第13話 バーティー、世界一のレースを提案する①

 それから二日は何事もなく過ぎていった。


 宮殿からの連絡はない。どうやらあれ以上の問題にはならなかったようだ。


 また、新聞記者も東洋の客人という話題に飽きたのだろう、ぱったりと来なくなってしまった。


 つまり、俺達に自由な時間が出来たということになる。


 一方で松陰と山口はそろそろ帰国のことも考えなければいけない。


 となると、今日あたりロンドン市内の散策をしよう。四人で回れる日数も残りわずかだからな。


 そう思ったのであるが……。



 残念ながら、そういうことを考えると事件は起こるものである。



 その日の朝、ホテルの玄関で、デューイとカードゲームをしていると、ベルが鳴った。


「失礼します。ここにリンスケ・ミヤーチという人はいますかな」


 聞き覚えのある声が玄関からしたので、入り口を見る。


「あれ、あんたは……」


 三日前にクリケット会場で会ったラグビーの創始者ウェッブ・エリスの姿がそこにあった。今日はこの前より、更に堅苦しいスーツ姿である。


「ああ、こちらにいらしたんですね」


 にこやかな顔で近づいてきて頭を下げた。相変わらず物腰の低い男である。


 しかし、俺に用というのは何なのだろう?


 ラグビーについての情報を持ってきたのだろうか?


 そうではなかった。


「ある人から言伝を頼まれましてね」


「ある人?」


 俺は疑問形で答えたが、ここロンドンで俺達に言伝を頼みそうな人間なんてマルクスかバーティーの二人しかいない。


 エドワード7世かカール・マルクスの二択というのも世界史的にはすごい取り合わせだ。令和の日本で言ったら、全員が「何の冗談だ?」という顔をしそうだ。


 更に言うと、マルクスが頼むならエンゲルスだろうから、エリスが来た以上バーティーしかありえない。


 前回、オックスフォード大学に王子が行くかもしれないということを言っていたし、大学繋がりの関係があるのかもしれない。


「15時にローズ・クリケット・グラウンドに来てほしいということです」


「15時?」


 今が朝の9時だから、大分余裕はある。


「分かった。だったら、松陰や総司を……」


 呼びに行こうとした俺を、エリスが止める。


「いえ、リンスケ一人に来てほしいと言っていました」


 何? 俺一人に……?


 一体どういうことだ?


 訳が分からない。


「俺一人だけで行くの?」


「いいえ、私に案内してほしいと」


「ふうむ……」


 正直、奴の考えがさっぱり分からないが、プリンス・オブ・ウェールズの呼び出しを断るというのはさすがにまずそうだ。俺は「分かった」と了承した。



 昼ご飯までに松陰に事情を説明し、俺は午後、エリスが再度来るのを待つことにする。


 ちなみに松陰は総司と山口、デューイを連れてロンドン見物に行くことにしたらしい。俺も同行したかったが、仕方がない。


 一人で待っていると1時過ぎにエリスが現れた。俺は彼の案内を受け、馬車でローズ・クリケット・グラウンドに向かう。


 今日は試合がないようで閑散としている。絵画や美術品の類も持ち込まれていないのでランチ会場も質素なものだ。


「殿下、お連れしましたよ」


 建物の隅に倉庫があった。そちらに向かい、エリスが声をかける。


「サンキュー」


 積み重ねてあるバットなどの道具の中からバーディーが現れた。


 何でそんなところにいるんだよ。お前はスパイか忍者なのか?


「……俺に何か用でしょうか?」


 この前の掛け金のことだろうか?


 違うようだった。


「ああ、俺はまたしばらくこの国からおさらばするだろうからな。別れの挨拶くらいしておこうかと思って」


「この国からおさらば?」


 ということは、英国を出るということか?


 プリンス・オブ・ウェールズが国を出る、ちょっと話が飲み込めない。


「今回は多分イタリアかな。よく分からんけど、両親とも、俺がロンドンにいるのをあまり良く思っていないようだから、フランスに行けとか、イタリアに行けとかよく言われる」


「ほう、そうなんですね」


 国外留学ということか。


 いや、ひょっとすると一時的な国外追放扱いなのかもしれない。女王夫妻にしてみると、国内において何かやられると大問題になって困るから、外国に飛ばしておこうと考えているのだろう。


 ただ、イタリアなんかは色男の国ってイメージがあるぞ。


 そんなところに行かせるから余計女好きになったんじゃないだろうか?



 まあ、いいや。


「殿下は何で俺達の後をつけていたんですか?」


「ああ、それね。この新聞を見てさ、びっくりしたんだよ」


 唐突にバーディーが取り出したのは数日前の新聞である。そこに俺達の写真も掲載されていて、俺が「オリンピックを開催する」と発言した記事も掲載されている。


「オリンピックって、そういう発想があるんだなって。東洋からの奴がそんなことを言うなんてすごいじゃないかと気になったわけさ」


「そうだったんですか」


 まさか後の英国国王がオリンピックに真面目に感銘を受けていたとは。


 やはり何でも言ってみるものなのだな。


「俺は馬が好きだからさ、エプソムにもアスコットにも見に行くし、フランスのシャンテイイ競馬場も行ったんだけど、世界中の馬を競わせようなんて考えたことがなかったからな。この記事を見て、世界一のレースをやってみたいって思うようになったんだ」



 なるほど。馬好きだから、オリンピックの発想から世界一のレースをやろうと思いついたわけか。

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