第一話 未確認言獣

「意味還流波最大。臨界に達しました」

 デカルト級思索飛行戦艦、磐座いわくらのブリッジにオペレーターの報告が響く。周辺状況をコンソールの表示で確認しながら、艦長の焚草たくさは指令の為に息を吸った。

「意味兵装、制限を解除する。前方距離一六〇〇に拒絶領域展開」

 その声でブリッジに緊張が走る。拒絶領域の展開は、戦闘の開始と同義だからである。戦闘……そう、この二〇年余り、人類はずっと戦い続けてきた。そして今も、その脅威は眼前に迫っている。

「領域、展開します」

 焚草の指示で意味兵装の安全装置が解除され、拒絶領域が展開される。秒間七ギガセンスの意味エネルギーが空中に赤みがかった幕を作り、接近する未確認言獣げんじゅうを押しとどめた。

 その言獣はピラミッドのような四角錐と、その下部から伸びる湾曲した三本の脚で構成されていた。全高は約五〇メートル。ピラミッド部分は金色で、正面と思われる面には一つ目が存在していた。三本の脚は濃い褐色で、昆虫の脚のように光沢があり表面には微細なとげや産毛が確認できた。

 一般的な生命とは一線を画す様態だが、その大きさと周辺の意味エネルギー吸収現象から言獣と断定された。輪斗市に出現した言獣としてはこれで四一体目だった。

 その未確認のピラミッド型言獣は、目の前に突如現れた赤い膜に困惑しているようだった。一本の脚を大きく上げ、その先端で幕を突き破ろうとする。槍のように鋭い先端は、しかし幕を貫通することは出来なかった。発生する応力は拒絶領域の逆位相意味エネルギーにより相殺され、幕の境界面より先に到達することは出来ない。未確認言獣の重量は数百トンだが、計算上はその全重量をもってしても破ることは不可能だった。

 だが未確認言獣がたたらを踏むたびに、接地する残る二本の脚が周辺の建物を破壊していた。住民の避難は完了しているが、建物の被害も抑えなければいけない。街の資産は可能な限り守る必要があった。

「艦長! 出てよろしいですか!」

 突如ブリッジに大声が響いた。若くはつらつとした青年の声。ブリッジ内の緊張を意に介さないようなその音声おんじょうは艦長の左耳に良く響いた。

 艦長席から一段下がったエリアに声の主がいた。待機用の座席にシートベルトを着け座っているが、今にも飛び出しそうな顔をしていた。その手には日本刀が握られており、朱塗りの鞘が目に鮮やかに映る。青年は名を大岩戸宗近と言った。

「まだだ。固定領域の展開にはあと一〇分ほどかかる。君らの出撃はその後だ」

「正確には五〇八秒、八分二八秒です、艦長。」

 焚草の声に、大岩戸の斜め前に座っている女性が答えた。帝山響子。オペレータではない。大岩戸と同じく、自らの役目の為に乗船している戦士だった。

「遅い! 待ってる間に街が踏み荒らされてしまう! 固定領域などなくとも、俺の煌火きらびの彦ならあんな出来損ないのピラミッドなんか簡単に倒して見せますよ!」

 大岩戸は力の入った眼で艦長を見やる。そして帝山はその様子に呆れたように息をついた。

「前もそんな事を言って、結局さんざんな被害を出したじゃない。被害総額一七〇億円……あなた、覚えてる時でしょ?」

「覚えているぞ、帝山! 俺の煌火の彦が華麗な回転式大火炎絶塵を叩き込んだ!」

「そうね。強力過ぎて街を焼いて、しかも着地に失敗したせいでさらに被害が広がった……」

「同じ轍は踏まん! この私を信用してください、艦長!」

「信用はしているが――」

「はい! では信用いただいたので出撃します! 馬子うまこ、行くぞ!」

 大岩戸はシートベルトを外し立ち上がり、そして日本刀を抜いた。

「正義の下に名付ける! 火より生まれ、行く道を照らす炎となれ! 行け、煌火の彦!」

 大岩戸の体が白く発光する。それは意味エネルギーの臨界だった。戦士の心の内にある特定の概念が強い意思により意味インフレーションを起こすことで、瞬間的に膨大な意味エネルギーを発生させる。そのエネルギーは接続されている彼の相棒に注ぎ込まれる。そう、彼の魂が接続する言獣へと。

「ああ、もう。艦長、私も出ます。被害を抑えるよう彼を支援します」

「あ、ああ。頼む……」

 艦長は人の話を聞かない大岩戸に呆れ落胆しながら、帝山の出撃を許可した。被害が出ればまた市長から抗議文が来る。その回答案を考えさせられるのは艦長である焚草だった。今から胃が痛くなる思いだった。

「まったく……高潔の下に名付ける。世界を統べ、己が尾を食みて円環と成せ。ウロボロス」

 座ったままの帝山の肉体も白く発光し意味インフレーションが起こる。俄かに明るくなったブリッジ。そして焚草艦長は嘆息しながらも己の責務をまっとうするため気を持ち直した。

 大岩戸と帝山は言獣接続者である。約二十年前に確認された言語生命体、言獣……それらと深く心を通わせ、共感することにより魂を接続することに成功した者……それが彼らだった。

 大岩戸は五十センチほどの馬の土偶のような言獣、馬子と接続している。帝山は二メートルほどの銀色の蛇、ウロと接続している。

 二人は例え距離を隔てていても、常時自分の言獣と繋がっており、自分の信念から沸き起こる強い感情、意味エネルギーをやり取りすることができる。言獣にとって意味エネルギーは生命そのものであり、そして膨大な意味エネルギーでその体を飛躍的に進化させる事が出来る。それが極端な場合は意味インフレーションという現象になり、それを任意に発生させることで、二人は言獣を巨大化させ正規獣と呼ばれる姿に形を変える事が出来る。

「む……来たか」

 艦長宛の極秘伝令が司令システムから通知される。ただちに開封すると、そこには未確認言獣の呼称が記載されていた。焚草は一つ咳払いをして、朗々と読み上げた。

「通達する。これより未確認言獣四十一号を、怪謬かいびゅう十七号、ピラトリンガーと呼称する!」

 ただちに作戦システムにも反映され、レーダーや光学観測映像での表記がピラトリンガーに変更される。

 怪謬かいびゅう……それは意味インフレーションを起こし巨大化した言獣を意味する。大岩戸や帝山の場合も意味インフレーションにより言獣が正規獣へと巨大化しているが、それは言獣接続者の制御下にあり暴れるようなことはない。

 しかし怪謬は違う。怪謬は自然環境下で突発的に発生した言獣が、巨大化し暴走している状態をさす。手近な高意味エネルギー保持者と強引に接続し一方的に意味エネルギーを奪い自らの力とし暴走する……それが怪謬という現象であり、存在である。

 暴走した怪謬は強固な意味エネルギーの塊でありミサイルや砲弾での攻撃では倒すことが出来ない。対抗できるのは、同じ意味エネルギーの塊である正規獣のみである。

 思索飛行戦艦は怪謬による被害をある程度軽減する事は可能だが、怪謬を倒す武装を持ってはいなかった。人類の科学技術はまだ意味エネルギーを自由に操れる段階にまでは至っていないからである。そのため人類は、怪謬に対しては言獣接続者に頼るほかなかった。

「よし、ピラトリンガー! 覚悟しろよ!」

 大岩戸はまだ体を光らせたまま抜き身の日本刀を振り回し、その切っ先を艦前方のピラトリンガーへと向けた。

 帝山は無言のまま、自分の言獣が意味インフレーションにより姿を変えるのを待っていた。

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