エピローグ

「はーい、今出ます!」

 カナミは声を張り上げながら戸を開ける。

「ふふ、相変わらずねカナミ」

「あらミハネ様」

 カナミとユウマの自宅の戸口にはミハネが立っていた。

「どうぞ、お上がり下さい! あ、ちょっと散らかってるけど見逃して下さいな」

 ミハネを招き入れると疲れからか、やれやれとカナミは居間の椅子に腰を下ろす。

「やっと子供たちが学舎に行ってくれて。本当にやんちゃなんだから。ユウマも朝早くから出かけちゃって」

「あら、それは大変な時に来てしまったわね」

 ミハネは申し訳なさそうに言う。

「いえいえ、とんでもないです。聖塊の来客なんですから丁重にもてなさないと」

 過剰なまでに恭しいお辞儀をするカナミ。

「もうやめてよ。私には似合わないのに」

「そんなことありません。あの日から私にとって聖塊はミハネ様だけです」

 この年、ミハネは初めて聖塊に選ばれたのだ。やっと選ばれたと、カナミは鼻が高かった。

「本当に、あっという間の十年だったわね」

「ええ本当に。昔の日々からは想像もできないくらい平穏で楽しくやってこれました」

 二人は過去を懐かしむように微笑む。

「そのようね。カナミ」

「はい」

 ミハネはカナミの瞳を見つめる。

「ところでカナミ。今日私が来た意味分かるわね?」

 途端にミハネとカナミの表情から笑みが消える。

「ええ、明日は大晦日ですもんね」

 二人の視線は火花を散らすように険しくなる。

「あなたが今年の悪塊よ。カナミ」


 *


「へーそうですか」

 他人事のようにカナミは返事をする。

「理由は聞かないのね」

「それは悪塊である私が一番知っていますから。といっても確信は持てないのでぜひお聞かせ願いたいですね」

 カナミは挑発的に片眉を上げる。

「そうね。じゃあまず、最近巷で流行っている薬。あれはかつてロウ大人が手引きした薬売りのもの。それがなぜ今になってこの村に再びやって来たのか」

 十年前に蔓延っていた非合法の薬。一時は排除されたそれが今、再び流通していた。まるで再発した癌のように。

「ご名答。私ですよ。私が改めて彼らとこの村の仲介人になりました」

「なぜ……なぜ彼らとまた」

 ミハネは哀しそうに呟く。

「そうですね。彼らをこの村に招いたのはロウ大人の苦肉の策です。私のような貧しい人間でも安価な中絶薬を手に入れることが出来るように。あの日の朝、ロウ大人はそれとなく私が非合法の中絶薬を買っているか確認してましたね」

 カナミが女として買われていた頃。安価で手にできる中絶薬が必要だった。それが必要なのは彼女だけではないことをロウ大人は知った。

「つまり麻薬や阿片はあの時、ロウ大人は取引していなかった」

「ええ、そうです。推測ではなく、ちゃんと薬売りから聞き出した真実です。聖塊に選ばれるような人が麻薬や阿片なんかに手を出すことはなかったんですよ。聖塊といえど権力者ではないので、薬の値段に口を出すことは出来ません。しかし村には安い中絶薬が必要だった。特に私には。きっと重い決断だったと思いますよ。

 麻薬は私が薬売りを誘惑して持って来させました。去年の悪塊であったスグル先生はじめ、村の愚か者たちは喜んで買ってたみたいですね」

 ロウ大人の言っていた「俗物」。それは薬売りではなく斡旋した覚えのない薬のことだった。


 *


「まさか、私を悪塊に選んだ理由ってそれだけではないですよね?」

 カナミは好奇心旺盛な子供のように無邪気に聞く。

「ええそうよ。あなたが使用していた中絶薬。成分を分析したところあれを常用すると不妊症を誘発することが分かったわ」

 ロウ大人には薬学や医学の知識はなかった。そのため不妊症を招くことなど考えもしなかったのだろう。

「しかしあなたは二人の子供を産んだ。これはどういうことなの?」

「ミハネ様、産めないものはね。買えばいいんですよ」

 二人の子供の入手先。それは、

「人身売買ですよ。東の方の村から双子の赤ちゃんを買いました。ちゃんと夫婦で考えた名前も付けてやりましたよ。トウマとミナミっていうね」

「どうしてなの? なんでそんなことを」

 今やミハネの眉間には皺が寄り、拳は怒りで震えている。

「ユウマが子供子供うるさいんですもん。妊娠した振りをして、金で雇ったヤブ医者が二人の赤ちゃんを取り上げたように見せました。もちろん妊婦の振りをしてる時、地肌は周りの人間には見せませんでしたよ」

