第8話 シカゴでの日々

 松陰が署名をした書類は、リンカーンと修正をしたうえで早速全米の新聞に掲載されることになった。


 修正点というのは、松陰が言っていた「日本は天皇の下に平等である。だから奴隷などという発想はない」というような言い分だ。ただ、アメリカの人達の多くは日本のことを知らない。彼らはこれを恐らくイギリス国王として解釈するだろう。


 対抗意識というか劣等感を持っているイギリスを引き合いに出して、「アメリカ南部のやり方はそれに負けている」というのだから、これ以上の侮辱はない。南部の人間が怒り心頭になっている様子が目に浮かぶ。


 それと同時に、これが日本に知られたらどうなるかということも頭をよぎる。「天皇の下に皆平等」ということは江戸の将軍の権威を無視するに等しい。多分、江戸は大噴火することだろう。今の江戸に、アメリカの新聞の情報が伝わるとは思わないが……。


 あー、嫌だ、嫌だ。



 リンカーンの事務所はスプリングフィールドにあるが、俺達は外国から来た客人という扱いである。それなりの都市にいてもらいたいという要請があるらしく、そのままシカゴに滞在することになった。


 幸か不幸か? 取材の類は松陰が受けることになったので、俺と総司はボールをもってシカゴの街並みでバスケットボールに興じる。シカゴは多くの競技で伝統のあるチームが多いが、世界中の人が知っているチームとなると、マイケル・ジョーダンを擁したシカゴ・ブルズだろう。


 だからバスケットである。



 もっとも、バスケットボールという競技はこの時点ではまだ生まれていない。


 バスケットボールは他の競技と違い、考案者がはっきりしていること、成り立った年代がはっきりしているという点に特質がある。


 例えばサッカーなんかは欧州のヴァイキングがやっていた遊戯ゆうぎ発祥はっしょうであるとか、中国の蹴鞠けまりが発祥であるとか、多種多様な説がある。


 野球はおそらくアレクサンダー・カートライトの作り上げたものが近代野球の礎ではあるだろうが、その原点はというと、クリケットという説もあるし、イギリスで行われていたラウンダーズという競技だという説もある。


 要ははっきりしないわけだ。


 ところがバスケットはその点がはっきりしていて、作られたのは1891年で疑いがないし、考案者もジェームズ・ネイスミスで間違いない。


 マサチューセッツ州の大学で体育教師をしていたネイスミスは冬場に学生達に球技をさせたい(マサチューセッツは北の方にあるので冬に屋外競技をやるのは難しい)と考え、考案したのがバスケットボールで、この時考えられたルールと現代のルールとの間に差異はほとんどない。


 だから、今でも大学バスケの最優秀選手にはネイスミス賞が贈られることになる。




 と、少し話がそれたが、俺達はそんなバスケットボールを35年先取りしてやっている。もちろん、大々的に広めるつもりはないけれど。


 バスケットの面白いところは、リングを一個作ることができれば(これが人力では結構難しいのだけれど)、一対一で簡単に楽しめる点だ。


 もちろん、運動能力は総司の方がかなり上だが、バスケット知識と駆け引きには俺に一日の長がある。少し距離を置いたところからのシュートなどで牽制ができるというわけだ。


 数日くらいは俺と総司でやり続けていたが、次第に俺達の様子を見ていた子供達が休憩中や、俺達がいない時間帯に同じことをするようになった。一か月もすると、別のリングも作られていて、数十人以上の子供がバスケットに興じるようになった。


 さすがに想定外で歴史に影響するかもしれない。点数や試合形式のルールまでは教えていないから、ネイスミスが消されることはないと思うが、やはりやりすぎると問題が出て来るのかもしれないなぁ。



 そんなこんなで過ごしているうちにペリーが海軍を退役するというニュースがシカゴにも流れてきた。


 半ば騙すようなところもあったが、ペリーは俺達をアメリカまで連れてきてくれた恩人ではある。だから、その退役の場には立ち会いたいし、この後、ペリーが記す日本についての回顧録の情報も提供したい思いがある。


 ただ、ちょっと問題があるのは政党の問題だろうか。今や俺達の親分ともなっているリンカーンは現時点ではホイッグ党であり、大統領になる時は共和党だ。一方のペリーは海軍軍人なので党派を鮮明にはしていないものの、以前触れた義理の息子であるオーガスト・ベルモントは民主党の重鎮である。


 リンカーンと仲良くやっている俺達を、民主党に近いペリーが快く思わない可能性はありそうだ。



 ただ、自由になったペリーには色々聞きたいことがあるし、オーガスト・ベルモントとの渡りもつけたいという思いはある。


 そう思って、俺は松陰とリンカーンに話をしたが、直前まで考えていたことは杞憂に終わった。


「それは君達にとって重要なことだろう。ぜひとも行きたまえ」


 リンカーンはそう言って、快く俺達を送り出してくれたのである。


 考えてみれば、オーガスト・ベルモントも民主党の人間であったが、南北戦争の時には全力をあげて北部の勝利のために働いていた。その大統領が共和党のリンカーンであることは関係なしに、だ。


 俺は随分と狭い了見で行動していたらしい。


 いや、でも、21世紀の時代には了見の狭い連中が多いようにも思う。色々理由はあるのだろうけれど、な。

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