第六話 事件現場
「えーっと……この辺だよな? あの橋か」
「下かな? あ、いたいた……」
欄干から身を乗り出して下を覗き込むと、川沿いに続くコンクリートの足場の上に警察官が数名いた。橋の向こう側に下へと続く階段があったので、秋生はそこから降りようと橋を歩いていく。
「何か感じるか、ウェル?」
「ウェ?」
橋を渡りながら、秋生はウェルに問いかける。
もし大量の意味エネルギーの痕跡があればウェルには分かるし、秋生自身にも何となく感じ取る事が出来る。だがウェルの反応を見る限り、異常な意味エネルギーの痕跡は無いようだった。警察も下を調べているようなので、探すべきはそっちのようだった。
橋の脇の階段には黄色いテープが張られ立ち入り禁止になっていた。くぐろうと身をかがめた所で、下にいる警察官の一人が見咎めて声をかけてきた。
「おい、君! ここは立ち入り禁止だ……って、ああ、救衆君か! よく来てくれた!」
茶色のコートを着た警察官、帯刀が手を振る。秋生は軽く頭を下げ、そのままテープをくぐり階段を下りて行った。
「いやあ、すまんね。平日のこんな時間に呼び出して。ちょっと急ぎで確認してもらいたいことがあってな」
帯刀は額の汗を手の甲で拭った。手には白い手袋がはめられていて、何かを探している途中のようだった。他にも二人制服の警察官がいて、写真を撮ったり何かを拾ったりと作業をしている。
「ここ……なんですか? メールで言ってた行方不明事件の場所って?」
秋生は少し不安そうに周囲を見回した。見る限りでは何の変哲もないコンクリートで固められた川……だが、帯刀から送られてきたメールには不気味なことが書いてあったのだ。
「ああ。復讐代行サイト……それも言獣を使って復讐しますってな。そこに書き込みをして、依頼をした二人がここで消えている。一人は大学生。もう一人は主婦。かれこれ二週間ほど行方不明なんだ」
「で、ここがその……行方不明の人がサイトの犯人と会ったって場所なんですか?」
「そうだ。通信は暗号化されていてまだ解析できていないんだが……スマホの位置情報によれば二人ともここに来て、そして姿を消している」
「復讐の標的になった人が消えたんじゃなく、依頼した人が……消えたんですよね?」
「そうだ。人を呪わば穴二つ……自分が消されてるんじゃ世話がない。因果応報なのか……それにしたって奇妙な話だ。復讐の内容を聞いて逆に恐喝するとかなら分るが……行方不明、攫ったのか殺したのか、おっと、君の前で使う言葉じゃなかったな。まあ、とにかく意図が分からない。普通の証拠としては靴跡や毛髪なんかも確認はできたが、ここは釣りをしに人が出入りするような場所だから有力な手掛かりじゃなさそうでね。で、君の出番というわけだ」
「意味エネルギー……言獣が関わっているなら、そのエネルギーの痕跡が残るはず」
「ああ。どうだ? 何か感じるか?」
「ウェル、どうだ?」
秋生は肩に乗ったウェルを自分の体ごと左右に振って周囲を確認させた。ウェルはにおいを嗅ぐような仕草をしていたが、ある方向に鼻先を向ける。秋生には何も感じ取れないが、ウェルにはわかるようだった。
「こっちか?」
ウェルの意思は接続者である秋生にも感覚的に伝わる。ウェルが気になっている方向に向かい、秋生はゆっくりと進んでいく。帯刀と他の二人の警察官も息を殺してその様子を見つめていた。
「ウェ!」
ある所で不意にウェルが鳴いた。そこは特に他の部分と違う様子はなかったが、強いて言えば橋の真下だった。そこでウェルは秋生の方から飛び降り、コンクリートの足場の縁から鼻先を水面に近づけてにおいを嗅いでいた。
「ここ……水の中って事か?」
「ウェ!」
しばらくウェルはにおいを嗅いでいたが、それ以上の手掛かりはないのかやがてまた秋生の体をよじ登り肩の定位置へと戻った。秋生もしゃがみ込んで川の方へ意識を集中すると、確かに強い意味エネルギーの痕跡が感じ取れた。目に見えるほど強くはないが、自然環境ではあり得ない強さのエネルギー。焚火の熱のようにエネルギーの放射を感じる。意味が明確な言葉や感情を形作るほどの強度ではないが、とにかくここで何かがあったことは間違いなさそうだった。
「水の中か……やっぱりそうか!」
帯刀が我が意を得たりとばかりに手を打ち合わせた。
「こんなこともあろうかと胴長にタモ網も持ってきてたんだよ。ちょっと川をさらってみるから、救衆君、悪いんだが鑑定してもらえるかい?」
「はい、分かりました」
「ようし、何か見つかればいいが……」
