第四話 こぼれたクッキー
ピラトリンガーを倒し任務を終え、
コンビニの袋を提げ、肩には言獣のウェルを乗せて歩いている。この学校で言獣接続者なのは秋生だけだったから、この学校の生徒ならば誰もが秋生だという事に気付く。向けられる視線に無関心を装いながら、秋生は校舎脇を校庭まで歩いていく。
「うぇる、うぇる」
肩に乗ったウェルがべろべろと秋生の頬を舐めまわしていた。
「あーもー、あとちょっとなんだから待てよ!」
秋生は顔を背けながらウェルの舌を払うが、ウェルは諦めずに秋生の顔を舌で舐めようとする。ウェルの空腹は我慢の限界らしかった。それに手に提げているコンビニの袋に自分の餌が入っていることが分かっているので、早くよこせとせっついているのだった。
「分かった分かった……まったくもう……」
秋生はコンビニの袋から言獣クッキーを取り出す。政府公認の店でしか取り扱っていない意味エネルギーを封入した言獣の餌だった。二一個入りで三日分入っている。大きさは人間が食べるクッキーより少し小ぶりだが、見た目はいたって普通のクッキーだ。人間が食べても特に害はないが、余剰の意味エネルギーのせいで睡眠時に悪夢を見るという噂だった。
そのクッキーの袋の封を開け、中からクッキーを取り出そうとする。
「あっ」
右肩に何かがぶつかり、クッキーの袋から手が滑る。咄嗟に手を出して落ちる袋を掴んだが、開けた方が下になり中身が出て、そして足元の側溝の蓋の隙間から下に落ちて行ってしまった。
言獣クッキーは一八〇〇円する。秋生の少ない小遣いにとっては結構な金額だった。それを、文字通りどぶに捨ててしまっていた。
「言獣なんか連れてくんなよ、馬鹿じゃねーの」
秋生の隣を通り過ぎた男子生徒がぼそりと言った。どうやらその男子生徒の肩が秋生の肩にぶつかったようだった。それも、意図的に。
「……えー、マジかよ」
秋生は肩をぶつけてきた生徒の背中を見送りながら、大きくため息をついた。
たまに出くわす悪意。それは絶望的な結果につながることが多い。落書きされた上履き。捨てられた教科書。有形無形の、その他多くの嫌がらせ。
所謂いじめなんだろうと秋生は認識していたが、特に学校には報告せず、家族にもいう事はしていなかった。言わない理由は、ただなんとなく面倒くさいから、だった。
そして今日はクッキーが犠牲になった。小さな絶望。それが毎日のように積み重なり秋生の足元を舗装し未来へと続いている。そして辿り着いた今日だ。生まれた時から運が悪く、要領も悪く、ついでに頭も悪い。名前のせいでクズ、グズ、クソなどと呼ばれ、それを否定することも出来なかった。
「うぇる、うぇる!」
肩の上でウェルが喚く。自分の餌が落ちたことを理解しているのだろう。いつもより高い声で鳴いている。
「あー……良かった。二つ残ってた。こっちにも一個……」
秋生は足元に落ちている落水を免れた一個を摘まみ上げようとする。しかし指で弾いてしまいその一個も下に落ちてしまった。
「うぇる~!」
ウェルが顔を左右に振り叫ぶように鳴いた。
「……泣きたいのは俺の方だよ」
誰にも聞こえない声で秋生はつぶやいた。そして袋に残っていた二個のクッキーをウェルに食べさせ、目的の場所に到達する。
そこは校庭の端で、銀杏の木の間に古びた木のベンチが置かれている。ベンチは半分腐っているが、そのせいかここには誰もこない。人気のない静かな場所。秋生はベンチに腰を下ろし、一息ついた。
コンビニの袋から昼食を取り出す。サンドイッチと野菜ジュース。ちょっと足りないが、少ない小遣いではあまりガッツリと買うことも出来ない。防衛局から給料は出ているがスズメの涙で、しかも家には借金があるからほとんどはその返済に充てられていた。その点は防衛局様様なのだが、秋生自身の家計はいつもかつかつだった。
最近の円安に伴う原材料高騰のせいか、何だかパン生地が以前よりも薄っぺらく感じる。しかし文句を言ったところでしょうがないので、その薄いサンドイッチを無言で食べる。ウェルは人間の食べ物には興味ないので肩から降り、ベンチの下の草をむしって口に運んだり吐き出したりしていた。
(何でこんな感じなんだろう……?)
何もかもが……うまくいっていない気分だった。最近の秋生はそれを特に強く感じていた。
元からクラスでは浮いていた。家計の為にバイトをしていて、それで同級生たちと遊ぶ機会が少ないことが理由の一つだった。だが決定的に変わったのは、やはり言獣と、ウェルと出会ったことがきっかけだった。
ある日家に帰ると庭から煙が上がっており、そこにウェルがいた。今よりも二回り小さく、まだ鳴くことも出来ない状態だった。そんなウェルと秋生は出会い、そして秋生の意味エネルギー保有量が高かったために、彼らの魂は接続してしまった。二人の意味が交わり、一つになってしまったのだ。
それから家にテレビの取材が来たり、防衛局から呼び出しを受けたりと生活が激変した。学校にも専門家が来て、他の生徒のために言獣接続者との接し方講座が開かれたりもした。
秋生はそのせいで一躍時の人となった。防衛局に任官し、バイトの代わりに働くことになった。しかしもてはやされるのは最初の僅かの期間だけで、やがてそれは失意の念に変わっていった。
秋生は意味インフレーションを起こせなかったからだ。
輪斗市上空の電離層は地球規模で見ても特殊な状態であり、宇宙から降り注ぐ意味エネルギー量が特に多い都市である。その為、意味エネルギーが自然に凝り固まり言獣が生まれやすい。ウェルや、馬子やウロボロスもそのようにして生まれた。
だが適切な言獣接続者を見つけられない言獣は野生化し、手近な高意味エネルギー保有者に強制接続してしまう。その場合のエネルギー保有者は往々にして悲観的な状態にあり、怒り、恨み、憎しみなどを抱えている場合が多い。そのため感情的な暴走が発生し、容易に
怪謬を倒せるのは、適切な言獣接続者による正規獣だけ。だから新たな正規獣が常に求められているが、秋生はその期待に応えられなかった。
そうしていつしか、秋生の存在は世間から忘れられていった。
ひょっとしたらヒーローになれるのかも。
それは子供なら少なからず描く夢だった。自分だけの言獣と接続し、巨大化して暴れる怪謬と戦い街を守る。それは秋生も何度となく考えた事だった。
だが実際に言獣を手に入れたのに、結局秋生はそれまでの自分と変わる事が出来なかった。描いていた夢……颯爽と現れるヒーロー。街を守る英雄。称賛される自分。薄っぺらい空想だったが、そのどれもが空想のまま終わった。今思い描けるのは、何もできずにただ年だけ取っていく自分だった。何の役にも立たず、ただウェルと共に生きる自分。
何もかもが元のまま……いや、かえって悪くなったかもしれない。視界の端に映る三人の姿に気付き、秋生は少し身構えた。
この学校の生徒は三種類に大別される。
遠巻きに視線を向ける者。避けるように離れていく者。一瞥をくれるだけで無関心な者。しかしもう一種類の人種がいる。それがさっき肩をぶつけてきた男子生徒であり、今近づいてくる三人だった。
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