第3話 渡米作戦・②
現れてきた若者は、慌てふためいた顔で俺に尋ねてきた。
「君は一体何者なんだ? この言葉をどうやって?」
現在の俺は数え十一歳の小僧だ。その小僧相手に対してここまで慌てるのだから、やはり相当な衝撃なのだろう。
説明が遅れてしまったかもしれない。
俺の目の前にいる若者は、令和風に言うとジョン
正しくは、万次郎という名前で、後に中濱という苗字を有することになって
10年以上前、船に乗ったところ遭難してしまい、何人かの船員とともに伊豆諸島の島である鳥島に漂着したと言われている。そこで何とかしのいでいたところをアメリカのクジラ漁船に拾われ、ハワイを経てアメリカに行き、アメリカのことを色々知ったという。
その時、アメリカ人達につけられた愛称こそ俺が手紙に書いたジョン・マン(John Mung)だったということだ。
その後、しばらくアメリカで過ごした後、日本に帰国せんと発起、ゴールドラッシュが起きていたカリフォルニアに行って資金を蓄え、遂に帰国の途についた。琉球にたどりつき、長崎に移され、そこで土佐藩の画家であった
アメリカの状況をつぶさに見てきた彼の知見は、河田によって書物とされ、江戸末期の大名や有力者に大きな影響を与えた、ということだ。
そうした経験が評価されて、黒船来航の時にアメリカ通として幕府に招聘され、その後幕臣として仕えることになった。
その万次郎が、俺を目の前に大いに慌てている。
もちろん無理からぬことだろう。ジョン・マンという名前は、万次郎がアメリカでつけられた愛称だ。河田等ごく少数の者が知ってはいるが、俺のような小僧が知るはずもないことだ。
それに、俺が手紙に書いたのは中学校レベルとはいえ、間違いなく英語である。河田小龍は万次郎と長い時間を共にして英語をある程度覚えたというが、他に英語の文章を書けるものは土佐にはいないはずだ。
だから、彼としてみると、「何故、こんな小僧が英語の文を書けて、しかも自分のアメリカでの名前を知っているのだ?」という驚きになる。
万次郎の存在は、幕末の土佐からアメリカへの唯一の架け橋と行ってもいいだろう。だから、これを大いに利用したいので、アタックをかける。
「俺はアメリカに行きたいんだ」
「何? 何故、アメリカのことを?」
ここで俺はニヤリと笑って答える。
「俺は、万次郎さんと同じくらいアメリカのことを知っているよ?」
「何だって!?」
万次郎は露骨に動揺している。
俺はアメリカに行ったことはないので、同じくらい知っているとは言えないのだろうけれど、相手が驚いている間に一気に自分のペースに持っていきたい。
「実はね、来年、アメリカの軍艦が日本に来るはずなんだ」
万次郎は両手に両頬にあてて、天地がひっくり返ったかのような驚きの仕草をした。
「な、何だって!? まさか、開国を要求するつもりなのか?」
こちらが申し訳なくなるくらい慌てている。
「そう。指揮官はマシュー・ペリー。江戸だとペルリと呼ばれるかもしれないけどね。知っている?」
「いや、知らないな……」
「万次郎さんは、アメリカ船が来たら幕府から呼ばれるはずなんだ。もしも、提督の名前がペリーだったら、俺も江戸に連れていってほしいんだ」
俺の言葉に、万次郎は厳しい視線を向けてくる。視線を向けてくるだけで無言だ。色々考えているのだろう。
どのくらいの時間考えたのか、万次郎が重々しい様子で口を開いた。
「分かった。その通りならば、君も江戸に連れていくとしよう」
お、話が早いな。
「その代わり、何かが違うようであれば、吉田様に頼んで君に相応の処罰を加えてもらうことにする。子供だということは関係がない」
おっ、ちょっと怒らせてしまったか、かなり機嫌が悪いようだ。
「うん、構わないよ。ただ、それが明らかになるまでは吉田様にも内緒でいてもらいたいな。そうでないと、万次郎さんの知らないことを色々と話してしまうかもしれないから」
俺も負けじと強気で回答すると、露骨に慌てた顔になった。
「き、君は一体何を知っているんだ?」
「それはもちろん秘密だよ。じゃあねー!」
こうして、俺は黒船来航時に、江戸へ行ける手はずを整えることができた。
あとは一年間、英単語を忘れないようにすることだけだ。
幕末だけに参考書もないし、単語帳もない。中々苦労するなぁ。
万次郎に教わりたいところだが、これだけ謎の男っぽいアクションを起こしたうえで「すみません、英語を教えてください」というわけにもいかないし、しばらくは我慢するしかないかな。
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