第9話  黒船来航し、江戸に向かう③

 かくして、俺と万次郎は以蔵その他五人の護衛とともに江戸への旅路についた。


 土佐から江戸へ行く方法というと、浦戸うらどから紀伊水道きいすいどうをというのが近道ではある。実際、当初はこのルートが使われていたらしいが、海の天候次第というところがあり、嫌われるようになった。


 結果として、令和時代の四国中央市……伊予方面への街道を作り、瀬戸内海を渡って陸路メインという安全重視のコースになったらしい。


 俺達も特別リスクを冒す必要がないことから、このルートで江戸へ向かうことになる。


 のだが……。




「おい、燐介。わしの草履を取ってこいや」


「……はい」


 鼻につくのは岡田以蔵の傲慢ごうまんな振る舞いである。年齢が二番目に下であるにも関わらず、自分が一番偉いかのような態度を取っている。歳が下の俺に至っては完全に下僕げぼく扱いである。


「わしは殿様に期待されておるのじゃ。仲良くなったらいい目見せてやるで」


 誰かが反抗的な態度をとると、こんなことを言いだす。


 確かに以蔵は土佐藩内の野球で活躍していて、藩主豊信も気に入っているようだが、調子に乗り過ぎである。



 こういう類は令和の時代にも存在している。小学・中学時代に大活躍をして、名門校から誘われたり、ニュースで取り上げられたりして天狗になる少年少女は少なくない。


 大抵はうまくいかない。十歳までは神童でも、成長期が他の子供より早かった、天狗になって練習をさぼった、などなどの理由で大人になるまで天才で居続けられるケースはほとんどない。なまじ天狗になっていただけに、鼻を折られた時に立ち直れなくなる者も少なくない。



 以蔵はまさに大天狗への道を歩んでいる。


 正直、一喝いっかつしてぶん殴ってやりたいが、困ったことに大人顔負けの体格をしていて、腕っぷしが強いから殴り合いでは勝てそうにない。それに俺は、あくまで万次郎付きの従者なので変なこともできない。


 忘れていけないのは、以蔵は歴史上では主人であった武市半平太のまずいことまでペラペラ話してしまったような口の軽い男だということである。


 だから、間違っても「おまえは未来では」みたいなことは言えない。俺が未来を知っているなどということを知られたら、日本中に広がるかもしれない。


「万次郎さん、あいつにビシッと言ってやってくださいよ……」


 だから万次郎に何とかしてもらいたいわけだが、俺がこう頼んでも、万次郎は困惑した顔で「そうは言うが、彼と喧嘩しても勝てないよ」と答えるわけだ。


 中々に憂鬱ゆううつな事態である。




 迷惑千万な話ではあるが、しばらくすると、以蔵は尊大だが修練にはひたむきであることにも気づく。


 早朝起きると、宿場しゅくばの中庭で素振りをしている。しかも、剣の振りと野球の振りと両方やっている。振りながらにんまり何か妄想しているのは不気味なことこのうえないが、夕方には周辺を走り回るし、筋トレにも励んでいる。毎日鍛錬を欠かすことがないのはたいしたものだ。


「わしは剣にも自信はあるが、剣が強いだけでは道場を持てんからの。殿様が取り入れた野球は今の生き甲斐なんじゃ」


 酒に酔うと(数え16の子供が酒を飲むなというのは土佐では通用しない)、こんなことも言いだす。


 数え16で生き甲斐も何もないと思うが、以蔵の言う通り、剣術の道場主は強いだけでなれるものではない。強さはもちろん、教える能力、慕われる度量なども必要となってくる。


 正直、以蔵は強さ以外の素養は恵まれていないし、道場を建てる金を揃えることも難しいだろう。だから、現時点で剣で生きていくということは考えづらい。



 もちろん、もう数年経てば、幕末の動乱期になって、剣だけで生きていくことも可能になる。実際に『人斬り以蔵』として生きていくわけだが、今の以蔵にそれを教えるわけにはいかない。



 そんな、将来の見えにくい状況にあって、野球という違う形で藩主に期待されているということは、以蔵にとって大きなモチベーションになっているに違いない。


 今後、豊信がどれだけ野球やラグビーを愛するのかは分からないが、以蔵はそれを信じて頑張っている。


「わしは殿様の見込みに答えられる男になりたいんじゃ!」


 酔っぱらった以蔵が叫んだ。



 これを聞くのは複雑だ。


 同じ時代を生きる土佐の小僧・燐介としては、下の階層から這い上がろうとしている以蔵を応援したい気持ちももちろんある。


 しかし、令和から来た燐の立場からすると、以蔵が好き勝手な人生を歩むのは困ることでもある。

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