第9話 燐介、マルクスと中南米を語る
試合後、俺達はエンゲルスが用意してくれたパーティー会場に移動していた。
「それにしても、何という強さだ……」
マルクスがマルーン人達をしげしげと眺めている。
「吾輩は、アメリカ北部と南部が戦争をしたら、北部が勝つと考えている。それは奴隷が自分達のためにも戦うだろうという理由だったが、黒人奴隷がこんなに強いとなるとそもそも戦場でも決定的な仕事をしそうだ」
「……いや、アメリカ北部の黒人がみんなこんなに強いわけではないぞ」
ジャマイカ人にしても、別に全員が快速というわけではないからな。
「そうか。中米か……」
マルクスはようやく納得したようだが……
「これだけの者が革命を目指せば、大きな波を起こすのではないだろうか?」
今度は何とも物騒なことを言い出したぞ。
正直、中南米は政情不安定なところばかりだ。
「あの男……ウォーカーと言ったかな。ホンジュラスに乗り込んで失敗したらしいな」
マルクスの口にしたウィリアム・ウォーカーは最たる例だろう。
この男、アメリカの政治家……と言っていいのだろうか。あるいは冒険者と言ってもいいのかもしれない。5年前にニカラグアに攻め込むと、あれよあれよと首都まで支配してしまった。その後、協力者と対立して大統領に就任し、カリブ海に自分の帝国を作ろうとしたが、さすがに周囲の反発を招いて失敗、アメリカに逃げ帰った。
アメリカでは結構有名人になっていたが、今年に入って今度はホンジュラスで一旗あげようとして侵入したが、捕まってしまったという。
ニカラグアで失敗した時は、アメリカ政府が手を尽くしたようだが、今のアメリカは当時よりも国内の対立が激しい。他所の国で馬鹿やったアメリカ人を全力で助命させる余裕はないだろう。おそらく、今回はこのまま処刑されるはずだ。
ウォーカーには特別な理念もなく、ただ、国を持ちたいという程度の抱負しかなかった。だから、政策も雑だったから失敗した。
ただ、ウォーカー程度でも国を掌握させるところまでいったのだから、ひょっとしたら、マルクスならもっとうまくやれるのかもしれない。
中南米にいるのは、欧州のような伝統と権威ある国家ではない。支配が場当たり的でとても褒められたものではない連中だ。
もちろん、欧州の連中が良いと言うつもりではないが、ここの連中は国内に問題があると考えることすらないからな。
いつだって戦争、いつだって内戦。
それが中南米だ。
階級闘争というマルクスの論理は、こういう場所ではより効きそうな印象がある。
もちろん、普通であれば中南米に手を出すことにはアメリカが黙っていないだろう。しかし、ウォーカーの件でも明らかだが、これからアメリカは何年間か南北戦争を戦うことになる。当分は手を出すことができない。
仮に今、マルクスが踏み切れば、100年早くキューバ危機が起こる可能性もある。
キューバは島国で生産力にも限界があるが、仮にブラジルやアルゼンチン、メキシコなどを押さえればどうなるだろうか。
後の世界情勢が大きく変わってしまうかもしれない。
のであるが……
「……中南米の処刑は、数人に銃を向けられて殺されるらしいな。ブルブル、恐ろしい……」
幸いにして、マルクスは文章はともかく、個人としてはヘタレたところがある。銃口や戦いばかりのところで力強く導くという芸当はこいつにはできないだろう。
そういうのはエンゲルス、時代を下ればレーニンやトロツキーが行うことになる。
だが、エンゲルスは自分の会社の経営がある。マンチェスターを離れることはないだろうし、本人がそれを希望してもマルクスが拒否するだろう。生活費を出してくれる相手がいなくなるから、な。
ということは、中南米に共産主義が広がることは一旦避けられそうだ。幸いにしてマルクスには語学の才能もさほどないから、スペイン語をマスターすることもない。現地に同士がいたとしても連絡を取り合うことは難しいだろう。
しかし、それでも、マルクスは中南米にはかなり関心をもったようだ。
「アルゼンチンはヨーロッパからの移民を受け入れているという。吾輩の弟子を送り込むことができれば……」
「弟子いたっけ?」
「いない。吾輩の知る者の中に未開の地に乗り込む根性のある奴はいない」
「……」
新しい社会を造ろうというわりには随分と保守的な話なことで……
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