第6話 一太、江戸での日々
その日の夜は御影の嘉納治郎作様への書状をしたためて過ごした。
翌朝、松陰先生は毛利家上屋敷へと出頭していった。おそらく、そのまま萩へ戻ることになるのだろう。
私は試衛館へと出向くことにした。この後、下田に戻ってタウンゼント・ハリスと話をしなければならないが、その間の護衛がまた必要になる。
市ヶ谷の試衛館に赴くと、まだ朝が早いというのに多くの門弟がいて熱気がある。
商人に生まれた私は、これまで剣術にまともに取り組んだことがない。
だから、彼らの迫力を見ているだけで圧倒されそうだ。
「おっ、山口さんじゃないか。おはようさん」
嶋崎が出てきて挨拶をしてくれた。門弟たちを一度呼び寄せて私を紹介してくれる。
「この人が、二年前に沖田総司とともにアメリカに行った山口一太先生だ」
「せ、先生?」
商人出身の私であるから、先生などと呼ばれたことがない。だから、随分とこそばゆい。
と、大柄な男が近づいてきた。
「沖田はアメリカでも剣の修行をしておったか?」
西国訛りの言葉だが、さすがにどこの地域までは分からない。嶋崎が楽しそうに笑って紹介してくれる。
「この男は、岡田以蔵といって、試衛館の助っ人の一人で、ね。以前、総司と立ち会って負けたことがあるから、雪辱を誓っているんだよ」
「そうなんですか」
「わしはここで更に強くなった。いずれは総司を超えてみせる」
以蔵が力強く主張している。
総司は時々剣の訓練みたいなことをしていたが、時間の問題もあるし、船の中では暴れられない。この二、三年で見るとそれほどしっかりとした修行はできていないのではないだろうか。
背丈も以蔵の方がかなり大きい。
本当に再戦するなら、総司は苦労するのではないだろうか。
門弟たちとの会話が一段落すると、私は嶋崎に下田に向かうことと護衛の件を説明した。
「今現在は
謝礼のことを話すと、嶋崎は「それはいいよ」と謝絶した。
とはいえ、これに関しては気前の良さというのではないらしい。
「実は昨日、幕閣の人から受け取っていてね。あんたから受け取ると、二重取りということになってしまう」
そう笑いながら言った。
「試衛館としても、山口さんの護衛ができるのは評判になるから悪いことではない。今回も永倉と俺がついていくことにするよ。おっと?」
入り口の方が騒がしい。
ややあって、「全く、女どもがうるさくて仕方ない」と愚痴をこぼしながら入ってきた男がいた。顔をあげると、これが非常に男前だ。
「うん? 誰だ、この俺より弱そうな奴は?」
相手が私に気づいて、楽しそうに言う。
「彼が山口さんだよ」
嶋崎の紹介に歳と呼ばれた男が「へぇ」と驚き、口笛を吹いた。どうにも軽薄な男という印象を受ける。
「あぁ、悪い。俺は土方歳三と言って、この試衛館の参謀を務めている男だ」
「おい、俺は歳に参謀を任せた覚えはないぞ」
嶋崎が苦笑しながら、「まあ、仲良くしてくれ」と言っている。
彼が総司の言っていた「女にもてる土方さん」というわけか。
「そうだ山口さん、あんた、総司だけじゃなくて宮地燐介とも一緒だったんだろ?」
「はい」
「燐介について知りたがっている人がいるんだが、ちょっと付き合ってもらえないかね?」
「それは構いませんが?」
一体、誰だろう。燐介は土佐の出身だと言っていたから、土佐の誰かなのだろうか?
土方の案内で築地の方へと向かう。
「燐介はあからさまに変な奴だったが、おまえさんはそうではないみたいだな」
「確かに、燐介は誰も知らないようなことを知っているということがよくありました」
「そうそう。一体何なんだろうな、あいつ」
燐介のことを含めた雑談をしながら向かう先は築地の方であった。更に歩くこと、またも道場にたどりついた。
土方が「お嬢様に、例の件でと話をしてくれ」と門人に話をした。
そのまましばらく待っていると、「土方様」という女の声がした。
私は思わず目を見張った。裏口から、また綺麗な女性が出てきた。
「よう、佐那さん。こいつが燐介と一緒にアメリカに行っていたという山口先生だ」
「初めまして、千葉佐那と申します」
「あ、ど、どうも。あの、燐介とはどのような関係で?」
私が尋ねると、土方が笑う。
「山口さん、男を心配する女に『どんな関係ですか?』なんて聞くもんじゃないよ。なあ、佐那さん」
「えっ、そ、そういうわけでは……」
笑う土方に、佐那は少し頬が赤くなっている。
燐介め、子供と思っていたら、まさか私と同じくらいの女子とそんな仲になっていたとは、隅に置けない奴だ。
「あの、燐介は他人に迷惑をかけることなくやっていたのでしょうか?」
「えっ? まあ、それは大丈夫ではないかと思いますが」
燐介が変わった奴であるのは間違いない。しかし、アメリカやイギリスでは、むしろ彼のやり方が一番しっかりしていたのではないか、とも思える。彼がいたから、私も松陰先生も、沖田総司も生活できていけたことは間違いない。
「元気でいるのでしょうか?」
「そうですね……。半年以上前に、ロンドンで別れてしまいましたから、今現在のことは分かりませんが、それまでは元気でやっていましたよ」
「そうですか」
佐那はホッとした顔をした。
その顔を見て、私は初めて、燐介のことを妬ましいと思ってしまった。
安政二年が終わり、三年へと向かう中。
私はしばらく下田と江戸を行き来しながら過ごすこととなった。
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