ギフトメッセージに書かせていただいたのですが、私は吉田松陰先生のファンでした。
高校の時の修学旅行は中国地方で萩にも行きました。お土産に松陰先生の銅像風のフィギュアや絵馬を買いましたが、あのフィギュアや絵馬の絵は写真も残っていないのに想像が元だったのか? と思いました。
作者からの返信
私は祖母の実家が萩にあるので、結構行ったことがあります。特に誰というのはなく、今回の話で改めて調べなおした部分もかなりあります(^^;)
グッズの絵柄はどうなんでしょうね~。西郷隆盛も写真が残っていないですが、知り合いに聞いたりして銅像を作ったそうなので、松陰先生ゆかりの人に聞いて作ったのかもしれませんね。
編集済
>途中、近藤と沖田は小さな道場を見つけると、交流試合を申し込んだりしていて、割と楽しい旅だ。
小田原藩や天領・旗本領の道場を徒歩で巡って交流試合。これはこれでのんびりしていいですね。試衛館組には嵐の前の静けさですが。
冬の選手権ですか、振り向くな君は美しいが脳内再生されます。
>御影師範学校
師範学校って今で言う教育大学、教育学部じゃないですか。中学・高校と同じ土俵ならそりゃ強いでしょ。
旧制教育制度は飛び級もあるし、学校の種類が多過ぎて分かりづらいなあ。
作者からの返信
他流試合も上位のところは色々制約あって厳しかったらしいですが、試衛館くらいだとあまり気にせずちょっとした停泊がてらで来たみたいなところもあるみたいです。
多分有意義なものだったのではないかと。
バスケットボールが最初に伝わったのも神戸だったみたいですし、昔の神戸は色々有利だったようです(^^;)