第3話 一太、立ちはだかる問題に直面する

 勝と別れた後、私は将軍の控室へと向かった。

 部屋に入ると、将軍は一年前と同じく、のんびりとした様子でくつろいでいた。


「上様、お久しゅうございます」

 入り口の手前で平伏する。そこに将軍からの声がかかった。

「おぉ、一太よ。久しぶりだな。近う寄れ」

「ははっ。それでは失礼しまして」

 部屋に入る。

 成長期ということもあるのだろう。一年で大分背が伸びたようである。

 何かの記録で家茂の身長は156センチと見た。

 しかし、今の将軍の背丈はもう少し高い。162、3はあるだろう。

 ひょっとすると、納豆を中心とした健康食や、歯磨きの奨励によって、体格にも影響を与えているのかもしれない。


「そうだ。おまえが言っていた剣術大会だが、信正(安藤)と広周(久世)の二人が帝のところに自分のものとして持っていってしまった。せっかく、おまえが考えたのにあの二人が美味しいところを持っていったようだ」

「はい。先程、安房殿(勝海舟)から伺いました。私は気にしておりません」

「そうか。それならいいのならば……」

「帝も賛成したということは、攘夷派の大名も積極的に参加してまいるでしょう。大会が大きくなるのならば、私ではなく老中様方が取り仕切るべきだと思っております」

「そうか。お主がそう言ってくれるのは助かる。ただ……」

「ただ?」

「実は他にも二つ問題があるようで、な」

「二つの問題?」

 一体、何なのだろうか。私には見当もつかない。


「つまり、だ。日ノ本を挙げた剣術大会ということで、それぞれの流派にとっては勝つや負けるのが一大事になってくる」

「……はい」

「泥舟が言うには負けようものなら、敗者がその場で切腹やら、流派の者から仕置きされるような事態が発生するかもしれない」

 なるほど。

 多くの者の期待を受けて大会に出て、失敗した場合、悲惨な運命が待ち受けていることは少なくない。

 あるいはプレッシャーに耐えきれずに壊れてしまう者もいる。マラソンの円谷幸吉つぶらや こうきちのように自殺してしまった者すらいたほどだ。

 20世紀でもそうなのだ。いや、21世紀ですら、失敗者に対する視線は冷たい。

 門下を背負って参加し、期待に応えられなかったものがどういう目に遭うか、想像するだけで苦しくなってくる。


 また、これに伴って結果に関する不満なども出て来るかもしれない。

 例えば、大大名などは自分の部下が負ければ「今の試合自体がおかしい」と文句をつけるかもしれない。

 21世紀の、ビデオ判定がある競技ですら、「審判のせいで負けた」というような話が出て来るのである。「相手が違反をしていた」だの「こちらは不利を被った」だの難癖をつけてくることが容易に想像できる。


 こう考えると、ますます責任者の立場を老中二人が背負ったのは有難いことのように思えてきた。


「ま、これは些事ではあるのだが」

「いえ、上様、全く些事ではありませんよ」

 将軍の軽い言葉に、一瞬私は驚いた。これが些事なら他に何が問題だというのだ。

「もう一つの問題は深刻だ。こういう舞台ゆえに、幕閣の中には裏工作をして楽に勝ち抜かせようとしている者もいるらしい」

「……! 八百長ですか」

 確かにこれも重大ごとであった。

 勝ち抜いた者というのは大変な名誉であり、褒章も出て来るだろう。

 それを目当てに八百長を企てる者が出てきても不思議はない。

 試合結果の八百長については、名誉が大きすぎるゆえに難しいだろう。もちろん起きる可能性もあるが、流派の名誉、国の名誉を背負っている立場で


 対戦相手をどうやって決めるのかということは、何も決められていない。

 高校野球や高校サッカーなどは、くじ引きで決められているが、今は19世紀で鉄道もない時代である。全国中からくじ引きのためだけに参加させるというのは現実的ではない。

 となると、幕府の有力者がある程度取り仕切ることになるのだろう。

 そうなると、自分の息がかかった者を勝たせようとする動きが出て来るかもしれない。例えば、試衛館や三大道場といった強豪揃いのところは全部同じトーナメントに入れられてしまうといったことだ。

 これはまずい。

 元々は尊王攘夷派に対するガス抜き効果も狙って考えたものである。

 そこで幕府側が裏工作をしていたなどと言われれば、逆に幕府への不満を大きくしかねない。それでは本末転倒である。

「由々しき事態ですな」

 しかし、問題ではあるが、どうすればいいのだろうか。

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