第25話 密航決行①

 それからしばらく、俺達は下田に滞在し続けていた。


 その間に、黒船は浦賀に現れ、横浜で日米和親条約にちべいわしんじょうやくが締結された話などが次々と伝わってくる。武士も町民も「えらいこっちゃ」と青い顔になる。鎖国が解かれたことにより、時代が大きく移り変わることを実感している者もいるのかもしれない。


「嶋崎さん、俺は武者修行に出たい!」


 いよいよ黒船が下田に来るという段階になって、沖田総司は近藤に打ち明けることにしたようだ。


 本音を言うと、あまり多くの人間に知られたくはないのだが、総司ほどの人間がいきなり不在となると、近藤にとっても迷惑だろう。これは仕方ないと言える。


「……一体、どこに行くんだ?」


 豪胆な印象がある近藤も、総司の突然の申し出には狼狽している。それはまあ、黒船が港にいる状況で「武者修行に出たい」となると、行く先で想像がつくのは一つだからな。


「俺は日ノ本を変えるような男になりたい!」


 総司が坂本龍馬のようなことを言っているのは困ったものだが、今更止めようがない。


「燐介」


「はい。何でしょう」


 困惑した顔で、近藤が俺の方を向いた。


「お前さん、一体総司に何をさせたいんだ」


「いや、俺は何もさせたくないんですけれど、総司の腕を評価する人はあちこちにいるものでして」


 近藤は腕組みをしてハァーと大きな溜息をついた。


「二人であの船に乗るわけか?」


「はい。すみません……」


「俺は別にいいんだがよ。総司は姉二人の末っ子だ。母や姉に泣きつかれると、俺もどうにもならねぇ」


「せめて、手紙くらいは書かせましょう」


「……そうだな」


 ということで、総司には母と姉宛てへの手紙を書かせることになり、それを近藤に持って帰らせることとなった。


「まあ、燐介が何か企んでいることを承知のうえで連れてきた俺の失態でもある。仕方ないわな」


 近藤は、総司の書いた手紙を眺め、諦観した様子で言った。


 近藤の承諾も得たので、あとは決行あるのみだ。




 そしていよいよ決行の日を迎えた。


 黒船は別地域に向かった二隻を除いて下田に滞在している。


 ペリーは幕府と締結した条約を今後どのように実施していくか、下田奉行しもだぶぎょうの組頭である黒川嘉兵衛くろかわ かへえと交渉しているらしい。



 松陰と山口の計画はこうだ。


 黒船は下田港に停泊しており、船員達が下田界隈かいわいをうろついている。その船員達に接触し、自分達が無害であることを示すとともに『アメリカに行きたい』という手紙を渡す。あとは、船の指揮官に話が行くことを信じて、弁天島から小舟で黒船に向かうというものだ。


 うーむ。


 大胆というか、無謀というか。


 思い立ったら即行動という、松陰らしいやり方ではあるが……


 これはいくら何でも無理だろう。



 ただ、これでも黒船に乗り込むところまではうまく行ったんだよな。


 となると、アメリカ兵と会った時に、俺と沖田とで別の接触を図るべきだろう。


「二つのルートがあれば、どちらかが成功するかもしれない」


 松陰と山口も自信はないのだろう。「それでいい」ということになった。


「大丈夫なのか?」


 総司が尋ねてくる。


「アメリカは幕府と条約を締結した。だから、幕府に無断で日本人を連れていくわけにはいかない。松陰にしても山口にしても、俺達二人にしても幕府の許可を受けていない。だから、普通なら拒否する」


「それじゃあ、俺達が行くことはできないということか?」


「普通の日本人ならな。幕府との関係とは別に、この日本人がアメリカの役に立つと思えば、連れていってくれる。そう思わせるために俺がいるってわけ」


「何だかよく分からないけれど、燐介に任せればいい、ということだな?」


「おう、任せておけ!」


 威勢よく答えたものの、果たしてうまくいくかどうか。


 とはいえ、ここまで来たらやるしかない。


 賽は投げられた。


 ルビコン川を渡るカエサルの心境だ。




 3月26日、夜半。


 俺達は松陰と山口の影に隠れてついていく。前の二人は郊外に出かけた兵士二人の後をつけていた。アメリカ兵の様子を見る限り尾行はバレているようだが、あまり不審がる様子もない。


 しばらくすると、二人が兵士達に近づいた。このタイミングで俺達も前の方に出る。


 松陰と山口は、アメリカの兵士の時計を褒めているようだ。そのうえで、こっそり手紙を渡し、「内密ないみつにしてくれ」と唇に指をあてる。


 兵士達はけげんな顔をしながらも、「分かった」というような態度を取った。



 そこで俺が一歩前に出る。



 と英語で言うと、兵士が「えっ」という顔で振り返った。日本のガキがいきなり英語を話したから驚いたのだろう。だが、ここからが本番だ。


「フランクリン・ピアース、ミラード・フィルモア、ザカリー・テイラー、ジェームズ・ポーク、ジョン・タイラー、ウィリアム・ハリソン、マーティン・ヴァン・ビューレン、アンドリュー・ジャクソン、ジョン・クィンシー・アダムズ、ジェームズ・モンロー、ジェームズ・マディソン、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムズ……」


 兵士達二人が「オーマイガー!」、「アンビリバボー!」と叫んでいる。


 それはそうだろう。自分達の国の人間すら知らないだろう歴代大統領を、日本のガキがスラスラ言うんだからな。


「and、ジョージ・ワシントン!」


 次いで、俺は黒船を指さして、伝わるかどうか別として英語で話す。


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