第3話 燐介、リンカーンの選挙状況を知り、新たに動く

 シカゴから、イリノイ州の州都であるスプリングフィールドまでは馬車で一日足らずである。


 着いてみると、街の様子は以前と何も変わるところがない。


 そう、何も、だ。


 これから選挙運動が行われるような、そうした様子が何一つない。シカゴの熱狂など微塵も感じさせない。21世紀日本のような淡々とした様子である。


 記憶をたどりにリンカーンの事務所へと向かってみると、そこに一枚だけチラシのようなものが貼られていた。『上院議員にはエイブラハム・リンカーンを』というチラシが。


 彼が選挙に立候補するらしいことが伺えるものは、そのチラシ一枚だけだった。



 俺達のことは日本からの来客ということで記憶にはあるだろうとは思う。ただ、今回、来訪を前もって告げていない。


 だから、ひょっとすると待ちぼうけなどを食らわせられるかもしれないと思ったが、訪ねてみるとすぐに中に入れてくれた。以前通された応接室はそのままだ。ここだけは時間が止まっているんじゃないかというくらい記憶のままだった。


 足音がした。


「オー、ウェルカム、友人達よ」


 以前の印象そのままに縦に細長いリンカーンが部屋に入って両手を広げた。


「お久しぶりです」


「いや~、遠く異国から応援にかけつけてきた者がいるというのは朗報だ」


 リンカーンはそう言ってにこやかに俺達の前に腰かけた。


「ここに来るまで、街を歩いたんですけど、宣伝とかそういうものがほとんどなかったですよ?」


「ああ、まだ準備をできていないからね」


「途中、シカゴに寄りましたが、そこではスティーブン・ダグラスがパーティーを開催していました。準備でかなり負けているのでは?」


 俺の指摘に、リンカーンは苦笑する。


「彼は大物だからね。私にはパーティーを毎日のように開催する資金なんてないのさ」


 明け透けに内情を言われてしまった。


「以前、ショウイン・ヨシダに頼んで新聞にしてもらった件はまあまあ反響があったけれど、結局、状況を覆すには至らなかった。負けてしまうと、私のような立場の者はまた一からやり直しになるのだよ」


 なるほど。


 選挙に勝てないと、資金は持ち出しになってしまう。


 リンカーンは別に名門というわけではない。弁護士としてまあまあうまくやってはいるようだが、全米トップというわけではないからな。


 資金にはどうしても限界があるということか。



 資金力にも、動員力にも差があるというのは辛い。


「何か方法はあるんですか?」


「うむ。ダグラスにイリノイ全土で論争をしようと持ち掛けてみたいと思う」


「イリノイ全土で論争を?」


「そうだ。イリノイ州の街という街で、私と彼とで議論を戦わせる。それで彼を制することができれば、奴隷反対の意思が強い人や彼の矛盾を嫌う人が出てくればいいところまで持っていけると考えている」


 ふむふむ、今風に言うと、無党派層や反ダグラス層を取り込むような感じか。


「だけど、ダグラスはそれに乗るんでしょうか?」


 リンカーンは論争を挑んで巻き返しを図れるかもしれない。


 しかし、ダグラスにとっては?


 彼は資金面でも陣容面でもリンカーンを圧倒している。それなら、普通に選挙戦をすればいいわけで、わざわざ支持を失う危険性を冒してリンカーンと論戦をする意味はない。


「彼が上院議員だけを考えているのなら、私と論争をする必要はないね」


 リンカーンはそう説明した。


「ただ、彼はその先、アメリカ大統領への希望も持っている。イリノイだけでなく全米に自分の意見が正しいことをPRしたいと考えているはずだ。だから、私から逃げたと思われたくはないはずだ」


 なるほど、ダグラスもそんなことを言っていたな。


 ダグラスには民主党のナンバーワンに上り詰めたいという野心がある。だから、イリノイの勝利だけでは足りない。リンカーンくらいバシッと叩いて、全米にアピールしたいというわけか。



 ということで、リンカーンはダグラス陣営にイリノイ州の五十の街で論戦をしたいと持ち掛けた。


 しばらくすると、ダグラスから「論戦は受けるが、五十は多すぎる」という回答が返ってきた。回数について協議して、最終的に七回行うということで決着を見た。



 俺と総司はそうしたことには携わらない。


 では、何をするか。


 俺はシカゴに出向いて、オーガスト・ベルモントを訪ねた。


「フットボールのチームを作りたいから、協力してほしいんだけど」


 俺の提案に、ベルモントは目を丸くした。

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