第7話 松陰、全米一の知恵者と討論する③

「ミスター・リンカーン。手前はここに来るまでにこの国について色々学んできた。男であれば皆、この国の主導的な地位に登れるという制度には正直驚かされている。ミスター・リンカーンは奴隷制度を廃止すべきだという意見だということも理解した。ただ、その場合、現在、奴隷として働かされている者に同じ立場を認めるのかどうか、手前は率直な意見を聞いてみたい」


「……」


 おっ、リンカーンの表情が変わった。如実にょじつに渋い表情になってしまったな。


「……中々痛いところを突いてくるね。そこまで認めてしまうのはラディカル急進的すぎるのではないかと思っている」


 ほう。つまり、リンカーンは黒人奴隷に選挙権まで認めることはやりすぎだと考えているということか。


「それはミスター・リンカーンの理念ゆえによるものか、あるいは南部諸州への妥協点を探るゆえのものか?」



 松陰の奴、容赦なく突っ込んでくるな。


 日本人はこういうところで思い切り突っ込むことは少ないと思うが、良くも悪くも妥協するつもりがないんだろうな。



 さあ、リンカーンはどうする? 松陰に突き付けられた二択は痛いぞ。



 現在、リンカーンは奴隷解放のために南部と戦う政治家と目されている。だから、リンカーンが南部諸州に妥協していると思われるのはまずい。さりとて、理念として黒人が白人に劣後していると思い込んでいると見られるのもまた痛い。ここにいるのは俺達四人だけだから、敢えてすっとぼけるという手もあるが……


 リンカーンは「フー」と大きく息を吐いた。


「ハハハハ、東洋の国は我々の理念や弁論術など知るはずもないと思っていたが、私が間違っていたようだ。ミスター・ヨシダは幾つかね?」


「手前は25だ」


「素晴らしいね。君のような若者がいるとなると、日本はたいした国なのだろうな」


「ミスター・リンカーン。それは手前の求めている答えではないようだ」


「分かっているとも」


 うぉぉぉ、二人の間に火花が飛び散って見えてくるぞ。総司も山口も固唾をのんで見守っている。というか、山口は何もしていないんだが、何のために来ているんだ?


 リンカーンが水を飲んだ。


「私の理念だ。奴隷には教養など多くの面で問題がある。全く同じ権利を認めてしまうと、この国の伝統が破壊されてしまう恐れがあると考えている。だから、今すぐに認めることはできない」


「教養に問題があるのであれば、奴隷として扱われることも仕方ないのではないのかね?」


 松陰の奴、ぶっこんでくるなぁ。


「それは違う。奴隷という立場を認めてしまうと、どうなるか? 彼らには、教育その他の機会が永遠に失われてしまう。アメリカという国は元々イギリスでうまく行かなかった者達が機会を求めて旅立ち、出来た国だ。例え誰であろうとも、機会を奪うことは許されない。権利を認めないということと、機会を奪うということの間には歴然たる違いがあると考えている」


 リンカーンが一気にまくしたてるように言った。これはかなり熱くなっているなぁ。


 松陰はどう出るんだろう。俺達全員の視線が松陰に注がれる。



「……相分かった。失礼な物言いをお許しいただきたい」


 おぉ?


 松陰が頭を下げて、そのまま机の上の紙の署名欄に署名をした。リンカーンもちょっと驚いているぞ。


「率直な物言いに感服仕った。手前ごときが言うことではないと思うが、ミスター・リンカーンは思うままに行動をされるのが一番いいと思った」


「ハハハ、ありがとう。君のような人物にそう言われると心強いよ」


 リンカーンは快活に笑った。多少の世辞はありそうだが、本音も混じっていそうな感はあるな。その証拠に続いて日本のことを尋ねてきた。


「日本では、奴隷のような存在はいるのかね?」


「公的にはおりませんな。これは手前の理想論でありますが、日ノ本は天皇という頂点の下では、全員が平等であるべきだと考えております」


 松陰は尊王の立場だからな。天皇が頂点に来るのは仕方ないだろう。これを後にバリバリの佐幕派になるはずの沖田総司の前で言うのはどうかと思うのだが。


「フム、イギリスに近い形だね。かの国は国王が特別な存在として頂点に君臨している」


 確かにね。日本の皇室もそれを意識しているのか、イギリス国王の一族とは伝統的に仲がいいからな。


 ただ、明治の日本はイギリスほどの余裕はなく、もう少し君主大権がある国を望んでいた。結果として、ドイツ帝国の方を参考にすることになったんだよな。


 ま、それは、今は関係のないことだ。


「ただ、手前がこの国に来て思ったのは、日ノ本の女性はこの国とは比較にならないくらい立場が弱いということです。実は私にも妹がおりますが、私の一存で相手を決めることもできるような状態だ。この国ではそうはいかんでしょう」


 そういえば、史実では、妹の文を無理矢理弟子の久坂玄瑞くさか げんずいに押し付けていたな。



 とりあえず、リンカーンと松陰は分かり合えたようである。


 それは良かったのだが、リンカーンが松陰のことを気に入って、自分の事務所で仕事をしてみないかと言い出したのは誤算だった。尊王攘夷の天才・吉田松陰がリンカーンの影響を受けて共和主義者になったりしたら、日本の歴史が大きく変わるのではないだろうか?

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