第3話 燐介、サルディーニャ首相から警戒される①

 ヴェネツィアでのビリヤードから一週間後。


 俺はヴェネト・ロンバルト王国の都にあたるミラノに移動してきていた。



 ミラノ。



 北イタリア最大の都市であり、ルネッサンスから今にいたるまでヨーロッパにおける文化の中心地の一つである。


 スポーツ好きの俺にとっては、ミラノというとサン・シーロの名前で親しまれている世界最大のサッカースタジアムの一つスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァだが、あれは20世紀に建設されたものだから、当然ない。


 だから、その象徴としてはスカラ座ということになるだろう。俺はオペラには興味がないが、その俺でも知っているくらいの場所だからな。


「スカラ座はイタリアともフランスとも近いからね。世界中のオペラが演劇できるという強みがあるかな」


 マクシミリアンの説明に追加すると、ミラノはずっとオーストリアの支配地域だったので、ドイツ系のオペラを想定して建築された。そこに地理的な要因でフランスやイタリアのオペラも演奏することを考えているからオールマイティーということらしい。


「ただ、明後日の演劇はヴェルディの『ナブッコ』か」


 マクシミリアンが渋い顔をしている。


「何か問題でもあるんですか?」


 ジュゼッペ・ヴェルディの名前は知っている。ヴェルディに、リヒャルト・ワーグナー、ジャコモ・プッチーニあたりを加えた3人が19世紀の代表的なオペラ作家だろう。ただ、その曲が何であるかということまでは知らない。


 フィギュアスケートの演奏曲にはオペラの曲がよく使われている。その時々で「なるほど」と覚えるは覚えるも、しばらくすると忘れているといった具合だ。


「この劇は、とにかく民族主義的でねぇ。イタリア独立などの過激派とも繋がりかねないんだよね」


 マクシミリアンは自由主義には同情的ではあるが、ただ、独立までは行きすぎと考えているらしい。まあ、独立されたら大きな失点になって、彼の目標であるどこかの国の王という目標が遠のいてしまうのも大きいのだろうが。


 こういうあたり、マクシミリアンの考え方には結構我儘というかいい加減なところがある。史実でダメだったのはこのあたりかもしれない。


 とはいえ、俺はこうした話題に深く突っ込むつもりはない。当事者達に任せておくのがいいだろう。


 そう思ったのだが、その認識は甘かった。


 こちらが考えることを、向こうも同じく考える保証がないということを、俺はすっかり忘れていた。



 マクシミリアンは、『ナブッコ』を巡って警備当局と打ち合わせをすることになった。


 俺はその場に居合わせても仕方ないので、ミラノを散歩することにした。


 これがまずかった。10分も歩かないうちに、後ろに四人か五人の男達がくっついていた。背中に何かを押しあてられてイタリア語で何か言われる。イタリア語は分からないが、「動くな」に類することを言われていることは明らかだ。


 マクシミリアンに指示された警備の兵士がついてきていたが、あいつら、全く見て見ぬふりをしてやがる。買収されたのだろう。


 やばいことになった。総司もいないし、この状況を一人で打開することはできない。


 もしかしたら、俺はこの場で殺されてしまうんだろうか。


 後悔先に立たずという。こんなに不用意に動くのではなかったという思いが強い。



 男達は近くに止めてあった馬車に俺を乗せた。


 馬車はそのまま西に向かうようだった。拳銃らしきものを突き付けられているので、声も出せない。


 やばいな。人生詰んでしまったんだろうか。


 唯一の救い……というより、無理矢理ポジティヴな要素を見つけるなら、男達が「静かにしていれば、何もしない」的なジェスチャーをしていることだろうか。



 馬車に揺られる二時間ほどは、とてつもなく長い時間に感じられた。



 唐突に馬車が止まった。「出ろ」と言われて外に出る。


「手荒な真似をして申し訳ありません」


 英語で話しかけられた。見ると、細身の男が一人いる。


「あ、私は首相の通訳です」


 俺が視線を向けると、細身の男が答えた。その後ろから「悪いね、英語は得意じゃないんだ」と少したどたどしい英語がかけられる。


 細身の男の後ろには、小さい眼鏡に威圧的な視線の小太りな男がいた。『新世紀エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウが太ったらこんな感じだろうか。


「ピエモンテ王国首相のカミッロ・パオロ・フィリッポ・ジュリオ・ベンソです」


「ピエモンテ王国の首相?」


 というか、誰なんだ?


 ひょっとしたら名前くらいは聞いたことがある人物なのかもしれないが、名乗った名前が長すぎて、聞いてもさっぱり分からん。


 俺が首を傾げていると、本人が追加してきた。


「一応、カヴール伯爵カミッロ・ベンソで通っている」


 カヴール!?


 あの、統一イタリア王国初代首相のカミッロ・カヴールか!?


「どうしても君に聞きたいことがあって、無理に連れてきてもらった。悪いことをしたとは思っている」


 いや、本当に悪いよ。殺されるかもしれないと思ったわけだし。


 ただ、王国の首相が俺に一体何の用なのだろうか?

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