さんが、ずっと待ちぼうけをくらっていて、何をしているんだろうなと思ってさ」
彼がそう答えると、力士は一瞬面食らった顔をした。しばらくして「あぁ」と頷く。
「わしは力士ではござらん」
「そうなのか。見栄えは大関のようで、体格もいいのに」
「体格が良いとはよく言われる。ただ、力士ではない」
「何度も言わなくてもいいよ」
見た目は端麗で、洒落た服装をしているが、口調はどこか訥々としていて、話ぶりもぎこちない。こういう言い方は良くないかもしれないが、ちょっと頭の回転が鈍いのかもしれないと考えてしまった。土方も同じことを考えたようで、面倒くさいとばかりに話を打ち切って離れようとする。
「行こうぜ」
土方がそう言った瞬間、通りの向こうから、これまた長身の男が駆けて来た。
「吉之助! そこにおったのか」
叫んだ途端、吉之助と呼ばれた力士が唇に手をあてた。「黙らんか!」という心の声が伝わってくる。
「あ、すまん。ついやってもうた」
と答えた男の話ぶりは、ちょっとしたイベントやテレビ番組で聞く薩摩訛りだ。
「それより、ダメじゃ。京はダメじゃ」
「だから往来で言うな、正助」
「おい、どうしたんだ。一太?」
立ち止まって二人の会話を聞いていた私に、土方がけげんな視線を向ける。
「いや、何でもないですよ」
そう答えて、土方の方に駆けだす。
その瞬間、力士がこちらに向けていた緊張が解けたかのように感じたのは錯覚だろうか。
いや、恐らくものすごい警戒心を向けられていたはずだ。
彼の警戒心は相当なものがある。
後に伝わる写真を一枚も残していないような男なのだから。
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