 尚も楽しそうに語るカナミ。

「このことをユウマは?」

「夫は気付いてませんよ。バカだから」

 ミハネは身を乗り出す。

「教えて。どうして薬の売買や子供を買ったりなんてしてるの? なぜそんなに楽しそうにしていられるの?」

「だって——」

 カナミは冷淡な笑みを浮かべる。

「——だって百姓ってつまんないんですもの。薬の売買は村を陰で支配してるようで面白いし、子育てもおままごとみたいなものよ。全部つまらない農作業の間の暇つぶし」


 *


 ミハネは立ち上がる。もうここに用はない。

「私は愚かでした。あの日から、あなたは改心してくれたと思っていたのに」

「ロウ大人のようなことを言うのですね。それでは暗澹様の前に姿を現さない方がよろしいのでは?」

 カナミの挑発的な発言は止まらない。

「引き受けてしまった以上、聖塊としての役目を務めるわ。あなたを暗澹様に献上します」

 カナミは肩をすくめる。

「十年前をお忘れですか、ミハネ様」

「あれは異例の事態です」

「いえ、あれは何の異例でもありません。暗澹様の、この村での儀式は例年通りに執り行われたにすぎないのです」

 カナミは確信していた。暗澹村の風習とその意味。

「ミハネ様、私はこの十年ただ農作業や母親ごっこ、薬の売買をしていた訳ではないんですよ。少しは教養を身に付けたのです」

「それで? この村の儀式の何が分かったと?」

「暗澹様に捧げられるものの本質ですよ。

 ミハネ様のように徳の高い方なら『暗澹』という言葉の意味知っているでしょう?

『暗澹』とは暗闇の中を彷徨うような、見通しの立たない、希望の持てない状態を表す言葉なんですよ。そこで私は疑問を抱きました。なぜ、『暗澹』と悪塊、即ち悪意や汚れを結びつけるのか。どうして暗澹様にそれを食してもらうことで一年間の安寧がもたらされるのか」

 カナミは雄弁を振るう。まるで何かの教祖かのように。

「私には分かったのです。暗澹様は悪意や汚れを食らうのではありません。それらの原因、根源的な要素を自身に取り込み、村から排除する神様なんですよ」

 ミハネは射すくめられたように動けなくなっていた。カナミの思考を必死で追う。

「分かりませんかミハネ様。『迷い』ですよ」

 カナミは勝ち誇ったように微笑む。

「悪行というのはあまねく迷いによって生じるものです。『気の迷い』と言うでしょう? 盗みや密売、人殺し。それらは気の迷いによって生じるんですよ。そして罪を犯した罪悪感から逃れられず、かといって罰を受ける覚悟も出来ていない。そんな迷った人間の行いはたいていが露見するんですよ」

「つまり、今まで聖塊が選んでいた悪塊というのは村一番の悪人ではない」

 ミハネはようやくカナミの思考に追いついた。その思慮深さに思わず震え上がる。十年の間に彼女のよこしまな心は変わらなかったが、発想力、洞察力はまるで別人のようになっていた。

「そうです。悪塊というのは村で一番迷った心の持ち主のことなんですよ。悪行はその迷いに付属したに過ぎないんです。

 暗澹様はその迷いを平らげることによって、暗澹を払い、翌年、村に希望をもたらすのです。あの日の初日の出のようにね」

「じゃああの時、ロウ大人は迷っていたと?」

「ええそうです。ミハネ様は暗澹様の姿を知らないでしょうが、あれを見たら死から逃れたくなるのが自然です。これまで死を覚悟した悪塊は皆、暗澹様を前にその覚悟が揺らぎ、迷いが生じた為に暗澹様の餌食になったのです。

 実際私も死の恐怖に一瞬覚悟が揺らぎ、暗澹様の瞳に射すくめられました。しかし、ユウマの存在を意識することで死という運命に対する迷いはなくなったんです。でもロウ大人は——」

 そこでカナミは呆れたようにため息を吐く。

「——ロウ大人はあろうことか、暗澹様を前にして最後まで迷っていたのです。私という、親を失い汚れた大人に買われていた当時十五歳の若者を生贄にするということに。

 ロウ大人は薬売りに代わる標的として私を生かすために、悪塊にするのを二年も見送ったのではありません。本当に迷い悩んでいたのです。聖塊として将来ある若者の人生を奪うことを」

 そして、あの異例の——カナミから言わせれば例年通りの——事態が起きた。

「それでは、カナミ。あなたは今年も、いやこれからも暗澹様に食われることはないと言うの?」

 カナミは首を横に振る。

「分かりません。これは私の仮説に過ぎませんから。ですが私は悪塊の運命を迷いなく受け入れますよ。今この村で悪塊の名に相応しいのは私ですから」

 またしてもカナミは微笑む。


 ミハネは小屋の外に出ると戸口のカナミを振り返る。

「カナミ、私はあなたを信じていた。ユウマに救われたあなたはきっと改心すると。

 ……あなたの悪事を確信するまで私は聖塊を引き受けませんでした。しかしあなたから話を聞いたお陰でもう迷いはなくなりました。もうあなたの行いには目を瞑らない」

「ミハネ様。本当にあなたロウ大人みたいなことを言うのね」

 カナミは引き戸に手をかける。

「明日の日暮れ前、迎えに来ます」

「ええ。逃げも隠れもせず、お待ちしておりますわ」

 そう言うとカナミは引き戸を閉める。その寸前、ミハネが見たカナミの瞳に迷いの色は見られなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗澹 カフェオレ @cafe443

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