第4話
古社から出るとすでに日は暮れていた。
騒然とする群衆。
それもそうだ。彼らはロウ
「カナミ、なぜ生きている?」
「ロウ大人はどうした⁉︎」
わなわなと震える唇をどうにか動かし、カナミは静かに口を開く。
「ロウ大人は……
まさか、という声が続々と上がり村人は生き残った少女に非難の声を浴びせる。
「ロウ大人のような聖塊を暗澹様が食う訳がないだろう!」
「お前が殺したんだ!」
「恐ろしい奴め! 化け物! 殺せ!」
「逃げたぞ追え!」
カナミは涙を流しながら森の中を逃げた。
背中に石や木の枝を投げつけられる。彼らは私を殺すつもりだ。
暗澹様に見逃されたのに、結局私は殺されてしまうのか?
少女を追いかける多くの影。この状況は先程の洞窟と同じだ。
暗澹様の姿がカナミの脳裏に浮かぶ。不気味な腕の大群。無数の眼光。
ああ、あれと何も変わらない。村中の人間が私を殺そうとしている。
その時カナミは地表に露出した木の根につまずき地面に倒れ込む。
逃げなきゃ。今度こそ死んでしまう。骨を砕かれ、すり潰される。
——脳裏に浮かぶ哀れなロウ大人。村一番の聖人の成れの果て。
死ぬのは嫌だ!
死ぬのは嫌だ!
死ぬのは嫌だ!
そう思ったのはいつ振りだろう。いや生まれて初めてではないだろうか。
とにかく逃げなきゃ。そう思った時、カナミは腕を掴まれた。
捕まった! 殺される‼︎
「大丈夫、私よ」
優しく諭すような声。この声は——
「逃げるわよ。ついてきて」
カナミはその腕にしがみつき後に続いた。
*
森を抜け小高い丘にたどり着く。
しばらくその場でカナミは横たわり、肩を抱く。
死ぬのは嫌だ……。
死ぬのは嫌だ……。
大晦日の夜、凍えるような寒さに「凍死」という言葉を連想した。
ダメだ。死ぬことばかり考えている。
そう思った時、微かな温もりが伝わって来た。
「追っ手はないようね。もう大丈夫よ」
カナミを助けた人物が火を起こし、そっと彼女に厚手の布をかけたのだ。
それによりカナミの精神はわずかに落ち着きを取り戻す。
ゆらめく炎に照らされた横顔。それは——
「……ミハネ様」
優しい微笑みでミハネは答えた。
「よく戻ってきたわ、カナミ。私は信じていましたよ」
ミハネの優しい声に、炎の温もりに、カナミは生を感じた。
ああ、私は生きている。
「ミハネ様、私は……ロウ大人を……暗澹様が」
「分かっています。ロウ大人が生贄に捧げられ、あなたは救われたのでしょう?」
カナミはうん、と頷く。
「でも……どうしてなんですか? 私は悪塊でロウ大人は聖塊なのに」
「それはね、あなたは悪塊なんかではないということよ」
ミハネは淡々と述べる。
「そして、ロウ大人が今年の悪塊だった」
衝撃の事実。カナミは耳を疑った。
「そんな……! 嘘です。あんなに村人の尊敬を集める人が悪塊だなんて」
「嘘ではありません。だってロウ大人が死に、あなたは生きている」
客観的事実。そこから導き出される答えはミハネの言う通りでしかない。
「じゃあ本当にロウ大人は」
「ええ、ロウ大人こそ正真正銘、悪塊だったのです」
否定しようのない真実。
「カナミさん、あなたが中絶薬を買っていた怪しげな薬売りのことですけど」
カナミに気を使ってか、阿片や麻薬については言及しない。
「あれは……スグル先生がこの村での仲介人で」
「いいえ、スグル先生は顧客の一人でしかないのよ」
「じゃあ……」
炎を悲しげに見つめるミハネ。
「ロウ大人こそ、あの薬売りをこの村に招き入れたのです。これは私の推測に過ぎませんが、長年聖塊という役目を任された彼はその重圧から逃れるために薬に手を出したのでしょう。
