第2話 一太、ビスマルクと交渉する①

 ドイツ帝国の宰相として知られるオットー・フォン・ビスマルク。


 Jリーグ黎明期に大活躍したブラジル人選手ビスマルクもその名前にあやかったと言われているが、それだけの事績を残した人物ではある。


 ビスマルクは「鉄と血によってドイツの問題は解決される」と言った鉄血宰相、強面の政治家として名高いが、大陸ヨーロッパを巧みにコントロールした外交能力こそに彼の真価が現れている。

 その裏付けとなったのが、ロシアとフランス大使を経験したことにある。

 特にロシア大使は四年間も務めており、その間に、これまたロシア外相を長く務めることになるアレクサンドル・ゴルチャコフと深い関係を築くことになった。これが後々のロシアとプロイセンの関係に影響したことは間違いない。


 ただし、この時点ではロシアとプロイセン自体の関係は良好ではない。

 というのも、ロシアの第一目標はクリミア戦争敗北後に締結したパリ条約の撤廃である。そのためにロシアはフランスの力を借りようとしていた。イタリア統一戦争では、フランスの方針に支持を唱えるなど、皇帝ナポレオン3世に近づいていた。

 プロイセンに関しては直接敵対することはないが、領土が隣接しているため仮想敵国という間柄である。それより酷い関係ではないが、それより良い関係ではない。


「日本から来た?」

 ビスマルクはいかにも不審そうな目で、私と桂を眺めていた。年齢もあるだろう。私も桂も25歳で、片やビスマルクは45歳。完全に一世代違う。

「はい。このサンクト・ペテルブルクに来る前にプロイセンにも立ち寄り、皇帝ヴィルヘルム1世陛下にもお目見えいたしました」

「それは私に対する嫌味かね?」

 ビスマルクが不機嫌そうな顔になる。

 それでも、きちんと訪問してきた他国外交官を理由なく追い払うわけにはいかない、と思ったのだろう。

「……入りたまえ」

 と、応接室へと案内してくれた。

 中に入った桂が部屋の装飾を見て、目を丸くしている。

 大使の部屋は宮殿の一角にある。当時、個人としては世界最大の富豪であるとも言われていたロシア皇室が端正こめて作り上げた宮殿の。

 そこにつぎ込まれている財は、日本、ましてや長州とは比較にならない。


 私達をソファに案内したビスマルクは、離れたテーブルに腰かけた。そこに誰かが置いた水差しがあり、その水をこれまた高価な陶器製カップに注いだ。

「ここはロシアだ。ロシアにいるプロイセンの外交官を訪ねる意味があるのかね?」

「もちろんです。大使はロシア外相のアレクサンドル・ゴルチャコフと関係が良いのですから」

 ビスマルクが一瞬「ほう」という顔をした。「よく調べたな」と思ったのだろう。

 次の一瞬には、また不機嫌そうな表情に戻る。

「本国の指示もないのに、私が日本のために何かすることもない」

「確かに本国の指示はありませんな」

 大きく、ゆっくりと伝える。

「しかし、本国のためになる話です」

「……フン」

 彼は注いだ水を少しだけ口に含んだ。

「言ってみたまえ」

「日本はロシアの東にあります。ロシアは現在、黒海での動きを禁じられておりますが、東側の海についてはまだ決まりはありません」

「その程度のことはいかに音痴な私でも知っている」

「ロシアは現在、日本の……あ~、地図があった方が便利ですね。紙をいただいていいでしょうか?」

 無言でノートを一枚破いて渡してくれたので、簡単にユーラシアの地図を書き込む。その様子を見て、「む?」と何か気づいたようである。

「日本のここに対馬という島がありまして、ここを占領しております」

「ふむ。それで? プロイセンには何の関係もないようだが」

「関係ありません。ただ、イギリスには関係があります」

「……そうかもしれんな」

「イギリスは民主制で、皇帝制を取り入れることはないでしょうから、ロシアはイギリスに近づくことはありえません。では誰に近づくか。現在そうであるようにフランスのナポレオン3世に近づくか、あるいはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ。若しくはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世陛下になるでしょう」

 反応を待つが、ビスマルクは無言で「続けろ」という素振りだ。

「では、次に何が起こるか、です。ロシア皇帝ツァーアレクサンドル2世は見た目、開明的な施策を取っております。例えば、これを真に受けたポーランドなどで反乱が起きた場合、どうなるでしょう……っと、何か?」

 話の途中で、ビスマルクは「もういい」とばかりに右手を開いて、私の話を止めた。


 ビスマルクは苦笑いめいた笑みを浮かべて、首を左右に二回振った。「やれやれ」という溜息めいた言葉が漏れる。

「何かを説明する時に、もって回った話をするのは日本という国の流儀なのかね?」

「本音が見えない、という話は聞いたことがありますね」

 ビスマルクは再度「やれやれ」と首を振った。


「要はこう言いたいのだろう? 『ヘル・ビスマルク、俺はお前よりモノを沢山知っている。俺を敵に回すと巡り巡って、プロイセンが痛い目を見ることになるぞ』と」



 この当時のロシアとプロイセンの関係:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16817330658962221145

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