第8話 燐介、全米史最高の論争に立ち会う②
オタワで始まったリンカーンとダグラスの論争は、その後も続いていく。
回を重ねていくにつれ、次第にリンカーンに流れが来ているようになってきた。
ダグラスの論陣は、主としてリンカーンの人種姿勢を疑問視するものだ。例えばフレデリック・ダグラスという黒人の著名ジャーナリストがリンカーンの支援に来た時の様子をスティーブン・ダグラスは批判する。どっちもダグラスでややこしいことこの上ない。
「リンカーン氏は、黒人の男を、白人の女性と共に同じ馬車に乗せていました。つまり、黒人と白人を全く対等だと考えているのです」
ダグラスにはフットボールチームの件で色々世話になっているから、あまり悪口は言いたくない。ただ、こういう姿勢は正直好きではない。
もちろん、全員が全員俺と同じように考えているわけではないのも事実だ。21世紀にだって、こういう考えの持ち主はいる。19世紀はもっと多い。有効なやり方であるのは確かなのだろうが。
リンカーンはそうした批判に対しては、これまでと同様に巧妙にかわす。
パターンは同じだ。建国の父を持ち出して、「彼だってそうだった。私だけが特別に黒人を優遇しているわけではありません」と言ってかわす。
建国の父もウン十人いるから、調べれば色々な行動が出て来る。それを持ち出してくる記憶力と準備力が凄いな。
今度はリンカーン側が攻撃を仕掛ける。
「ダグラスさん、貴方は住民が決めるべきだと言う。しかし、貴方だって住民です。貴方自身は奴隷制を良いものと考えているのですか?」
「……よ、良いものとは考えていない」
リンカーンはダグラス自身が奴隷を違法なものと考えているのかどうか確認してきた。イリノイ州は北部で奴隷を違法としている州だから、まさか「合法だ」とは言えない。
そのうえで。
「なるほど。しかし、貴方は八年前、カンザス・ネブラスカ法を主導しました。その結果として、両州は奴隷を認める州となりました。そうなることは分かっていたはずです。奴隷州が増えると分かっていて、推進したということは、貴方は奴隷を肯定したいのではないですか? 奴隷制度は合法だと」
「そ、それは違う。話を入れ替えている」
「では、奴隷制度があくまで違法だとしましょう。だが、住民が決定できるのだ、と。しかし、私がこれまで述べてきた通り、建国の父は黒人奴隷制度に否定的でした」
否定的でした、と断言しているが、実際そうだったかは分からない。ただ、ここまでの論戦でリンカーンが『例えばワシントンは、そしてジェファーソンは』と、説明を繰り返しているのに対して、ダグラスは反対例をあげていない。だから、そういうものだとみんなが納得している。
「ダグラス氏は、住民投票は建国の父の理念も覆すことができる、と言っています。これは恐ろしいことです。建国の父の理念をも覆せるとなると、住民が望めばイギリスの支配を受けることだって認めなければいけません。アメリカの共和主義というものはどうでもいいものであって王制にだった戻すことができる、と」
「そんなことは言っていない!」
「しかし、ダグラス氏の考えはそういうことになりますよ」
次第にダグラスが声を荒げるシーンも目立つようになってきた。論争中にヒートアップしすぎるのは見る側にとっては印象が悪い。
論争そのものはリンカーンがリードするようになってきたが、それが正確に万人に伝わるかというとそうでもない。令和の日本ならインターネットでそのまま鑑賞することもできるが、この時代だと新聞になる。
新聞にも党派があって共和党系の新聞もあれば、民主党系の新聞もある。相手のいいことは書かないで、自分サイドのいいことを書くのは今も昔も変わりがない。
そして、資金力という点ではダグラスの方が圧倒的に上だから、メディア合戦ではどうしてもリンカーンは不利だ。
それでも、ダグラスは実際に「カンザス・ネブラスカ法」制定に動いた実績がある。
過去をなかったことにはできないから、少しずつ「ダグラスは言っていることと、やっていることが違うのではないか?」という意識が浸透してきているようには見えた。
実際、ダグラスも危機感を抱いてきたのだろう。ダグラス系の新聞には弁解とも言い訳とも取れる文が
かえって、翌日のリンカーンの演説に利用されてしまう始末だった。
七回に渡る論争が終わり、最終日の演説をリンカーンはこう締めくくった。
「奴隷制度というのは、アメリカを
こう宣言したリンカーンに、多くの支持者が「そうだ!」と歓呼して答えた。
「勝てるんじゃないか?」
そうした手応えが俺達の中に芽生えつつあった。
いや、俺達と言っても、俺と総司は何もしていないけど。
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