8章・異国の日本人達
第1話 燐介、咸臨丸を迎えに行く
1860年の年始を、俺はシカゴで迎えた。
前年末には、ジョン・ブラウンらの処刑があり、その余波はまだ続いている。
北部の中には、ジョン・ブラウンの鮮烈な死に様に影響を受け、「ブラウンに続け」と主張する者も少なくなかった。恐らく、イギリスではカール・マルクスも賛同するような記事を書いているのだろう。
だが、リンカーンは依然として慎重に距離を置いている。
「ブラウンを支持する者が多いと言います。しかし、私は彼のやり方を好きになれません。彼は反乱者です。アメリカ合衆国市民として、彼の行動を許容することはできません。端的に言うと、私は彼を無責任だと考えています。彼のような人物が大嫌いです」
リンカーンの影響力は次第に広がっているようで、リンカーンの発言を受けて共和党の有力者も似たような立場に落ち着いた。
これに対して南部では当初、「共和党のような過激派を認めるとこのようなことになる」という主張もあったが、ロバート・リーの報告書が明るみになるにつれて静まっていった。北部の自由主義者が協力したことで反乱が本格化する前に明るみになったというものだ。この点では、俺もちょっとばかし貢献したと言えるのかもしれない。
まあ、いずれにしても大統領選挙があるのは11月だ。
人の噂も75日と言う。ブラウンに続く者が現れなければ、大統領選挙が始まるころには記憶も薄れているだろう。
当面の間、大きなことはなさそうということで、俺達はチームを連れて西海岸のサンフランシスコに向かっていた。西海岸でのフットボール普及と、あとはそのうち来るだろう咸臨丸を迎えに行くと言うことがある。
先にタウンゼント・ハリスからの報告がワシントンにあったようで、徳川家は1月中には船を派遣するというから、早ければ2月、遅くても3月には着くだろう。それに先んじてサンフランシスコに行っておきたい。
21世紀であれば飛行機、20世紀初頭なら大陸横断鉄道で行くことになるのだろうが、この時代にはまだ大陸横断鉄道は存在しないし、西部の大半はネイティブ・アメリカンの支配地である。
だから、東海岸から西海岸に行く一番早く確実な方法は、まずは中米のパナマ東岸まで船で向かい、パナマ鉄道でパナマ西岸まで行き、そこから船で西海岸を目指すというものだ。俺達も当然、その方法でサンフランシスコに向かうことになる。
普通なら1か月は軽くかかるが、幸いジョージ・デューイをはじめアメリカ海軍に協力者が多いこともあって、そこまではかからない。
およそ25日かけて、俺達はサンフランシスコの港に着いた。
10年少し前には黄金が発見されたということでゴールドラッシュを呼び起こしたサンフランシスコだが、この時代でもその余波は続いていた。
陸続きで合衆国政府の統制が及んでいないということもあって、ぶっちゃけ治安が良くないところも多い。アメリカ西部劇の映画にあるような世界は満更嘘ではないというわけだ。
もちろん、俺達は西部劇のために来たわけではないから、そんな危険な場所に行くつもりはないけれど。
サンフランシスコでもう一つ面白いのは、地続きでなく行き来が難しいことから、労働者の権利が守られていることもある。南部なら奴隷がいるし、北部でも余剰労働力がいるから気に入らない労働者は気軽に解雇できる。ところがサンフランシスコには余剰労働力がないから、迂闊に解雇してしまうと廃業するしかなくなってしまう。労働者の主張をある程度聞かなければいけない、というわけだ。
フットボールの試合をしながら時間を潰しているうち、2月10日に沖合に出ていた船が戻ってきた。「日本からの船が近日中に着く」と言う。
「何で、地元の船が戻ってきて、更に数日かかるんだ?」
俺も総司もけげんな顔をしているが、どうやら咸臨丸は太平洋航海でかなりダメージを受けていて、修理しながら進んでいるのだと言う。しかも、日本人達はほとんど船酔いで使い物にならないから、並行しているアメリカ船のポーハタン号の船員達が修理したり、航海を手伝ったりしているらしい。それで時間が余分にかかっているということだ。
そういえば、勝海舟もずっと船酔いしていて使い物にならなかったというような話を聞いたような気がするな。俺達はそうでもないのは、アメリカ船の乗り心地の良さと若いので慣れてしまったということがあるのだろうか。
その話を聞いてからは毎日、港の方に出かけて船の到着を待つ。
ようやく着いたのは2月15日。
俺達も馴染みのあるポーハタン号が見えてきた。
次いで、もう一隻見えてきた。近づいてくるにつれて甲板の方から日本語らしいものが聞こえてくる。
船が到着して、先頭にいた武士が駆け下りてきた。
「アメリカ一番乗りは拙者だ!」
といい歳をして、一番乗りで威張っている。
「こんちは」
そこに俺が声をかけたので、武士は「えっ?」という顔をしてこちらを見た。
「おぉ、もしかして燐介か!?」
後ろから声が聞こえてきた。そこから出てきた顔はとても馴染みのあるものであった。
「万次郎! 久しぶりじゃないか!」
そうだった。この船にはジョン万次郎、現在は中濱万次郎も乗っていたのだ。彼にとっては20年近くぶりのアメリカになる、さぞかし感慨深いものがあるだろう。
というか、万次郎が一緒にいるのにアメリカ一番乗りもないだろう?
「燐介?」
更にその後ろから声がした。色々と忙しいな。
「おまえが宮地燐介か?」
と出てきた若者には全く見覚えがない。
俺の名前を知っているということは吉田松陰か、山口一太の関係者だろうか?
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