第9話 燐介、選挙の現実と次への光明を見る

 1858年11月7日、投票日を迎えた。


 朝から雨だ。


 あまり気分のいいものではないが、仮に快晴だったとしても、リンカーンにとってもダグラスにとっても同じである。気にしていても仕方がない。


 リンカーンは朝から投票を済ませると、スタッフと落ち合って電報局へと出て行った。


 何社かの新聞が置かれてある。さすがに共和党のリンカーンのところに民主党系の新聞はない。


 ただ、ここスプリングフィールドはリンカーンのおひざ元であるからともかく、シカゴの街頭に出かければどちらが多いか、それは気になる。



 リンカーンとスタッフは電報局で報告を待っている。


 話すこともないし、何か話ができる雰囲気でもない。俺と総司は外に出た。


 やはり選挙の日ということもあり、通りを歩く人達にも「どうなるんだろうね?」と話題にしている人達ばかりだ。


「うーむ」


 それらを聞きながら、総司が腕組みをして唸っている。


「どうかしたのか?」


「いや、日本では想像もしない世界だから、圧倒されている。燐介が昔、松陰さんに将軍や殿様をみんなで決めると説明していた時には何のことかさっぱり分からなかったが、今はよく分かった。こんなに凄いものだとは思わなかった」


 凄い。まあ、確かに凄いな。


 アメリカの大統領選挙が盛り上がるのはテレビで見て知っていたけれど、上院議員でもここまで凄いものになるんだな。


 もちろん、今回のキャストが特別に優秀というのもあるのだろうけれど。


「日本も将軍やら殿様をこうやって決めた方がいいのにな」


 おっと、日本で言ったら大変な言葉まで口にしてしまった。


「日本もいずれは選挙をするようにはなる、さ」


「だよな。黒船が怖いから、アメリカに求められればいずれはそうなるだろうな」


「ああ、そんなところだ」


 実際には、アメリカの圧力というより、アメリカも含めた西欧列強なんだけど、な。



 その後、グラウンドに出てちょっと練習をして、総司とともに電報局の辺りでボール交換を繰り返しながら待つことにした。


 最終結果が届いたのは夜の八時だった。


 リンカーン 19万票

 ダグラス 17万6千票



 勝った!



 俺と総司は勝利したと喜んで飛び上がろうとしたが、周囲の暗い雰囲気がそれを留めさせた。


「あれ? 勝ったんじゃないの?」


 俺は傍らにいたノーマン・ジャッドに尋ねた。


「票数だけなら。ね」


「……?」


「上院議員は議会が選ぶからね。議員の獲得で及ばないんだ」


 21世紀のアメリカ上院議員選挙は直接投票だが、この時代は上院議員も議会が選ぶシステムだったらしい。つまり、議席をどれだけ確保できるかということだ。そうなると選挙区で分断されることになる。ある選挙区で満票、別の選挙区で僅差の敗戦でも1対1だ。


 つまり、勝てそうなところは大勝したけれど、接戦区の獲得が足りなかった、ということになるのだろう。そう思った。


「もう少し、票差も開くと思ったんだけど、な」


 ジャッドはけげんな顔をした。


 つまり、俺達が見た選挙演説での反応は嘘だったのか?


 あるいは、新聞などの力の差が響いてしまったのか。



 それもあったのだろうが、予想しなかった要素もあった。


 その予想もしなかった要素が、次への布石となるのだから、人生は面白い。



 選挙に負けた後、リンカーンは目に見えて落胆して屋敷に籠ってしまった。


 全てを賭けて戦った後だけに、仕方ないと言えるのだろう。



 翌日には大きな敗因が明らかになった。


 共和党の一部がダグラスの支持に回っていたことが明らかになったのだ。


 どういうことかというと、現在の民主党トップはジェームズ・ブキャナン大統領だ。それに対抗しうる筆頭候補がスティーブン・ダグラスである。だから、全米という規模で見た場合、ここイリノイではダグラスに勝たせてブキャナンと喧嘩させる方が共和党のためになると考えたわけだ。


「リンカーンが勝てるわけがない。ここはダグラスに貸しを作っておこう」


 そう考えて、一部幹部が寝返りを打ったといわけだ。リンカーンは共和党の中でそれほど大きな立場を占めるわけではないから、幹部に言われてやむなく鞍替えした者達がいたらしい。



 苦労の末にようやく敵を叩けると思ったら、まさか味方に刺されることになるとは。



 選挙の裏を見た思いではあったが、その日以降、リンカーンの事務所にその共和党の連中がひっきりなしにやってきた。


「済まなかった! 今回、リンカーン氏に投票すべきだった。本当に申し訳ない」


 今更こんな風に謝られても、どうしようもない。


 俺や総司はそう思うのだが、彼らはこうも約束する。


「今回の件で共和党指導部の見る目の無さがよく分かった。共和党を導くのはリンカーン氏しかいない。もうスワードやグリーリーから何を言われても聞く耳を持たない。再来年の大統領選挙では絶対に応援するから」


 多くの者は共和党指導部にいるスワードやグリーリーを非難して、リンカーンへの忠誠を誓った。



 ある意味、この時点でリンカーンはイリノイを自分のものにしたとも言えるのだろう。


 ただ、本人は「自分の足の指を踏みつぶしてしまった少年のような気分だ。泣き叫ぶには大人になってしまったし、笑い転げるには傷ついてしまった」といじけてしまっているのだが……

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