第9話 燐介、サンタ・アナと会う①
劇が終わった。
正直、これでメキシコのことが分かったかというと微妙だか、ブース兄弟と知り合えたのは良かった。
彼らは俳優であり、俺の好きなものとは分野が違うが、共に文化活動という点で共通している。
ジョンのことはさておき、彼らが戦争という非常事態の中でどうしたらいいか迷っていることは俺にとっても参考になることだった。
近いうちの再会を約して、俺達は別れた。
隣の部屋を見ると、アメリカ娘がまるで世界の終わりを経験したかのような暗い顔で出てきた。
「どうしたの?」
尋ねると、佐那が不機嫌そうな顔で。
「私のことを琴さんの恋人と勘違いしてしきりに文句を言ってきたので、琴さんが正直なことを告げたまでです。私のせいではありません」
いや、誰が悪いとか、そういうことは聞いていないけど。
でも、大体のことは分かった。琴さんが女性だと知ってショックを受けたということか。
「帰ろうか」
琴さんはそんな彼女を不憫そうに見つつも、慰めたりはしないようだ。
まあ、慰めて、禁断の一線を越えてしまっても困るだろうし、な。
三人でホテルへの道を歩いていると、途中の酒場から声がかけられた。
あれ、俺の名前だったような……と思って中を見ると、諭吉が見たこともない中年の男とビールを飲みかわしている。顔を見る限り、大分酔っているようだ。
「おーい、燐介!」
「燐介、呼ばれていますよ」
「いや、気づいてはいるけど……」
「男たる者が、呼ばれたのに酒も飲めないなどということは許されません」
えぇー。
それはかなり厳しい男の定義なんだけど。
なんていう理屈が通じるのは令和ならでは、だ。この時代で文句を言っても俺が情けない奴だと思われるだけになってしまう。
「へいへい、行きますよ。行けばいいんでしょ」
飲んだ分は全部諭吉に払わせようと思いながら、俺は中へと入っていった。
諭吉が一緒に飲んでいる男は、随分と早口の英語を喋る。
確かスペイン語がこんな感じのやたら早い、マシンガンのような言葉だったかなと思いながら、ひとまず挨拶をする。
「燐介、喜べ。どうやらメキシコの件はうまく行きそうだ」
ほろ酔いの諭吉は完全に悦に入った様子で、満足そうに話す。
「本当か……?」
「本当だ。わしが協力したら全てうまくいくネ」
初老と思しき男は早口で、ちょっと軽いノリで話をしてくる。
「わしの徒党はメキシコシティ周辺に20万は下らない。フランス軍50万に我々の軍が加われば一網打尽ネ」
「……」
フランス軍が50万も派遣できるか!
第一次大戦みたいな近場ですら50万以上揃えた戦いはほとんどなかったんだぞ!
「というか、おじさんは誰なんだよ?」
20万人も徒党がいるなんて穏やかじゃないぞ。
話ぶりを聞いていると、口からでまかせで適当なことを言っている感じもしてくるが。
「わしか? わしはサンタ・アナだ」
「サンタ・アナかサンタ・クロースかは知らんが……。うん? サンタ・アナ?」
「そうネ。わしが元メキシコ大統領のロペス・デ・サンタ・アナだ」
以前、マルクスからメキシコは国王制を懐かしんでいて、皇帝となる人物を迎え入れるか、実質的な皇帝みたいな大統領を選んでいると解説を受けた。
大統領制の代表と言えるのがこのサンタ・アナだったはずだ。
「確か、何回か大統領になっているんだっけ?」
「今度大統領になれば12度だな」
「ということは、11回!? あれ、でも、そんな人が何でカリフォルニアにいるわけ?」
11回も大統領になった大物なら、普通はメキシコで悠々自適に暮らしているものだと思うのだが、亡命でもしているのか。
「追放されたらしい」
「追放?」
「そうだ。このあたりは元々メキシコ領だったのだが、わしがアメリカに譲り渡して、反対派に恨まれたネ」
「……それは追放されて当然じゃないか?」
むしろ生きているだけで有難いと思うべきなんじゃないだろうか。
「過ぎたことはどうでもいいネ。わしはまだ体力もあるし、メキシコを導けるのはわししかいない。だが、反対派が一致団結してわしの復帰を妨げている。もし、フランスが協力してくれるなら、わしの復帰を邪魔できるものはいないね」
「おい、諭吉……」
俺は小声で諭吉に話しかける。
「何か話が変わってないか? フランスは皇帝としてマクシミリアンを立てたいんだぞ。こいつは凄いのかもしれないが、フランスの眼中にはないはずだ」
「うむ。ただ、反対派に対抗するという点では、彼の力を借りた方がいいのではないか?」
「いや、まあ、味方は多い方がいいんだろうけれど」
ヨーロッパ外交を見ていると、いかに周到に味方を増やすかが重要だ。どんな相手でも軽んじるべきではなく、味方に引き入れる努力をすべきだ。
しかし、このサンタ・アナに関してはとてもではないが信用できそうに見えないのだが……
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