第9話 燐介、パリで駐仏プロイセン大使の訪問を受ける

 それから5月まではバタバタとした日々が過ぎた。


 皆は練習に余念がなく(あれ以上怖いものにしてどうするつもりなのだろうか?)、俺はフランス行きの準備で忙しい。今回はバーティーもついてくるというので、各所に予定を合わせないといけない。


 あっという間に万国博覧会の開幕、5月1日がやってきた。


 ヴィクトリア女王が高らかに開会を宣言し、居合わせた各国の貴族らしい者達から拍手が送られる。

 俺もその場には居合わせているが、日本の展示がどうなっているのか気になって仕方がない。自由時間になると、すぐに駆けだした。


 少し近づいただけで、「オー!」とか「キャー!」とかいう悲鳴が聞こえてきた。

 万国博覧会で、悲鳴が聞こえてくる展示なんて、どのくらいあるんだろうか?


 駆けつけると、ちょうど劇が終わったところらしい。

 ゾロゾロと親子連れや英国紳士と言った面々が出て来る。蒼ざめている者もいるが、七割くらいは「良いものを見た」という満足げな顔をしていた。


 オールコックが置いている彼の収集品についても概ね反応は良好だ。皿を見て、「これがジャパニズムか!」などと大袈裟に驚いている紳士がいるが、彼の中ではどういう日本像が出来ているのだろうか。


 しばらく様子を眺めていると、全員が着替えてゾロゾロと出て来た。日本のところでは二日に一回、午前は『皿屋敷』をやり、午後は地元の演劇団も加えて『忠臣蔵』をやるらしい。

「おや、燐介。どうしたのだ?」

 諭吉も含めて、全員、観衆の反応が上々だったので機嫌が良さそうだ。

「いや、反応が良かったようで何よりだよ」

「それはオールコック氏が絶賛していたからな。成功間違いなしと。拙者とイネ殿は悪役だが、佐那と琴はますます人気を博すだろう」


 ちなみに配役としては、諭吉が主人役、イネさんが主人の奥方役だ。

 菊役の佐那が皿を割り、諭吉とイネさんに責められて井戸に身を投げて、夜な夜な「一枚、二枚~」と呪っていく。この話を聞いた琴さん演じる修験者が浄化してめでたしめでたしとなるわけだ。


「おまえも早くプロポーズをしないと、英国貴族にでも取られてしまうかもしれないぞ」

「そもそもそういうのじゃないから。佐那には坂本龍馬という婚約者もいるから、浮気はないと思うよ」

 佐那は史実ではずっと独身だったし身持ちは固いはず、と思う。

 ただ、史実の彼女はほぼ家の中にいただろうからなぁ。ロンドンでみんなにちやほやされることで、気が変わる可能性もあるのかもしれないなぁ。


「……私が何か?」

「うわあ!」

 突然背後から佐那の声が聞こえて、思わず飛びのきそうになった。

 ずっとお菊役をやっているせいか、いつも以上に声が震えて不気味な感がある。

 要は、佐那はいつだって怖い。


 話を誤魔化しつつ、15日からパリに行く旨を伝えた。

「みんなはロンドンに残るからしばらくの別れだけど、バーティーと一緒だから、問題はないと思うよ」

 佐那がジト目を向けてくる。

「殿下と一緒というのが、かえって危険な気が……」

「そうか? 英国王子を狙うほど、フランスの情勢は危なくないと思うぞ」

「……そういう意味ではなく」

 佐那が不満げなところに、琴さんが現れた。あっけらかんとした様子で。

「もし燐介が不埒なことをしていたなら、ロンドンに戻った後、井戸に放り込めばいいよ」

 と物騒極まりないことを言う。

「左様ですね」

 左様ですね、じゃないよ。


 そんなやりとりもありつつ、5月15日には船でパリへと向かう。

「パリジェンヌを5人くらいはゲットするぞ~!」

 船上でバーティーが叫んでいる。

 おまえ、アレクサンドラ・オブ・デンマークとの婚約話が上がっているのに、何を言っているんだ……。

「だからこそ、結婚前までにやれることはやらないと!」

「はぁ……」

 この時点で、俺は佐那と琴さんが言っていた「殿下といる方が危険」の真意を理解した。いや、もっと早く理解すべきだったのかもしれないが。


 バーティーに振り回されつつも、パリまでの道は順調だった。

 大使館宿舎につき、のんびりしていると、大使館の職員が入ってくる。

「ミスター・リンスケ。プロイセン大使が話をしたいと言っているのですが」

「プロイセン大使?」

 一体誰だよ、そんな奴は知らないぞ。

 とは思ったのだが、ギリシャ首相の件はさておき、プロイセンやロシアとも関係を作っておけと言われていたことはある。完全無視は良くない態度なのだろう。

「応接室で話せばいいんじゃないか?」

 バーティーが指さした。

 まあ、それが無難だろう。応接室に案内してもらうように頼んで、先に移動しておいた。しかし、俺の用というのは何なのだろう?


 しばらくすると扉が開いて、いかめしいオッサンが入ってきた。

 俺を見て「ほほう」と何か感心している様子だ。

「なるほど。傍目には似ているが、ヘル・ヤマグチとは大分印象が違うな」

 流ちょうな英語だったが、それ以上に山口の名前に驚いた。

「山口を知っているのか?」

「ああ、サンクト・ペテルブルクでは彼に色々教えてもらったよ。私も昨日フランス大使に着任したばかりでね。まずフランス、次にイギリスに挨拶に行こうと思ったら、イギリス大使館に日本人がいるというじゃないか。これはヤマグチに作った貸しを返してもらわないと、と思ってね」

「山口に作った貸し?」

「彼はいきなり私のところに押しかけてきてこう脅してきたのだよ。自分のことを覚えておけ、自分を怒らせるとプロイセンは損をするとね。だから、その仕返しに来た」

「はぁ……」

 何だかよく分からないが、山口がこの男のところにいきなり押しかけて、何か話をしていったらしい。

「ヘル・ミヤチ。このオットー・フォン・ビスマルクの顔をよく覚えておくといい。私を怒らせると、後々色々災いをなすだろう」

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