第8話 燐介、再度フランス行き案件を抱える

 気が遠くなっていたのは、時間にして数分か十数分か。

 次に見た時には、琴さんとイネさんがバツの悪い顔で俺を見下ろしていた。

 隣では泡を吹いたバーティーがまだ寝ている。

「そこまでしなくていいと言ったんだけどねぇ。佐那は手抜きをしないから」

「手抜きというか、何というか、皿屋敷の菊は井戸に放り込まれたんじゃなかったのか? 何で頭が血塗れになっているんだ?」

「佐那の解釈では、空井戸に放り込まれて頭が割れて死んだんだということになっている」

 勝手な解釈を入れるなよ。

 あの傷口だと、婚約者の坂本龍馬の死にざまに近くなってしまうぞ。


 完全に任せてしまおうと思ったが、果たして万国博覧会でこういうことをやってしまってもいいのだろうか? 「日本ってどんなところ?」と無邪気に見に来た面々をことごとく泣かせてしまうかもしれない。

「一応、オールコックさんに見てもらった方がいいんじゃないか?」

 俺の提案に、琴さんもイネさんも頷いた。

 やる気があるのはいいことだが、ちょっと方向性が違うような感がある。


 オールコックを呼びに行こうとしたところ、ちょうど向こうからやってきた。

「やあ、燐介。外務大臣が来てほしいと言っていたよ」

「外務大臣……?」

 ジョン・ラッセルからのお呼び出しのようだ。

 一体、何だろう?

 今度こそギリシャの件だろうか。


「博覧会の準備は順調かね?」

 ラッセルを尋ねると、まずは万博のことを聞かれた。

「オールコックさんが展示物を持ってきてくれたので、最低限の体裁は整っています。催し物については正直何とも言えませんが」

「それは何より」

 と言って、珍しく煙草に手を伸ばす。

「万博が始まってしばらくしたら、フランスに行ってもらいたい」

「フランスに?」

「そうだ。昨年、イギリス、フランス、スペインはメキシコに向けて出兵した。我が国とスペインはベニート・フアレスと交渉して撤兵したが、フランス皇帝ナポレオン3世はそのまま侵攻を始めている。おそらくマクシミリアンの件も進めたい腹積もりだろう」

「もしかして、それを諦めてもらうわけ?」

「そうだ」

「それって、フランス皇帝からしたら面白くない話なんじゃないの?」

「もちろん。激怒するかもしれない」

「えぇー」

 それはかなり無茶な話じゃないか?

 ナポレオン3世も、マクシミリアンの件で俺が首相になるということを聞いているだろうから、「俺が首相になりたいから、マクシミリアンはギリシャでよろしく」なんて挨拶に行くようなものだろう?

 そんなことをしたら、滅茶苦茶怒るんじゃないだろうか。

 皇后のウージェニーに頼んでも、どうにもならない気がする。

「だから、今すぐに行けとは言っていない。しっかり準備して行ってもらいたい」

 行ってもらいたい、って、俺はイギリス政府の職員じゃないのだから、行くこと前提で頼まれてもなぁ。

 もちろん、断れるかと言うと、断れないんだけど。


 万博責任者という立場に加えて、パリ行きまで押し付けられて、俺は戻ってきた。

 劇場に行くと、オールコックの大声のようなものが聞こえてきた。

「あちゃあ……」

 一瞬、オールコックも悲鳴をあげたのだろうと思い、劇場へと急いだ。

 近づいてみると様子が変わってくる。

「インクレディブル! グレート! グレート!」

 何だか絶賛しているような声だ。

 中に入ってみると、オールコックがこちらに気づく。

「オー! 燐介! これは素晴らしいものだ! ほとんどの英国民は、この劇を見ると大喝采を送るだろう!」

「えぇぇ?」

 そうなのか?

「ミス・サナのジャパニーズ・ゴーストは素晴らしい! これを見た者は、日本は何という素晴らしい国だ、と強く胸に刻んで帰ることになるだろう!」

「そ、そうなんだ」

 マジかよ。

 そういえば、何かの話で、イギリス人は幽霊が好きだ、って聞いたことがあるな。

 ロンドン塔にも幽霊が出るということでたまに見物客がいるらしいし。


 うーん。

 腑に落ちないところもあるが、オールコックが認めたということは、何かあった時に彼に責任を押し付ければいいわけだから、こちらとしては有難いと解釈しておこう。


 舞台の上では、絶賛された佐那が不気味な姿で嬉しそうにしているが、「何と素晴らしい幽霊だ」というのは誉め言葉なんだろうか。

 俺も今度言ってみようかな。

 おそらく殴られるだろうな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る