第7話 オールコックの帰国

 エリーザベト達が帰国すると1か月ほどは何事もなく過ぎた。

 その間、皆は万国博覧会に向けての準備にいそしみ、俺は万博責任役として他国の責任者との会合に付き合わされることになる。


 付き合わされるのだが、日本が出すものはまだ何も形として存在していない。物に関しては日本大使が持ち帰ってくるものが頼りだし、催しは今、練習中だ。

 つまり、現在は何もない。これで本当に大丈夫なのだろうか?

 大使の乗っている船が沈んだりしたら、どうすればいいんだ?

 まあ、19世紀なんだから戦場でもなければ船が沈むことはほとんどないだろうが。


 2月半ば、ラザフォード・オールコックが戻ってきたという報告が来た。

 早速、万博会場に向かうと日本の展示コーナーに大きな箱が積み重ねられていた。

 結構な量だ。オールコックはかなり気合が入っているんだろうか。

 中を開いてみると、刀剣、漆器、蓑笠、提灯、茶器などといったものが入っていた。

 ちょっとした版画のようなものはあるが、期待していた水墨画や陶器といったものはない。

 少し物足りない感じもあるが、博覧会というし、日本の物を置いた博物館スペースみたいな扱いなんだろうな。

 まあ、持ってきてくれただけでも御の字だ。文句を言う資格はない。


 中身をチェックしていると、職員に声をかけられた。オールコックが来ているから、挨拶してはどうか、という。

「そうだね、どこにいるんだ?」

 指さされた方向にいる男に近づいた。向こうもこちらに近づき、帽子を外してくる。

「君が宮地燐介かね?」

 おぉ、さすがに日本大使だけのことはある。日本語で挨拶をしてくるとは。

 ここは礼儀として、俺は英語で返すべきなのだろう。

「そうだよ、こっちの人はみんなミヤーチって言うんだけど、さすがにオールコックさんは日本にいただけあって呼び方がしっかりしているね」

「ハハハ、君のことは山口一太からよく聞いているからな」

 そう言って、オールコックは手紙を取り出した。

「もし、燐介に会ったらこれを渡しておいて欲しいと頼まれていた」

「ありがとう」

「ところで私のコレクションはどう思うかね?」

 オールコックの視線が、後ろの陳列棚の方に向かった。彼が持ち帰ってきたものが、淡々と置かれている。

「……詳しくないけど、凄いんじゃないかな?」

 蓑笠とか茶器なんかはいい品かどうかさっぱり分からないし、答えようがない。

 ないのだが、買ってきた本人には思い入れのあるもののようだ。

「あの刀はね、あの撃剣はね……」

 二時間くらい、付き合わされる羽目になった。


 ようやく解放されて、会場近くの小さな劇場に戻ってきた。

 この劇場で、今、諭吉やら佐那達が練習をしている。

 冷やかしてもいいのだが、イネさん以外は皆、怒らせると怖い。

 触らぬ神に祟りなし。

 俺は隣の部屋で山口からの手紙を読むことにした。


 そこには、昨年ロンドンで別れて以降の足取りなどが書かれてあった。

 ロシアでビスマルクと、ロシア外相ゴルチャコフと会ったということ。

 その後、帰国して、少しずつ開国に向けての努力を続けているらしい。

『とはいえ、薩摩や長州が何もなく変わることはない。桂小五郎が働きかけて今後有能な藩士(多分井上馨と伊藤博文だ)をイギリスに送ると思うが、攘夷活動がどこかで火蓋を切るだろう。その時、イギリスでも色々あるかもしれないが、そこはうまくやってくれ』

 と書かれて、締めてあった。


 山口も頑張っているようだが、一人ではさすがに限界があるようだ。

 仮にどこかの大名だったら、その藩だけでも変えられるのかもしれないが、そういうことはないからな。


 よし、俺もとりあえず現状を手紙にしてオールコックに返すか、と思ったところで手紙をさっとかすめる手が。

「随分と熱心に読んでいるねぇ。もしかして、いい人からの手紙なのかなぁ?」

 手紙を掴んでニシシと笑っているのはバーティーだ。

「こら、返せ!」

「ノーだ! ミス・サナやミス・コトにも見てもらわないとね!」

 バーティーはそう言って隣の劇の方へと向かう。

 あいつ、山口の手紙を、女からの手紙か何かと勘違いしたらしい。

 山口のことはみんな知っているから大丈夫だろうけれど、バーティーが余計なことを言うと面倒だ、追いかけないと。


 と思った途端、バーティーの駆けていった先から「ギエェェー!」という物凄い悲鳴が聞こえてきた。

「な、何だ!?」

 慌てて劇場に入ると、入口付近にバーティーが倒れている。口から泡を吹いていた。

 その先に白装束の女の姿が……。

「あ、燐介。いきなり殿下が……」

「ぎゃあぁぁっ!」

 女が顔をあげると、頭の一部が裂け、血まみれだった。

 白装束も赤黒い血がこびりついている。

 見るも恐ろしい存在が、そこにいた。


「ダメだよ、佐那! その姿を見せては」


 琴さんの声が遠くから聞こえてくるのを小耳に、俺の意識は遠くなっていった。

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