第十話 降り注ぐ光

 夜の輪斗市に屹立するものがある。

 帝山タワー……全高一二〇〇メートルで、地上部には高層住宅や複合商業施設が整備されている。その区画だけで居住人口は四万を超えており、一つの小さな都市構造そのものだった。

 空中を浮遊する十字架はそのタワーに向けてゆっくりと移動を開始し始めていた。

 そして秋生は、その真下でその様子を見ていた。傍らにはウェルが立ち、一人と一匹はそろって口を開けていた。

「……そうだ、連絡しないと! あの中には帝山さんがいるんだ! いつものようにやっつけたりなんかしたら……帝山さんが死んでしまう!」

 秋生はスマホで防衛局に連絡を取ろうとする。その間にも嫌な想像が浮かぶ。大岩戸が火を噴く巨大な剣であの十字架を真っ二つにする……その中心には帝山がいて、あの怪謬かいびゅうもろともに真っ二つにされてしまう。そしてそれはただの空想なんかではなく、実際に起きうる未来の出来事だった。

「くそ、早く出てくれよ……!」

 指令室へ直通の電話をかける。コール三回目で繋がった。

「もしもし、救衆君? 用件は?」

 電話に出たのは通信士の相模原だった。いつもは優しげなおっとりとした口調だが、今は違う。恐らくもう磐座に乗り込んでスクランブル発進しているのだろう。手短に伝える必要がある。

「怪謬の中には帝山さんがいます! 普通に倒しちゃ駄目です! 何とかして助け出さないと!」

「何ですって……?! 司令に替わります!」

焚草たくさだ。どういうことだ、帝山君が中に……捕らえられた、食べられたという事か?」

 艦長の焚草が切迫した様子で聞いてくる。秋生は頭の中で状況を整理しながら説明した。

「違います。帝山さんは……謎の言獣と接続して怪謬を生み出した。あれは帝山さんと接続した言獣で……帝山さんを取り込みながら巨大化したんです!」

「帝山が怪謬を……?! ウロボロスが怪謬になったわけではないのか」

「ウロボロスじゃありません。多分、帝山さんはウロボロスとの接続を解除している。その隙間に別の言獣が取り付いたんです。赤黒い蛭みたいな気持ち悪い言獣が……!」

「別の言獣……救衆君、君はその現場にいたのか」

「はい。言獣関連の事件で行方不明者が出た場所なんです。夕方に警察に呼ばれて証拠探しを手伝っていたら、帝山さんもそこに来て……様子がおかしかったから気になって……今さっきここに来たら帝山さんもいて、そして川の中から出てきた言獣とくっついて巨大化しました!」

「むう……とにかくあれは帝山君ということか。だが助け出すとは……? 何か策はあるのか? こちらはひとまず市全域に固定領域を展開する。直に大岩戸君も来る」

 大岩戸の名を聞き、秋生は帝山が真っ二つにされる様子をもう一度想像した。

「絶対に攻撃しちゃ駄目です。大岩戸さんにも伝えてください!」

「だが守るだ――はどうにもなら――。君に……何とか――できないのか――」

「何とかって……」

 焚草に問われ、秋生は言葉を失う。だが答える前にぶつんと電話は切れてしまった。怪謬のせいで周辺の電磁場が乱れているようだった。

 帝山が謎の言獣に取り込まれる姿を間近で見た。そして今は怪謬の真下にいる。大岩戸も今頃磐座へと急いでいるはずだが、何をするにしても秋生の方が近い。

 意味インフレーションさえできれば……。秋生は自分の胸に手を当て、服ごと自分の胸を強く掴んだ。

「こんなに何とかしたいのに……止めたいのに……助けたいのに……何で俺は出来ないんだ?!」

 心臓がバクバクと動いている。何とかしなければならない。帝山を助け、街を守らなければいけない。それは分かっている。誰よりも現場に近い秋生が一番分かっているはずなのに、それでも秋生の心に湧き上がるものはなかった。意味インフレーションが起きる兆候は何もなかった。

