第九話 報いを与える者

「ここ……で良かったよな」

 夕方に帰った時の道を逆に辿りながら、秋生あきおは橋に辿り着いた。物音を立てないように自転車を橋の欄干に立てかけると、周囲に帝山がいないか見回す。ウェルはまだ眠そうに身を捩じらせていたが、秋生に遅れまいと腕から肩へとするするとのぼり頭にしがみついた。

 橋の上にはいない。きっと考えすぎだったのだ。秋生はそう思うが、一番確認しなければいけないのは橋の下だ。意味エネルギーの痕跡があった、あの橋の真下の場所。

 下へと降りる階段にはまだ警察の立ち入り禁止のテープが張ってあったはずだが、秋生は言葉を失う。テープは引きちぎられ力無く地面に垂れ下がっていた。誰かが通った跡だった。

「誰かの……いたずらだよな……?」

 秋生はゆっくりと階段を下りていく。そして橋の下へと視線を移す。街頭の光も届かない暗い橋の下。そこに、闇に浮かび上がる様に白いシルエットがあった。

 白い制服。金色の髪。それは、帝山響子だった。

「帝山さん……?!」

「救衆君……? どうしてここに?!」

 闇の中で二人の目が合う。互いに困惑し、信じられないといった様子で視線を交わす。先に目を逸らしたのは帝山の方だった。

「帝山さん! 何を……こんな所で何を……!」

 秋生は視線を帝山に向けながら階段を下りていく。帝山は流れる川の方に視線を落としながら、独り言のように言った。

「何もかも遅い。何もかも終わってしまった……」

「何を……言って……?!」

 秋生には見えた。帝山の正面、川の中から急激に意味エネルギーが湧き上がるのが。まるで言獣がそこに生まれるかのような、急激なエネルギーの上昇。周囲の大気、物質、そして帝山の体から意味エネルギーを取り込み、目で見えるほどの濃度となり、そのエネルギーはさらに増大していった。

「うぇる!」

 秋生の耳元でウェルが強く鳴く。ウェルもまた事態を理解し、秋生の反射的な意識を受け動いていた。

「そいつを止めろ、ウェル!」

 秋生の身の内から湧き上がる感情、その意味エネルギーを受け取り、ウェルはその体を一気に成長させる。意味インフレーションを起こし巨大化することはできなかったが、人間サイズに成長させることは秋生にもできた。ウェルの胴が伸び、それにつれて手足も伸びる。頭部は鋭く流線形となり、二足歩行の半魚人のような姿に生まれ変わる。

「うぇる!」

 野太い声で鳴き、ウェルは地を這うような低い姿勢で突進する。

 川の中には意味エネルギーが集まり、そして白い光を放った。言獣が……生まれる。秋生もウェルもそれを感じた。それを目の前で見ている帝山も事態は理解しているはずだが、帝山はただ力無く立ち尽くし光を見つめていた。

「帝山さん!」

 秋生は叫んだ。しかしその声が届くよりも、ウェルの鋭い牙が襲い掛かるよりも早く、その光は爆発した。

「うわぁぁ……?!」

 秋生は咄嗟に顔を腕でかばうが、衝撃は強く体ごと吹き飛ばされてしまう。ウェルと帝山の体は光に呑まれ、その姿が見えなくなる。

「くそ……どうなったんだ?」

 秋生は強く打った頭をさすりながら体を起こす。

 見えるのは立ち昇るしろいもやだった。爆発した中心からは白いもやが立ち昇り、そしてもやが晴れ、そこに影が見えた。

 それは赤黒く細長い塊だった。空中に浮き、時折稲妻のように細い光が走っていた。その光の先には帝山がいて、二人の体は徐々に近づいていく。

「何だ……? あれは、まるで……?」

 あの細い光は、秋生も一度見た事がある。ウェルを初めて見つけた時、自分の体とウェルの間に走った光だった。

 魂の接続。同じ意味を重ね、同じ言葉を持ち、同じ物語を生きる魂。生命の本能のより奥深い部分での共感。それが、あの黒い塊と帝山の間に起きようとしている。

「何で……? 帝山さんはウロと接続しているはずだろ……?! 同時に二体と接続なんて……?!」

 二体の言獣と同時に接続したという話は聞いたことがない。だが、秋生の目にも見えるほどの濃い意味エネルギーの中に、帝山の姿に異様なものが見えた。

 帝山の体の形に光る意味エネルギー。そこに裂け目のようなものが見えた。表面を斬り裂いたような細い傷。それはちょうど、帝山の言獣、ウロボロスの姿のようにも見えた。

「まさか……ウロボロスを……?!」

 夕方に見た時、帝山はウロボロスを連れ立っていなかった。それはきっと、共に行動する意味がなかったからだ。帝山はどうやってか、ウロボロスとの魂の接続を切っている。無理矢理に引き剥がしたのだ。今目に見える細い跡は、その傷跡だった。その証拠に、秋生はウロボロスの気配を感じなかった。

 そしてその隙間をうめるように、赤黒い言獣が帝山に近づいていく。まるで蛭の様な姿だった。生理的嫌悪を催すような蠢き。そして帝山の体に接触し、裂け目を埋めるように細く伸び変形していく。

「ウェル! 止めろ!」

 ウェルはさっきの爆発でひっくり返っていたが、秋生の声でようやく意識を取り戻した。そして帝山に踊りかかるが、再び生じた爆発でまた吹き飛ばされていった。

「うわっ?! ああぁぁーーーー!」

 先ほどよりも強い爆発。そして光。白い光の中に赤黒い雷光が走り、そして空に浮かび上がっていく。橋は崩れ、川の水も波立つ。周囲の建物で窓が割れ、そして屋根が吹き飛ばされていく。

 衝撃が収まるまでの十数秒、秋生は体を丸めて身を守っていた。光が収まったことを確認して体を起こすと、秋生を守る様にウェルが覆いかぶさっていた。

「大丈夫か、ウェル?」

「うぇ」

 ウェルは少し血を流していたが、それほどの傷ではないようだった。

 さっきまで帝山がいた場所に視線を移すと、そこには何もなかった。架かっていた橋は崩れ落ち、その瓦礫が川に沈み破片が散乱していた。帝山の姿も、あの異様な言獣の姿もなかった。

「うぇ……」

 ウェルが空を見上げ、大口を開けたまま細く鳴いた。秋生も空を見ると、そこには信じられないものが浮かんでいた。

 それは……十字架だった。巨大な……恐らくは百メートルを超える巨大な白い十字架。それが宙に浮きたたずんでいる。

 秋生には分かった。それが一体、何なのか。

 怪謬かいびゅう。ただの言獣ではない。この威圧的な意味エネルギーの放射は明確な悪意だ。それが十字架の内部に満ちている。

 しかも、その内部には帝山がいる。人間が内部に取り込まれているなど、今までに聞いたことの無い事例だった。

 そして十字架はゆっくりと動き出す。方向は輪斗市の中央、帝山タワーの方角だった。

 目的は? 考えるまでもなかった。この怪謬が帝山によって生み出されたとするのなら、その目的は一つだ。

 帝山は復讐しようとしている。愛犬の死を蔑ろにした大人たちに、復讐をしようとしているのだ。

「だからって……何でこんな事を……?!」

 秋生は痛む体をさすりながら立ち上がる。止めなければいけない。しかし、どうやって?

 途方もない事態に、秋生はただ見上げる事しかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る