第2話 燐介、後のメキシコ皇帝と五輪を語る

 その日の夜。


 俺はヴェネツィア・サンマルコ広場のすぐ近くにあるパラッツォ・コルネールの遊戯場ゆうぎじょうでビリヤードに興じていた。


 何せ、暇そうにしているとエリーザベトから「暇なら女の一人でも」とか言われかねない状況である。ガキっぽく遊びに興じている方が良さそうだった。


「中々やるね……」


 そんな俺に付き合ってくれるのは、ここヴェネツィアの領主である。


 領主というから、ヴェネツィア市長かと思っていたらとんでもなかった。


 ここロンバルド・ヴェネト王国の国王はオーストリア帝国皇帝でもあるフランツ・ヨーゼフである。ただし、彼はウィーンにいて、ヴェネツィアや都のミラノまで来ることはほとんどない。


 国王が不在なので、副王が置かれていて、その副王が目の前にいる人物というわけだ。


 フルネームだとものすごく長いので省くが、名前はマクシミリアン。


 皇帝フランツ・ヨーゼフの弟である。



 オーストリア皇帝一家は色々複雑だ。


 実質的な最高権力者は皇太后ゾフィーである。優秀にして怖くて、格式にうるさいおばちゃんだ。格式にうるさいから、ハプスブルクに歯向かうイタリアやハンガリーなどは許されないものと思っている。


 その長男で皇帝フランツ・ヨーゼフは基本的には母の価値観に近い。ただし、妻のエリーザベトのことだけは本当に好きで、嫁姑対決に心を痛めているし、嫁のワガママもなるべく聞き入れている。


 エリーザベトはとにかくゾフィーが嫌いで、イタリアやハンガリーに同情的だ。


 で、フランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンはというと、兄への対抗心もあってか、堅苦しい風潮を嫌い、自由主義に親しんでいる。考え方としては皇后エリーザベトに近い。


 ところがつい先日このマクシミリアンと結婚したシャルロッテはというと考え方が皇太后や皇帝に近い。正確には、兄嫁エリーザベトへの対抗意識があり、「私の夫は、あんな女の夫より勝っていますわ」と思っている。対抗意識があるからエリーザベトと真逆の価値観なのか、あるいは元々真逆の価値観だからより対抗意識を燃やすのか。そこは卵と鶏の話となるわけだが。



 と、まあ、こんな皇帝一家の内実をマクシミリアンから聞かされた。



 俺としては、格式張る方がいいのか、自由主義がいいのかは、正直分からない。


 歴史の流れとしてみると、結果的にハプスブルク家の帝国は消失したのだから、自由主義の方がいいのだろう。しかし、幕末の日本と同じで、人の生死がかかるような話に首を突っ込みたいとは思わない。


「君のように、遠い日本からここ欧州までやってくる行動力は凄いと思うよ」


 マクシミリアンがボールを打ちながら言った。


 そうか、エリーザベトが好意的なのは俺がハンガリー人みたいな風貌をしているだけではなく、好き勝手している(ように見える)生き様にあるのかもしれないな。


 マクシミリアンは才能も意欲もあるが、皇帝の弟ということで色々と制約が多い。俺のような好き勝手やっている者が羨ましく見えるのかもしれない。


 もっとも、俺から言わせてもらうと「あんた達は何一つ不自由しない、贅沢な暮らしをしているじゃないか」ということにもなるのだけど。



 政治という点では俺は何かの思想に立ちたいとは思わない。


 ただ、スポーツという点では自由主義の方がいいのだろうとは思う。


「バーティーから聞いたと思うけど、俺はオリンピックを復活させたいんだ」


 こう言いながらボールを打つと、マクシミリアンも頷いてくれる。


「……古代ギリシアは自由と民主の世界だったと聞いている。その象徴としての大会を行うのはとても素晴らしい考えだと思うよ。ギリシアの人達も多分喜ぶんじゃないかな」


 ギリシアの人達が喜ぶ、というのは、ギリシアはこの27年前にオスマン・トルコから独立を果たしたことを指している。独立してそれなりの時間が経っているが、まだ確固たる自信のないギリシアにとって、国内でオリンピックを開催できるとなれば国際社会に対するアピールとなるからだ。


 何せ21世紀の現代だって多くの国がオリンピックを開きたがるわけだから、な。


「私も、どこかに国を貰えればオリンピック構想に協力したいのだがね。小さくてもいいんだよ。自分の国を持ちたいんだ」


 副王なんかじゃダメなんだよ。マクシミリアンはそうぼやく。


 確かに、副王という立場だと、最終決定権は兄フランツ・ヨーゼフが握っている。兄に「これはよくない」と思われたら、ひっくり返されてしまうし、副王の地位だって奪われてしまう可能性がある。


 要は、思うような国政運営ができない、ということだ。


 マクシミリアンはまあまあ有能、何なら兄より出来るという評判も多いらしいから、この現状は気に入らないことだろう。


「そうですね。その時はお願いしますよ」


 そんなマクシミリアンに対して、俺は曖昧な応援しか出来ない。


 何故なら、マクシミリアンの思いに対して、歴史がどのような答えを用意したかを知っているからだ。



 自分の国が欲しいと思い続けたマクシミリアンは、フランス皇帝ナポレオン3世の要請を受けて、新大陸メキシコの皇帝となり、メキシコまで赴いた。


 しかし、この皇帝就任は大失敗だった。


 理由は幾つもある。ナポレオン3世は一部の現地勢力の要請を受けて強行したものだったが、それはメキシコ全体の中では僅かな支持しかなかった。


 また、北の大国アメリカのこともある。皇帝就任前後は南北戦争で混乱していてメキシコに口出しすることができなかったが、戦争が終わるとフランスがメキシコに介入することにはっきりノーを突き付けた。


 更にフランスの問題があった。この頃からプロイセンと対立するようになり、とても遠い中米の面倒を見る余裕がなくなってしまっていた。


 だから、あっさり支援を打ち切ったというから酷いものだ。



 孤立したマクシミリアンは一現地勢力に敗れて捕虜となり、そのまま処刑された。


 1867年、ちょうど江戸幕府が終わりを迎えた年のことである。

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