14章・ロシアとプロイセン(山口視点)

第1話 ロシア駐在プロイセン大使

 1861年7月初め。

 ロンドンに女性陣を残して、私達はイギリスを後にした。


 文久遣欧使節の目的は、何度か触れているが、各国との開港・開市延長交渉である。

 日本は、尊王攘夷派の浪士が跋扈しており、治安がままならない。既に日本国内では欧米人を狙った今で言うならテロ行為も多発しているだろう。

 歴史を知る身からすると、ある程度発生させざるをえないところもある。燐と話した通り、イギリスや四国艦隊にお灸をすえてもらわない限り、薩摩や長州は変わらないだろうから、だ。


 ただし、そこに更に多くの国が入ってくることまで許容するわけにはいかない。

 20世紀初め、中国では義和団の乱がおきて、日本を含む八か国連合軍に攻められることになった。これだけ多くの国に権益を奪われるようになると、日本は破滅しかねない。

 ということで、これから向かうプロイセンやロシアとはしっかり交渉しなければならない。特にロシアは北で国境線を接していることもある。


 オランダとプロイセンを後にし、私達の船はロシア帝国の首都サンクト・ペテルブルクに着いた。

 ロシア帝国でももっとも有名な皇帝ピョートル1世が建設し、その名前を祝したことを意味するサンクト・ペテルブルクは、フィンランド湾を臨む風光明媚なところだ。


 1861年というのはロシア帝国の歴史の中でも大きな位置づけをもつ。

 そして、史実と異なり一年早く、我々がロシアを訪れるということもまた大きな意味をもつ。


 まず、この年の三月に、皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令を発布した。

 西欧では中世から随時発展していた農奴の解放であるが、ロシアはヨーロッパの中では後進国でかつ封建的な貴族制度が強く残っていたこともあり、この時代でもまだ残っていた。

 ただ、その後進的な仕組み故にロシアはクリミア戦争で大敗し、屈辱的なパリ条約を締結することとなった。この条約でロシアは黒海に艦隊を派遣できないこととなる。

 これを受けて、ロシア上層部では「我々は後れている。何とか取り戻さなければいけない」という認識を強く持つに至り、皇帝アレクサンドル2世は農奴制廃止も含めた様々な改革案を打ち出し、随時実行していくことになる。


 もっとも、アレクサンドル2世が開明的かというとそうとも言えない。彼の目的はあくまで強い皇帝権力を維持するための改革案である。強いロシアを取り戻して、黒海を取り返したいというのが最終目的だ。

 領土欲を失ったというわけでもない。

「西がダメなら東だ」と言わんばかりに日本海に軍艦ポサードニクを派遣して、対馬を半年間占領するという事態も引き起こしている。黒海を失った分、東側の海域で影響力を強めたいという動機があったらしい。ただし、結果として、これはイギリスの警戒を強めることに繋がり、イギリスの圧力で撤退したのみならず、後の日英同盟に繋がる一つの布石ともなっている。

 私達がこの時代に転生してくる前、ウラディミール・プーチンがウクライナに侵攻していたが、彼とてその前の十数年は欧米流を取り入れようとはしていた。恐らく、動機としてはアレクサンドル2世に近いものがあったのだろう。


 ということで、私達は「ロシアが対馬を占領している真っ最中」という極めて危険な状況で、サンクト・ペテルブルグに来たことになる。

 もっとも、迎えるロシア側にそうした敵意はない。「極東から遠路はるばる来ている連中だ。日本で何が起きているか知るわけもないだろう」と日本を舐めてかかっているのだろう。

 仮に我々が持ち出したとしても「そんなことは知らない。仮に占領していたとしても、現地の者が勝手にやっている」と主張するかもしれない。


「……山口先生。何を企んでいるのですか?」

 桂小五郎が問いただしてきた。

 彼だけでなく、この使節の全員が、対馬の事件のことは知っている。私が教えたわけではない。四か月もすれば、ヨーロッパでは普通にそうした情報も仕入れることができる。

 ただ、私は憤激する彼らを抑える側に回っていた。「幕府の人達を信頼しましょう。彼らが解決してくれるはずです」と。

 それを受けての桂の質問、というわけである。


「国際社会では、当事者同士の話で物事が解決することはほぼありません。そうである以上、頼れる仲間を探すべきです」

 私の答えに、桂が首を傾げる。

「それはごもっともですが、ここはロシアです。ロシアと交渉するための仲間が、このロシアにいるのでしょうか?」

 至極当然な疑問である。私も思わず笑みを浮かべた。

「仲間になってくれるかどうかは心もとないですが、まあ、試してみましょう」

 私はそう言って、ロシア政府が寄越してくれた通訳に尋ねる。

「プロイセン大使の居所まで案内してもらえないでしょうか?」

「……ブロイセン大使?」

 桂も、通訳もけげんな顔をした。

 私が再度同じことを尋ねると、通訳はけげんな顔をしつつも、サンクト・ペテルブルク市の地図を渡してくれる。

「貴殿達はここにいて、プロイセン大使はここにいる」

 昔の宮殿地域はひたすら広いので、同じ区画に大体あるというのは分かりやすい。

「ありがとう。それでは挨拶に行ってみましょう。桂先生も同行しますか?」

「……同行します。あ、正使の方々はこちらでお待ちいただいて結構です」

 私は、桂と通訳を伴ってプロイセン大使の所在地へと向かった。


 到着して、面会希望の要請を出すと、程なくして入り口にその男が現れる。

 日本で言うならば、ナイスミドルとでもいうべきだろうか。有名な写真は宰相時代のものだから、白髪に白髭だが、今はまだブラウンの髭を蓄えている。

 私は、多分ドイツ風と思われる敬礼をした。


「初めまして、オットー・フォン・ビスマルク大使。私は日本の外交官でイチタ・ヤマグチと申します」

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