11章・新・文久遣欧使節団(山口視点)
第1話 一太、西回りでヨーロッパを目指す
万延二年。
途中から
とはいえ、私の仕事には晦日も正月もない。
そもそも、私が今いる場所……英国大使館では新年でも何でもないわけだし。
私は、前年から英国大使ラザフォード・オールコックスに、日本から英国へ人を派遣したいので船を用意してもらえないかと頼んでいた。
いわゆる、文久遣欧使節団の派遣だ。
本来であれば、これは一年先の話なのであるが、この一年は比較的平穏な一年である。できることを早めに済ませてしまいたい。そんな思惑があった。
並行して、江戸城の了解も取らなければならない。
「おまえも行ってしまうのか?」
将軍家茂の言葉には非難めいたものがあった。「日々難問が降りかかっているというのに船でのんびりするつもりか」。そういう意図が読み取れる。
「ヨーロッパとの交渉はいずれはやらなければならないことです。日々難問が起こっておりますが、今は多少落ち着いてもおります。この後、更に大きな問題が降り注ぐ前に、やっておきたいと思います」
こう説き伏せた。
今回のヨーロッパ訪問には幾つかの目的がある。
まずはイギリス、フランスといった主要国との交渉。具体的には開港や開市の延長だ。
江戸の治安は試衛館勢の頑張りで本来よりも保たれているが、他の地域はカバーしきれていない。これらのところで何か不測の事態が起こっては困るということで、五年ほど延期してもらうのである。
また、北のロシアとは樺太や蝦夷地などの国境線を画定させる必要がある。
留学という要素も強い。
今回の派遣には、本来いる者よりも多くの者が参加している。少しでも海外の事情を知り、よりマシな方向に進めてもらいたい。
私個人としては、燐の意図を聞きたいということもある。これがもっとも主要な目的と言ってもいいかもしれない。
燐が何をしようとしているのか、ある程度は分かる。しかし、もっと突っ込んだところまで聞いておきたい。それによって、こちらの選択肢や作戦も変わってくるからだ。
また、イギリスとの兼ね合いで、優れた日本人を見せたいという要請も満たしたい。イギリスとの関係はどれだけ良くしても十分ということはないからだ。
今回の使節団のトップは昨年末に外国奉行に就任した(これも一年早い)
外国と言い切るには語弊があるが、函館奉行としてアイヌ民族とも交流していた経験があり、穏健な対応で尊敬を集めていた人物だ。年齢も50を超えていて存在感もある。まさに使節団のトップにふさわしいと言えるだろう。
その竹内に、私は長州の桂小五郎も乗せる予定であることを話した。
長州出身の尊王攘夷派はかなりの数が暴れまわっており、幕府内の評判は悪い。だから、長州の者を乗せるとなると、間違いなく難色を示される。
桂に別の出身を名乗らせようかとも思ったが、何かのきっかけでバレる可能性はある。そうなると非常に雰囲気が悪くなるので、あらかじめ知っておいてもらおうと考えたのだ。
「……さすがにまずくないかな?」
「表面的にはまずいと思います。しかし、桂は間違いなく長州を支える男となります。その男に海外事情を知ってもらい、幕府との繋がりを持たせることは、必ず幕府に恩恵をもたらすと考えます」
私の主張に、竹内は「なるほど」と頷いた。
「承知した。乗せることは是としよう。他の者にも了解させよう。ただし、私は既に多くの責任を背負っていて、今回の件まで背負うことはできない。彼を乗せたことで何かあったらそれは一太の責任ということになる。それで構わないのなら、乗せよう」
「ありがとうございます」
このような次第で桂の乗船の許可を得た。
一月九日。
私達一行は江戸に入ってきた英国船に乗り、西へと向かった。
ここから香港、シンガポール、セイロンを経て、エジプトに向かう。そこからマルタを経て南フランスのマルセイユを目指す道程だ。
久しぶりの船旅であり、久しぶりに斬るか斬られるかという殺伐とした江戸の空気から解放される。
残された者には大変だろうが、何とか頑張ってもらいたいものだ。
そして、ついてくる者にはできるだけ多くのものを得てもらいたい。
離れていく江戸の風景を見て、何故か親のような心境になった。
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