第三話 悩み

 怪謬かいびゅうピラトリンガーを撃退し、思索飛行戦艦磐座は基地に帰投していた。現地では瓦礫の撤去やインフラの復旧などまだまだやるべきことは残っているが、ひとまず戦士たちの役目は終わった。

「今日も大岩戸さんエグかったな~、被害総額更新したんじゃないか……」

 学生服を来た少年、救衆くす秋生あきおもまた自らの役目を終え、午後から学校に出るべく帰路に着こうとしていた。

 秋生はつい先ほどまで、磐座のブリッジで戦いの一部始終を見ていた。大岩戸の煌火の彦が戦う様を、帝山のウロボロスが領域を張る姿を、座席に備えられた情報端末でつぶさに見ていたのである。

 彼はブリッジクルーではない。彼もまた言獣接続者であり、本来であれば自らの言獣と共に怪謬と戦うのが役目だった。その為に輪斗市防衛局に臨時特別任官として雇用され、今日も磐座に乗り込んでいたのだ。大岩戸も帝山も同様に臨時特別任官であり、何ら変わる所はない。

 だが身分としては同じであっても、大岩戸と帝山の二人と、秋生の間には厳然たる差があった。

 それは、意味インフレーションを起こすことが出来ないという事だった。

 言獣接続者は一般人に比べ保有する意味エネルギーが多い……つまり、強い信念や感情を持っている傾向が強い。

 大岩戸は燃えるような正義感があり、帝山は大企業の帝山グループの一員として街を守る使命感を持っている。だが秋生は、二人とは違いこれと言った信念やこだわりを持っていなかった。それでも意味エネルギーが多いのは、秋生の性向として空想癖がある事が理由として挙げられる。

 高意味エネルギー保有者は自分の望む自分の生き様や、あるいは在るべき社会の姿などを強く意識している。特定の事を強く思うという事は、無から有を生み出すことに等しい。そこに意味が生まれ、言葉となり、それは物語となっていく。そしてその実現の為に己が身を粉にし命を削る覚悟が生まれる。そこには膨大な意味が内包され、それが意味インフレーションのきっかけともなる。

 一方の秋生の空想癖も、無から有を生み出すという点では同じである。無いものを思い、意味を見出し、言葉を繋いで物語を作る。そこには己の望む理想や願いが反映され、そこにも膨大な意味が存在することになる。だから常時の意味エネルギー自体は高い水準にあるのだが、己の身命を賭してまで何かを成し遂げるといった覚悟は存在しない。その為、意味インフレーションを起こすには至らない。意味インフレーションが起こせないのならば言獣を正規獣に進化させることも出来ず、戦いの役には立たない。

 それでも秋生は諦めていなかった。輪斗市防衛局も同様である。何とか戦いに参加できるように、強い使命感や覚悟が生まれるように、磐座が出撃するとなればブリッジに乗り込み最前線で戦いを経験しているのだ。

 ブリッジへの乗り込みは今回で四度目となる。しかし、野良だった言獣と接続してからもうすぐ半年になるが、一向に意味インフレーションの兆しはなかった。メンタルチェックでも意識の変化などは確認されなかった。

 診察の度に落胆する医師。今日ブリッジから降りる時も艦長は残念そうな顔をしていた。その艦長の表情の理由の半分は大岩戸のせいだと秋生は思っていたが、もう半分は自分のせいだろうとも思っていた。

「うぇる」

 げんなりしている秋生の右肩の上で、言獣のウェルが鳴いた。シャチにトカゲの手足が生えたような姿をした言獣で大きさは五〇センチほど。色は黒くつるっとした光沢がある。目の周りと喉から腹にかけては白い。紫色の舌をべろりと出して秋生の頬をつつき、ご飯の催促をしていた。

「あーもー分かったよ。後でクッキー食わせてやるからもうちょっと待っててくれよ」

「うぇる、うぇる」

 不満を訴えるようにウェルが鳴く。ウェルという名前はこの鳴き方が由来だが、恐らく飢えると鳴いているのだと秋生は理解していた。何せ始終空腹を訴え、決して満腹になる様子がないのだ。放っておけばいくらでも餌を食べてしまう大食漢だった。

「おお! 救衆じゃないか! 今日はどうだった! 俺の燃える戦いに感じ入る所はあったか!」

「げっ、面倒なのが来たな……」

 大岩戸が通路の後方から手を振りながら秋生に近づいていく。秋生はげんなりした表情のまま大岩戸を迎えた。

「まあなんて言うか……今日も駄目でした」

「そうか! まあそのうち何とかなるだろう! はははは!」

 これまでの不発の三回も大岩戸は同じことを言っていた。大岩戸には余り悩みはなさそうだと秋生は思った。

「俺も戦おうと思うんですけど……ウェルが戦う所があんまり想像できなくて。何の為に戦うのかとか、考えてもいまいちピンと来なくて……」

「人を守る! 街を守る! 国を守る! 明快じゃないか! 何を悩む?!」

「人を守る……まあ、そうですよね。それが俺達の役割ですもんね……」

「その通りだ! その肩の言獣、ウェルと言ったか? そいつにもよく言い聞かせておくといいぞ。俺は毎朝馬子に俺の正義の心を言い聞かせている」

「うぇる……」

 自分が何かを言われていると感じてか、ウェルが一鳴きする。そして秋生の頭の後ろに身を隠した。ウェルは秋生以外の人間が苦手だった。

「へぇ……正義の心」

 毎朝の馬子の精神状態が心配になったが、魂が接続するくらいだから元々精神的な親和性も高いのかもしれない。秋生は自分とウェルの共通点を考えるが、ビビりで人見知りという点は似ている。大食漢なのはウェルだけだが、性格だけであれば案外似た者同士なのかも知れない。後頭部に張り付いたウェルを軽く撫でながら、秋生はそんな事を思った。