「くそっ! 俺は一体何なんだよ! 何も感じないのか?! どこまでポンコツなんだ、俺は!」

 夜の闇の中で秋生は叫ぶように言った。こうしている間にも十字架はタワーに近づいていく。巨大すぎるせいで速度が分かりにくいが、恐らくタワーに到達するまで時間に猶予はないはずだ。

「うぇ」

「え……?!」

 ウェルは秋生の隣に立ち、そして何かを訴えるように秋生を見つめていた。魂が接続しているおかげで、おおよその意思の伝達が可能だった。

「何だ……行け? 行けってことか……?」

 秋生はウェルの顔を覗き込むように見つめる。ウェルはどこかそわそわしている様子だった。まるで今にも飛び出して行きそうに見えた。

「何言ってるんだよ! 俺達は意味インフレーションを起こせない……小さいままのお前じゃ何もできない!」

 ウェルは返事を返さず、代わりに秋生の首根っこを掴み自分の背に強引に乗せた。

「うっわ! お、おい! 何する気だウェル! お、おぉ――」

 秋生は咄嗟にウェルの胴にしがみついた。ウェルが跳躍したからである。それもゆうに十メートルを超える高さへと……そして近くの建物の縁を掴み、もう一度跳躍する。道路を挟んだ対面の家の屋根にまで一跳びし、そして止まることなく跳躍を続けた。

「お、おいやめ――ぉぁ!」

 やめろと言おうにも衝撃でまともに喋れない。舌を噛んでしまう。それに、必死でしがみついていないと落っこちて……多分死ぬ。秋生は突然のウェルの行為に驚きながら、ただ落ちないようにその背中にしがみつくことしかできなかった。

 ウェルの跳躍が続き、かなりの距離を移動した。その距離を想像する暇さえ秋生にはなかったが、ウェルの動きが止まったことに気付いた。

「助かった……?!」

 安堵したせいか体から急に力が抜ける。秋生はウェルの背中からずり落ち、そのまま尻もちをついた。尻には冷たい感触があり、一昨日の雨がまだ乾燥していない水たまりがそこにあった。こんな時でも運が悪い……。ぐっしょりと濡れた尻に寒気を感じながら、秋生は立ち上がる。脇腹や腕の肉が痛み、筋肉痛のようになっていた。

「こんな所に連れてきて……どういうつもりなんだ、ウェル!」

 ウェルは宙に浮く十字架を追いかけて跳んでいたらしい。十字架の方が早いから追いついてはいないが、比較的近い所にまで来ている。距離は五十メートルほど……その距離は今も少しずつ離れている。

「戦えって……ことか、ウェル?」

「うぇ」

 いつもの舌足らずな返事が今は野太い。そこには明確な意思を感じた。戦えと、ウェルは言っている。秋生にはそれが分かった。

「戦おうにも俺には何もできない! いつもそうだっただろ! ビビッて、怖くて、心臓が破裂しそうで、でも何もできない! お前と接続しているのに俺には何もない! 信念も強いハートも無いんだよ! 分かってるだろ!」

「うぇる」

 それがどうしたと、ウェルは言っていた。

 遠くに飛翔する磐座の姿が見えた。そして前部カタパルトから光が飛び降り、空中で巨大化し煌火の彦に変化するのが見えた。

「大岩戸さん……無茶はしないでくれよ……」

 この十字架の怪謬には帝山さんが入っている。縦と横の交差する場所、そこに薔薇の花のようなものがあるが、多分そこにいるはずだ。一番意味エネルギーの密度が高い。

 煌火の彦は盾を構えながらじりじりと前進していく。積極的に攻撃を仕掛ける様子はない。ちゃんと焚草艦長が伝えてくれたようだ。しかし、それだけでは帝山は助けられない。何か方法を考えなければ……。

 不意に、十字架が強く光った。チカチカとまるで稲光のように。そしてその十字架の体の至る所から光の弾を撃ち出した。

 光の弾は軌跡を残しながらそれぞれ別の方に飛んでいく。あるものは帝山タワーへ。あるものは煌火の彦へ。大半の弾は輪斗市に向かって落ちていった。

「……まずい! 街が!」

 あの光が何かは分からないが、攻撃の可能性が高い。無防備な街が破壊されてしまう――だが、光の弾が降り注ぐ一瞬前、街の上空に赤い光の膜が広がっていく。

 固定領域。磐座が展開したものだった。

 光の弾は固定領域に当たり爆弾のように破裂した。煌火の彦は盾で受け止め、帝山タワーに向かったものはすんでの所で磐座が代わりに受けた。磐座の左舷で光の弾は爆裂したが、航行には支障ない程度の損傷で済んだようだ。

