第16話 一太、島津久光の上洛を待つ②
私と土方は、長州の浪士に囲まれる形で、川を渡ったところにある長州藩邸まで連れていかれた。
「しかし、一体どこで寺田屋に薩摩の藩士がいることを知ったのでしょうね?」
桂が痛い指摘をしてくるが、こちらを向いているわけではなく独り言のように呟いているから、回答は求めていないのだろう。
中に入ると、桂より更に長身の男がいた。見るからに精悍な顔つきに見覚えがある。
「桂先生、その者は?」
「播磨の山口先生ですよ、久坂君」
「何!?」
久坂玄瑞が立ち上がり、近づいてきた。
胡散臭そうな視線で私と土方を交互に見比べる。
「こやつが、松陰先生が後事を託したという……?」
「そうですよ」
「ということは島津公……」
とまで言ったところで、桂が制するように右手を向けた。
「久坂君、余計なことを話すのはいかがなものか?」
「おっと……失礼しました」
「山口先生のことは私に任せてほしい。久坂君は自分のことをやってください」
「分かりました」
何か言いたそうではあったが、目上の桂には逆らえないのだろう。「御所近辺まで行ってきます」と言って玄関へと向かった。途中、私達の横を通るが、その際も探るような視線を向けている。
桂が溜息をついた。
「彼は気が強いんですよ。それが良くもあり、悪くもあり……」
「承知しております。しかし、桂先生には刃向かえないようだ」
「現状、私がいなければ長井を追い落とすことはできないでしょうからね。まあ、どうぞ。茶くらいは出しますよ」
奥の部屋まで土方とともに案内された。
「こんなに奥まで押し込まれたら、どうあがいても逃げられねえなぁ」
土方が参ったとばかり笑っている。
奥の部屋に座ると、桂は長州の状況について話を始めた。
「現在、何人かをイギリスに派遣する用意を進めています。その際、できれば彼の手助けも借りたい」
「宮地燐介ですか」
イギリスに行くなら、燐の存在はあまりにも大きい。
桂でなくても、頼りにしたくなるだろう。
「そうです。派遣するのは半年後か、あるいは一年後か。まだ分かりませんが、ね。その頃、果たして長州や京はどうなっているのか……」
腕組みをしながら、色々と考えているようだ。
長井の話をしていたので、聞いてみることにした。
「先ほど、長井を追い落とすとおっしゃっていましたが?」
「……言うまでもありませんが、彼の策は単なるその場しのぎであり、あまりに現実を理解しておりません」
「左様ですな」
「現状の秩序を維持したまま、日ノ本がイギリスやフランスのようになることはありえないでしょう。彼の考え方はその点で根本から違います。とはいえ当分は長井を上に置くしかないという現実もあります」
桂は渋い顔をする。
「現状の秩序を覆すということは、生半可なことではありません。吉田先生が万いればできるかもしれませんが、中々難しい。しかし、ここに来て島津公が上洛するという話が出てきました。薩摩が尊王攘夷の先頭を走ってくれると有難いのですが」
島津久光の上洛の意図は明らかにされていないが、京都の尊王攘夷派は、彼が自分達を味方するために上洛してきたのだと信じている。恐らく久坂らもそうなのだろう。
一方、桂の見方はどうやら違うようだ。
薩摩を尊王攘夷の先鋒として走らせ、できれば痛い目を見てほしいと思っている。実際、薩摩は薩英戦争で痛い思いをすることになるので間違ってはいない。
薩摩が痛い目を見て、開国倒幕へと方針を変えれば、そのタイミングで桂は長州も同じ方向に舵を切るつもりなのだろう。そこまでは長州は後方待機でなるべく人材や力を蓄えようという腹積もりだ。
ただし、この期待は裏切られることになる。
島津久光の真意は分からないが、この時点での彼は公武合体に前向きで、尊王攘夷派を弾圧することになるからだ。
この部分を桂は予想しているのだろうか?
「桂先生、薩摩がすぐに尊王攘夷に動かない場合はどうしますか?」
「……」
桂は、私の目を見た。その表情に「やはりか」というものが浮かぶ。
「薩摩が動かないとなれば、京にいる尊王攘夷派は長州に期待するしかなくなるでしょうし、久坂君達もそれに応えるでしょう。それが吉田先生の教えでもありますし」
大きな溜息をついた。
その先がどうなるか、大体分かっているということなのだろう。
実際、長州は先頭に立った。
しかし、その結果は八月十八日の政変、池田屋事件、禁門の変、長州征伐とまさしく敗戦の連続と言っていい。その過程で久坂や入江ら多くの者が死んでいくことになった。
「……やむをえないことではありますが、私達が一番痛い目を見ることになるのでしょうね」
「……傷つくことにはなるでしょうね。しかし、長州が新しい秩序を最初に見つけるチャンスを得ることもできるかもしれません」
再度、桂は私の目を見た。先ほどと異なり、はっきりとした感情は現れていない。
「山口先生がそう言うのならば、それは朗報ではあります。ただ、その過程で多くの者が死んでいくのでしょう。私の知っている者も多く……、それは辛い。ただ、山口先生が言うからには、覚悟しておくべきなのでしょうね」
桂は腕組みをして、しばし目を閉じた。
沈黙が、部屋を支配した。
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