第10話 燐介、フランス皇后ウージェニーに気に入られる

 翌日、宿の下で朝食を食べていると、またまた王宮からの使いらしい者が現れた。


 ただ、珍しいことに女性である。30歳過ぎくらいで、明らかに「ワタクシは貴族の生まれですのよ」って雰囲気がある女だ。


「リンスケ・ミヤチはいますか?」


「燐介は俺だけど?」


「……」


 一瞬の沈黙。これはあれだ。俺を見定めていたような顔付きだ。で、どちらかというとガッカリしている。「思ったよりガキだった」、「思ったほど美形ではない」みたいな。


 で、一転して営業スマイルになる。


「初めまして、私は皇后様の使いでございます。どうかルーブル宮殿にお越しいただけないでしょうか?」


「えぇぇ……」


 昨日に引き続いて、また女性からの誘いか。


 いや、女性から誘われること自体は嬉しいんだけど、変な交際を要求されそうだからなぁ。


 俺が嫌そうな顔をしているのを察知したのだろう。


「リンスケ様が想像しているようなことは起きませんよ。とにかく来てください。来ないというのなら、憲兵が連れていくことになるかもしれませんが……?」


 穏やかな笑顔で物騒なことを言う。怖えぇ。


 ここは従うしかなさそうだ。



 馬車に乗り込んだところで女官から説明を受ける。


「昨晩のことは、皇后陛下の知るところとなりまして」


「ああ、それはどうも……」


 正直どう答えていいのか分からない。何せ宮殿で変な女から別の女を紹介されるなんて経験が初めてだし、こういうのがどう評価されているのか、見当もつかない。


「皇后陛下は大変お喜びでございました」


 女官の顔がパッと輝く。


「あの憎きカスティリオーネ伯爵夫人の顔に泥を塗る者がいるなんて。しかも、女を誘われながらそれを撥ねつけるような者がいるなんて、と、もう人目もはばからぬ大泣きするくらいにお喜びでした」


「えぇぇ? 何で?」


「はい。『皇帝陛下も含めて、女と見ると飛びつくような男ばかりの中、そんな自制心に満ちた少年がいるなど信じられない』と」


 マジかよ……。


 女の誘いを断る男がいるだけで大泣きするって、周りはどうしようもない奴しかいなかったことじゃないか。何だか不憫だぞ。


 この時代の男はみんなそういうものだったんだろうか?


「それで、是非に連れてきてほしいということで」


「そうですか……」


 さっぱり分からないが、皇后から好感を持たれているらしいというのは悪い話ではない。昨日の女は皇帝のお気に入りなのだろうが、さすがに皇后には敵わないだろうから、な。


 この予感はまさにその通りのものとなる。



 昨日のテュイルリー宮殿に続いて、今日はルーブル宮殿。


 本当に欧州中の宮殿を網羅する勢いで、俺は各地の宮殿を回っている。


 中に案内されて、皇后の待つ部屋へと向かう。


 昨日の部屋は色気塗れの空間だったが、ここは白を基調とした品位のある空間だ。宮殿の部屋はやっぱりこうでないと、な。


「其方がギャルソン・ジャポネか?」


 俺への呼び方は同じなのね。声の方向を見ると。


 おおう、この人も美人だ。歳は二十五くらいかな、昨日の姉さんよりは年上ぽいがケバくないからそんなに変わらなく見えるな。皇后だから、当然ドレスの装いもシックというかお洒落な感じだ。昨日のなんちゃら伯爵夫人は色気一辺倒だったからな。


「はい。日本から来たリンスケ・ミヤジと言います」


 俺の名前は宮地なんだけど、こっちの人はみんな「みやち」って呼ぶんだよな。


「昨晩の話を聞き、感心いたしました。フランス皇后ウージェニーです」


「いやぁ、日本では、間男は最悪死刑ですからね。そんな、誘われたからホイホイ乗るなんてことはないですよ」


 実際には、そんなことはないんだが、一応日本のルールということにしておく。


「何という素晴らしい国なのでしょう! 私もそんな国に生まれたかった」


 結構マジな顔で言っているから恐ろしい。よほどナポレオン3世に酷い思いさせられているんだろうな。


「い、いやぁ、でも、日本も問題は一杯ありますよ」


 松陰が以前リンカーンに言っていたが、日本の女性はほとんど自由がないからな。近親の男の指示に従わなければいけない問題がある。


 ウージェニーは大きな溜息をついた。


「私も、フランスの女です。浮気の何もかもを許容しないほど狭量ではありません」


「あ、そうなの?」


「しかし! 陛下は! 下賤な、男と見れば誰とでも相手するような女ばかり相手にしているのです! そんなことでは隠しようもないし、妻である私まで馬鹿にされる始末! 悔しい、本当に悔しい! 浮気するな、なんて言わないわ! もうちょっと相手を選べ!」


 ひぇぇ。


 魂の叫びって、こういうのを言うんだろうな。


 マンガに滝のような落涙があるが、そんな勢いで泣きながら叫んでいる。


 そもそも俺みたいなのにそんなことを言ってしまっていいんだろうか。


 でも、この話しぶりだと多分ナポレオン3世の酷さはみんな知っているんだろうな。バーティーだって、後々にはほとんどみんな知ることになるわけだし。


「……ふう、叫んだらスッキリしました。今回の件で、万一陛下に文句を言われたなら私のところに来なさい」


「とりなしてくれるんですか?」


「当然です。他にも力になりますよ。代わりに、間男が死刑になるという規則についてもっと教えてください」


 昨晩の件は何とかなりそうだが、この皇后は皇后で何だか怖いな……。



 後で女官に聞くと、ナポレオン3世は一応皇后に悪いという意識はあるらしい。この点では罪悪感なんてカケラもなかった後のエドワード7世よりマシだ。


 ただ、脳と下半身が別の生き物になっていて、完全に飛びついてしまうということらしい。で、罪滅ぼしにということで、皇后に色々な権限を与えているのだとか。


 だから、皇后ウージェニーはその気になれば色々なことを決めることができるし、皇帝も余程のことがなければ逆らわないんだとか。


 ……困ったものだね、全く。


 ともあれ、俺のパリでの活動は、皇帝ではなく、皇后のサポートを受けて始まることとなった。



「ちなみに皇后陛下は31歳です」


「マジ!? 25くらいかと思った!」

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