第8話 一太、清河八郎に誘われる②
夕刻、本所の
「ようこそ来ていただきました。さ、中へどうぞ」
気味悪いくらい丁重に出迎えてくれる。
槍の達人として知られる高橋にここまで丁重にされると、普通の旗本ならかなりいい気になるかもしれないが、タイミングがタイミングである。部屋には清河か、その息がかかった者がいるに違いない。
どうしたものかと思いつつも、中に入ろうとした時、物陰から声がした。
「拙者もご同行願いたいのですが」
「桂先生?」
これは驚いた。
桂小五郎が物陰から出て来たのである。
高橋は突然の乱入者に混乱した様子だ。
「いや、貴殿は何者ですかな?」
「奥にいる者に伝えればよろしい。長州の、
「桂……!?」
江戸にも名の知られた桂小五郎の名前に、高橋は驚いて中に飛び込んで行った。
しばらくして、困惑した顔で戻ってくる。
「……それでは、桂先生もついてきてください」
「よろしくお願いしますよ」
当然だ、とばかりに頷いて、中に入って行く。後からついていく私が何か言おうとすると、掌をこちらに向けた。「今は黙っておけ」ということらしい。
どの道、私一人ではどうしようもできない状況である。
ここは桂に任せるしかない。
今もそういうところが多いが、鶴屋は一階が料理屋となっていて、二階より上が宿泊部屋となっている。高橋は二階へと上がって行った。
奥にある一室の扉を軽く叩いた。
「山口先生と、桂先生をお連れいたしました」
返事があったが、聞き取れなかった。
高橋が扉を開いて中に入る。
奥に二人いた。一人は写真で見たことがあるから見覚えがある。清河八郎だ。
もう一人は分からない。大柄だから、
「これは桂先生、山口先生、初めまして。私は、清河塾の塾頭を務めております清河八郎と申します。こちらは私の知人の
「山口一太と申します。初めまして、清河先生」
私は多少驚いていた。
高田源兵衛というのは、
河上は小柄な人物と聞いていたから、長身だというのは驚きだ。この背丈なのに小柄な人物と伝わっているということは、それだけ姿勢を低くして戦っていたということなのだろう。
その河上は無言である。
「初めまして、桂小五郎です。しばらく病に臥せっておりまして、夢の中をさまよっておりましてな。ただ、ようやく回復しましたので、再び活動をしたいと思いました」
「左様ですか」
清河も、河上も、高橋も猜疑心に満ちた視線を桂に送るが、受ける側は素知らぬ顔をしている。
「桂先生が不在になられて、水戸と長州の志士が元気を失いました。気にしていたところでしたので、桂先生の復帰は何よりです。しかし、山口先生と知り合いというのは驚きでしたな」
「それは清河先生の情報不足でしょう」
桂が挑発気味な口調で言う。
「山口先生は元々、長州の
「……」
桂はさも当然という風に話しているが、そんな話は初耳だ。
おそらく真っ赤な嘘だろう。四天王はもちろん、伊藤俊輔(のちの博文)や山縣小助(のちの有朋)とも面識はない。
ただ、清河と河上は真に受けたようで、揃って渋い顔をした。
尊王攘夷を考え、幕府に対抗心を持つ者にとって、松陰先生は特別な存在である。清河にとっても無碍にはできない存在であろうし、松陰先生の影響下に長州の尊王攘夷があるということは理解しているだろう。
その松陰先生と私が繋がっているということは、清河にとって青天の
気に入らないなら殺そう、くらいに考えていたはずだが、そうはいかなくなった。桂の発言が本当だった場合、私を殺せば松陰門下が、松陰先生を尊敬する者が、清河から離れることになる。それは彼の今後の目標にとって大きな打撃だろう。
「それは意外でした。山口先生の行いは、松陰先生の大志と少し離れていたように思えますが」
「それは清河先生の思いこみでしょう。吉田松陰というお方は、並の人間に簡単に測れるようなお人ではありません。松陰先生の志の大きさはそこらの凡人とは比較になりません。その大志の実現に間違いなく必要だった人が山口先生です。それは今も変わりません。ですから、松陰先生門下は皆、山口先生を尊敬しているのです」
桂の言葉に笑いそうになった。
何という大きな棘を含ませているのだ。「山口の価値が分からないのなら、おまえは松陰先生以下だ」と清河に言外に宣言しているのだから。
それにしても。
桂が剣の達人なのは間違いないとはいえ、それと同じくらい腕が立ちそうな河上彦斎がいるし、清河自身と高橋泥舟も達人である。
三対一の状況なのに、よくここまで堂々と言えるものだ。
さすがは維新三傑と感心するしかなかった。
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