そう言うと帯刀は小走りで階段を登っていった。秋生はウェルを連れて川沿いを移動してみるが、先ほどのような反応を示すことはなかった。秋生自身にも感じられるものはなかった。
「やっぱりあの場所だけか。でも行方不明って……まさか言獣に……?」
水の中に意味エネルギーの痕跡がある……単純に考えれば、水中に何かがいて、それが行方不明者を引きずり込んだと考えられる。引きずり込んで……その後どうなったかは分からない。だが言獣も獣には違いない。ワニのように人を襲い、水中に引きずり込んで食べた……そんな事を秋生は考えた。
だが言獣の消化器官は普通の獣とは異なり、肉や野菜を消化することが苦手だ。肉食でも草食でもなく、言わば意味食。内臓は意味エネルギーを取り込み吸収するために備わっている。
言獣接続者とつながっていれば、その接続した相手から供給される意味を皮膚呼吸するように取り込んで食べる。普通の生物とは全く違う食事方法だ。ただ、エネルギーが不足する場合は消化の良い言獣クッキーなどで補うことも出来る。
仮にここに言獣がいたのだとして、それが人を襲うことはあるだろうか。秋生は考える。一般的な知識の範疇で言うなら、それはあり得ないことだ。言獣はあくまで意味エネルギーを求める。人間は意味エネルギーの塊ではあるが、人間を直接食べても意味エネルギーを補給することはできない。それは人間が貝殻のまま貝を食べるようなものだ。とても消化吸収できるものではない。
もし意味エネルギーだけ奪うのだとしたら、その場合は言獣が一方的に人間に接続し、掃除機のように意味エネルギーを吸引することになる。過去には何度か同様の言獣事故が起きているが、それが発生する可能性はけして低くない。
だが、そう言った言獣事故であれば、現場には被害者が残っているはずだ。大抵気を失って前後不覚に陥ることになるが、今回の事件では被害者は姿を消している。
一体どこに行ったのか。まさか水の底に……。秋生はゆっくりと流れていく緑がかった乳白色の川を見ながらぞっとした。
帯刀がゴムの胴長を着て川に入ると、水深は腰の高さまでありそれなりに深かった。手にはタモ網を持ち、上流側から川底をすくいながら下流へと移動している。川全体を探すのには結構な時間がかかりそうだった。
「待ってるしかないか。残業代でも出ればいいんだけど……」
今回の警察からの依頼はあくまで依頼であって、特に報酬がもらえたり給料が出るわけではなかった。完全なただ働きで損した気分だが、しかし人が二人も消えているのだ。それを放っておくことは秋生にはできなかったし、給料を出せと強弁する度胸もなかった。
「何か手掛かりでも探すか……」
肩に乗るウェルの背中を撫でながら秋生は周囲を見回した。しかしこれと言って目立つものがある訳ではなかった。ウェルも反応していない。川の中を探している帯刀に期待するしかなさそうだった。
「何か見つかればいいけど……あれ?」
ふと視線を橋の上に向けると、そこには見知った顔があった。金髪、碧眼の美少女、帝山響子だった。言獣ウロボロスの接続者だ。
「何でこんな所に? あの人も呼ばれたのかな?」
自分と同じように帯刀から依頼を受けたのだろうか? 秋生はそう考えたが、帯刀は帝山が来るというような事は言っていなかった。今は午後一時過ぎと普通なら学校に行っているはずの時間であり、帝山がたまたまこの近辺をうろついていたという事は考えにくい。仮に何かの用事で近くにまで来ていたのだとしても、彼女はかなり多忙な身の上だ。帝山グループの会長の孫娘として五分刻みのスケジュールで生きていると聞く。用もなく散歩する時間などないはずだ。
しかし、現に橋の上には帝山響子がいる。そして帝山は秋生に気付き小さく黙礼する。秋生も目礼を返す。
「こんな所で何してるんだろ? 挨拶位した方がいいのかな……?」
頭の中に色々な想像がよぎる。意外と用事をすっぽかしてふらついているのかも知れないし、秋生よりももっと重大な任務でここに来たのかもしれない。ひょっとすると今回の事件に帝山グループが絡んでいたり?
「……いやいや、そんなことある訳ない!」
秋生は
秋生はコンクリートの階段をのぼり橋の上に戻り、帝山に歩み寄る。帝山は川面を眺めているようだったが、近づいてきた秋生に顔を向けた。
「こんにちは、救衆君」
礼儀正しく品のある声。それはいつも通りだったが、今日はどこか愁いを帯びているように秋生には感じられた。
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