「帝山さんがやっているのか? それとも怪謬が?!」

 この攻撃の意思は誰のものだろうか。しかし誰のものであれ、街の脅威であることに変わりはない。ひとまず固定領域が街を守ってくれるが、やはりこの十字架の怪謬を何とかしなければいずれ固定領域は破壊されてしまうだろう。

 煌火の彦は煙を上げる盾を脇に構え、そして十字架の怪謬へと近づいていく。

 それを迎え撃つように、怪謬は再び発光し白い弾を撃ち出した。数は四つ。今度はその全てが煌火の彦に向かって飛んでいく。

「危ない!」

 咄嗟に秋生は叫んだ。煌火の彦は盾を構えて受けるが、四つの弾のすさまじい爆発により吹き飛ばされる。

 煌火の彦は全身から燻るような煙を上げながら立ち上がる。だが見るからにダメージが大きい。十字架は無慈悲にも再び発光し、追撃の光弾を撃った。

「大変だ……このままじゃ馬子が……! 大岩戸さんまで……?!」

 煌火の彦はたちあがり、そして何度も光弾で吹き飛ばされる。盾は粉々に割れ、鎧が吹き飛び、全身にひびが入り始める。それでも剣をけして離そうとはせず、煌火の彦は前に出る。何度倒されても立ち上がり、戦うために前に進む。

 言獣が死ねば、接続者である人間にも強い影響がある。深く結びついていればいるほどその影響は大きく、過去の戦いでは何人かが殉死している。もし煌火の彦が完全に破壊されて死んでしまえば、元となった馬子も死に、そして接続者である大岩戸も死ぬ可能性が高い。

 今煌火の彦が受けている苦痛は大岩戸にも伝わっているはずだった。自分の身を焼かれ、肉を裂かれるような痛みがあるはずだった。

 だが、煌火の彦は立ち上がる。その体がうっすらと白く光る。それは意味エネルギーの輝きだった。大岩戸の意味インフレーションが煌火の彦の肉体を保ち、その傷を癒そうとしている。大岩戸は諦めてはいなかった。なす術がなくとも、信じる正義のために立ち上がることをやめようとはしていなかった。

 秋生はその様子を見ながら、涙を流していた。大岩戸の苦しみを思い、それでもなお立ち上がるその信念、正義の心に涙を流していた。

「なんで俺には何もできないんだ!」

 悔しい。腹が立つ。悲しいし、もううんざりだった。自分に意味インフレーションが使えれば、きっと何かが出来たはずだ。

 それでもなお、秋生の心に湧き上がるものはなかった。どんなに悔しくても、それは意味を生み出さない。こんなにも悔しいのに、秋生には何もできなかった。

 煌火の彦が再び倒された。そして、今度はもう立ち上がらなかった。左腕は根元から折れ、その顔も三分の一が割れて落ちていた。血は流れない。代わりに意味エネルギーが漏出していた。動けなくなるのは時間の問題だった。

 白い十字架は再び全身を発光させ、無数の光弾を放った。

 それは帝山の悲しみなのだろうか。怒りなのだろうか。それとも怪謬の狂気なのだろうか。理由が何であれ、それは暴力だった。無差別の暴力が街に降り注ぎ、固定領域を揺らす。

 光弾の発射は続き、領域に綻びが出始める。磐座はその機体で帝山タワーを守っていたが、煙を噴き限界に近いようだった。

 そして、光弾の一つが秋生に向かって降ってきていた。

「そんな……?!」

 何もできずに死ぬのか。帝山を助けることも出来ない。戦えない。戦士にはなれないまま、俺はここで終わるのか。

 ああ――なんて、つまらない人生なんだろう。

 それは絶望だった。取るに足らない人生の大多数を占めていたもの。秋生の人生に敷き詰められたもの。それが今、燃え上がろうとしていた。

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