第2話 渡米作戦・①

 嘉永かえい五年、西暦で言うなら1852年の年の瀬。


 俺が江戸末期の土佐に転生して十年が経った。


 幸いなことに、生まれ変わった先でも燐介という元の名前と似た名前を貰った。名前も宮地でそのままだ。


 俺の生まれた宮地家というのは、坂本龍馬の坂本家と親戚関係にあるらしい。


 どういう理由かは分からないが、龍馬とその姉の乙女もたまたま生まれた時に居合わせていたらしい。


 それから十年、積極的に出て行くことはないが、親戚付き合いの中で坂本一家と顔を合わせることも多い。



 さて……


 俺は部屋で改めて今後の方針を考えていた。


 前世の記憶まで有しているのかはともかくとして、胎内の記憶など、幼児が特殊な記憶を有していることはままあるらしい。


 ただ、そういうのは七、八歳。遅くとも十歳くらいには消えてしまうこともあるということだ。


 俺の場合はどうなのか。


 既に十歳……、この時代は数えなので十一になるが、今のところ、ほぼ全ての21世紀の記憶を有している。


 山口のような幕末維新大好き人間ではないから、物凄く詳しいとまでは言えないが、幕末がどう展開したかということを覚えている。もちろん卒論にしたテーマ……19世紀のスポーツについても刻銘に記憶している。


 忘れてしまうのなら、幕末の人間として生き直すことになるのだろうと漠然と思っていたが、それはなかった。



 つまり、これからどうやって生きていくべきか。


 どう生きていきたいか、という新しい問題が生まれる。


 山口なら幕末で思い切ったことをしてみるかもしれない。だが、俺はそこまで幕末という時代に思い入れがあるわけではない。しかし、自分の研究テーマであるスポーツに生きると言ってもどうすればいいのか。


 ここは幕末の日本である。令和ではない。


 金さえあれば飛行機でニューヨークやロンドンに行けるわけではない。船に乗ったとして数か月かかる世界だ。


 問題はそれだけではない。


 今の日本は鎖国中だ。日本人が海外に行くということ自体が認められていない。


 かの吉田松陰よしだ しょういんが、こっそり黒船に乗り込もうとして失敗して幽閉処分を受けたという話もあったはずだ。


 吉田松陰クラスでもそんな有様だから、土佐藩の下っ端の俺だとバレたら切腹やら斬首とかになるかもしれない。


 恐らく、国内船に乗って遭難でもして、たまたま海外に流れ着いたという事態でも起きない限り、認められないはずだ。




 うん、待てよ……


 遭難して、アメリカに……、そういう人物がいなかったか?


 確か、山口の蘊蓄うんちくの中にそうした話があったはずだ。しかし、時期がいつだったかはっきりしない。


 だが、ペリーの黒船が来た時には、彼はいたはずである。


 となると、賭ける価値はある。



 翌日から、俺は時間のある時に藩校の教授館こうじゅかんへと出かけていった。


 土佐の藩校というと吉田東洋よしだ とうよう致道館ちどうかんが有名だが、それ以前は教授館という呼称だった。ま、藩校として藩士を教える場所ということは変わりがない。


 それはどうでもいい。いや、どうでもいいと言うと、周りを歩く藩士から怒られそうだが、俺の目的はここで学ぶ勉学そのものではない。


「これを万次郎先生に渡してください」


 俺は教授館に出入りする、ちょっと偉そうな人を見つけては手紙を渡す。「分かった」という者、胡散臭いものを見るような者、反応は色々だが、とにかく思いつくことといえばこれくらいしかない。俺はひたすらに手紙を渡す。



 手紙は十通書いてきた。紙も令和の時代とは違って好き放題手に入るわけではないし、一々手書きだ。大量印刷なんて真似はとてもできない。


 最後の一通を、少し年配の藩士らしい男に渡した。


 こいつが傲慢ごうまんな奴で、渡してほしいという手紙をその場で開きやがった。だが、中身を見た途端、その目がギョッと見開かれる。


「小僧、ちょっとここで待っていろ!」


 幕末ダッシュで、男は中へと駆け込んでいった。



 しばらく待っていると、男は少し疲れた様子の若者を連れて入り口まで戻ってきた。


「こ、これは君が書いたのか!?」


 若者は驚いた顔で、手紙を俺に開く。


 俺は満面の笑みで頷いた。


 そこには”I want to meet Mr. John Mung”と書かれてあった。

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