ふたりの作家との一日 🎭

上月くるを

ふたりの作家との一日 🎭 





 むかし、仕事時代、ランチによく通ったカフェレストランは市南部の大型スーパーの三階にあり、窓際の席にすわると、南を除く東北西の三方が一望のもとに望める。


 山国と呼ぶにはおかしいほど広い平野なので、いずれの山並みもはるか遠くに後退していて、初冬の薄い日を浴びた清潔な街並みが光の粒をまぶされて煌めいている。


 バランスのいいワンプレート付き珈琲セットは廉価にして美味、軽やかなジャズが低く流れる快適な空間を大方はひとりで訪れたが、ごくたまにはスタッフとも……。


 私的な悩みを抱えた若者に急に泣き出されて困った記憶があざやかによみがえり、年甲斐もなく、ノスタルジックなセンチメンタリズムに、押しつぶされそうになる。




      🎷




 あわててバッグから文庫本を出したが、あいにく持参していたのは『人間失格』。

 よりによってこんなときに読む本ではないが(笑)ほかに持ち合わせがないので。


 ちなみに、なぜこの歳にしてダザイなのかというと、武蔵野→森田童子→井伏鱒二のルートに導かれた結果として、敬遠していた何十年ぶりかの再読となったしだい。


 代表作にして遺作でもある同書を渋々ながら読み進むと、いや~、いまさらだが、甘いあまい。口いっぱい黒糖を頬張っているところへさらに押しこまれたみたいに。


 へえ、それゆえに群がり来る女性問題も決着がつけられず云々と言いたいわけね。

 持ち前の意地悪が顔を出しかけたとき、隣の二人客の会話の熱量が急に高まった。


「ころっと逝ってくれればいいけど、寝たきりになったら施設に入ってもらうから」

「当然よ、あなたそれだけのことをされて来たんだもの、あちらも覚悟してるわよ」


「男ってさ、つきあっているときと結婚後とまったくちがうじゃない? いやよね」

「うちも猫にはやさしいんだけどね、しつこ過ぎてシャーッてやられてんの、ふふ」




      🎥




 こうなって来ると読書に集中どころではないし、腕時計を見ると、映画の開場時間がそろそろ近づいていたので、スーパーと同じ敷地にある大型シアターに移動する。


 レビューの評価が分かれていたので迷っていたが、たまには気分転換が欲しいし、ロケ地の多くが近在らしいし、同世代のスターが主演だし、で予約しておいたのだ。


 果たして結果は大正解で、大人の鑑賞に堪え得る作品が少ない昨今、淡々と過ぎてゆく老いの日々を水墨画のように描く静謐な秀作に、豊穣な収穫を得た思いだった。




      🛬




 ちなみに、エンドロールに原案と表記されている『土を喰らう十二ヵ月』の著者・水上勉さんとは、ほんの微かに袖を振り合った or 振りそこねた(笑)記憶がある。


 たぶん映画に描かれている当時のことだったと拝察されるが、いま空港へ向かっているのだが、時間がありそうなので御社へ寄りたい、いきなり電話がかかって来た。


 結局、道路の渋滞で実現しなかったが、少女の本能的な怯えで回避した太宰治とは真逆に、いつまでも渋い作風に惹かれつづけた作家とのご縁とも言えないご縁……。




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