 大岩戸に返事をしながら、向こうから今度は帝山が歩いて来るのに気付いた。格納庫から本部に向かうにはこの通路を通るのが一番早い。もっと早く帰るか、或いは二人が行ってから帰るべきだったと秋生は思った。二人の事が嫌いなわけではないが、やはり自分だけ役目を果たせていない手前、どうにもバツが悪かった。

「おお、帝山! 今日も助かった! 君のおかげで存分に力を振るう事が出来たぞ!」

 大岩戸の横を帝山は通り過ぎようとしていたが、少し迷うように足を止め、ゆっくりと振り返って答えた。

「存分にとは……良かったわね。おかげで被害甚大よ。あれなら私が固定領域を張っていなくても大して変わりがない」

 帝山が冷たく叱責するが、大岩戸は意に介さず言葉を続ける。

「確かにその通りだな! まさか両断したあとであんなに飛んでいくとは想定外だった」

「想定なんかしてないでしょ、あなたは。目の前の敵を倒す事しか考えていない」

「一意専心という奴だな!」

「戦場となっているのは輪斗市……私たちは勝つ戦いではなく、守り抜く戦いをしなければならない」

「うむ! もっともな意見だ! やはり帝山は賢いな! 頭が下がる思いだ!」

 言いながらも大岩戸の頭は下がるどころか、むしろふんぞり返っていた。

「人は避難していても、ペットが取り残されている場合もある。犬とかね……」

「ペットか! それは確かに今まで一度も考えたことがなかったな! 今後は気を付けるとしよう!」

 大きく頷く大岩戸に帝山は何かを言おうとしたが、これ以上は無駄と思ったのかかぶりを振って再び歩き始めた。

「では、ごきげんよう」

「うむ、さようなら!」

「あ……お疲れさまでした……」

 去っていく帝山の背中は、どこかいつもよりも疲れている。秋生にはそう見えた。磐座に乗り込んだ時もそうだった。元から静かであまり感情を表に出さない帝山だったが、今日は特に物静かだった。何かに悩んでいるような……。去り際の物憂げな表情が秋生の脳裏に引っかかっていた。

「なんかあったんですかね、今日の帝山さんはちょっと様子が違ってた」

「ん?! 何がだ! 帝山はいつもの帝山だったぞ!」

 傍らの大岩戸に尋ねてはみたが、案の定何も感じてはいないようだった。戦士としては優秀だが、この大岩戸は人の心の機微には疎い。聞くだけ無駄だったかと秋生は諦めた。

「いえ、何でもないです。じゃ、お疲れ様です……」

「うむ、気をつけて帰れよ!」

 通路を進む方向は同じだったが、秋生は少しゆっくり歩いて大岩戸を先に行かせた。大岩戸はのしのしと足早に帰っていく。

「一体いつまで……俺はこんな事を繰り返さなきゃいけないんだろう」

 大岩戸の背が遠くなり、一人きりの通路で秋生はつぶやいた。

 意味インフレーションのきっかけをつかむ。その為に今日も磐座に乗っていたが、何の収穫もなしだ。ただただバツの悪い時間だけが過ぎていく。いっそのこと防衛局をやめようかとも思うが、そうなると今度は言獣を所有している事で生活に支障が出る。

 公共施設への出入りが一部制限され、県外の旅行も許可が必要になる。手には衛星で追跡できるように発信リングを身につける必要もある。それに……ウェルは秋生と離れて研究施設の中で生活することになる。

 ウェルは怖がりで、秋生が近くにいないと大声で泣き喚き不安から物を壊したりする。研究所で隔離なんかされたら、その生活に耐えられるとは到底思えない。それを考えると、今の臨時特別任官の立場のままの方がいい。

 ウェルはただの言獣、犬や猫と一緒。家族からはそう言われたこともあったが、魂が接続しているせいかとても他人とは思えなかった。まるで自分の半身……そう言っても過言ではない愛着がウェルにはあった。

「うぇる」

 ウェルが頭の上に乗り髪の毛を舌で弄ぶ。秋生が考え事をすると体内の意味エネルギー量が増大するため、ウェルにも間接的に何かに悩んでいることが伝わる。だからと言ってウェルが何かを解決してくれるわけではないのだが、自分の事を理解してくれているという感覚は少しだけ救いになっていた。

「あーあ、俺もヒーローになりてえな……」

 悩みを口に出してみるが、やはりピンとこなかった。ヒーロー……例えば大岩戸のように自分がなれるのか? とてもそうは思えない。帝山のように街の事を第一に考えるというのもちょっと無理だ。結局、なし崩しに今の身分になった自分には、そもそも信念というものがないのだ。結局はそこに帰結する。何度も何度も秋生は自問自答したが、答えはいつも同じだった。

 俺はヒーローになんかなれない。そして、ウェルも。

 じゃあ何にならなれるのかと考え始めたが、ウェルが髪の毛を齧りだしたので、秋生はそれ以上思い悩むのをやめた。

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