あの薬売りを追い出そうという村人の声はありました。しかしロウ大人にとって薬とその仲介料は最早手放すことは出来ない。そこで彼は薬売りに代わる村人の批判の的を見つけた。カナミ、あなたです」
ミハネは視線をカナミに戻す。
「あなたの素行の悪さと村人から聞こえるあなたの噂に目を付けたロウ大人はわざとあなたの行為を黙認した。救いの手を差し伸べることもなく、自主的な更生に期待を込めると言って。さらには薬売りの仲介人の疑惑までもあなたに押し付けようとした」
「……じゃあ私が今まで悪塊に選ばれなかったのは」
「ロウ大人は村人の声が抑えられなくなるまできっとあなたを悪塊に選ぶつもりはなかったのでしょう。
そして今年、遂にあなたを悪塊に選ばねばならなかった。そうなるとあなたに代わる悪塊を見つけなければならない。その邪悪な心を暗澹様は見逃さなかった。その結果、彼は悪塊になってしまったのです。あなたはそんな悪塊ロウ大人の被害者だったのです」
私はロウ大人の悪行に救われたということか。ミハネの説明からカナミはそう自分を納得させた。
*
その時、誰かの足音が聞こえた。まさか追手が。
ミハネは腰を上げる。
「さて、私は席を外しますか」
「待ってミハネ様! 一人にしないで下さい」
「あなたはもう一人じゃないわ。彼はあなたにとっての聖塊よ」
すると、ミハネの背後に見慣れた顔が現れる。
「ユウマ」
カナミは喜びで声を振るわす。
「カナミ、よかった」
ユウマはカナミの肩を力強く抱く。
「あとは任せていいわね。ユウマ君」
「はい。ミハネ様本当にありがとうございます」
それを聞くとミハネは森の中へと去って行った。
「ユウマ、どうしてここが?」
「カナミが古社に入った後、ミハネ様に言われたんだ。きっとカナミは帰ってくるって。そしてお前をここへ逃すことも全部教えてくれたんだ。俺は途中で迷っちゃったけど」
照れくさそうに笑うユウマ。その笑顔がカナミの胸を打つ。
ああ、なんて眩しいんだろう。この暖かな気持ちはなんだろう。
それはカナミが初めて抱いた憧れの感情だった。
「ユウマ。あの時私を助けてくれようとしてありがとう。凄く嬉しかった」
「当たり前だ。俺はカナミのことが好きだからな。たとえ聖塊や暗澹様、いや村中を敵に回したって守ってやる」
力強いユウマの言葉。
「何よ。簡単にねじ伏せられてたじゃない」
悪戯っぽく笑うカナミ。
「あれは仕方ねーよ。背後からなんて卑怯だ!」
「男らしくないぞーバカ」
「うるせぇー」
カナミは久々に心から笑えている自分に気付いた。ユウマといる時間はこんなに楽しく穏やかであることを今初めて実感した。
「あ、おい! 見てみろよ!」
ユウマは東に
「綺麗……」
いつの間にか空は明るくなりつつある。初日の出は新たな時代の幕開けを知らせるように美しく雄大だった。
この日の出来事をカナミは生涯忘れることはないだろう。この丘は彼女にとっての人生の新たな出発点である。
朝日に照らされる暗澹村。それはカナミが今まで目にした中で一番清らかで希望に満ちた風景だった。
*
それから十年後、カナミはユウマと結婚していた。
彼らは二人の子供をもうけ、畑仕事に精を出しながら穏やかで慎ましい日々を送っている。
十年前ロウ大人の悪行は村人に知れ渡り一時混乱を招いたが、次第にそれも収束していった。
カナミは円満とは言わないまでも村の一員として改めて迎え入れられた。ミハネとユウマが村人を説得したお陰でもあるが、カナミ自身、己の素行を反省し村社会への帰属意識を持ったことが徐々に村人に認められた為でもあった。
悪塊、村の癌とまで言われたカナミは今、一人の村人として、そして母として、あの日の、初日の出に照らされた風景のように清らかで暖かな幸せを手に入れていた。
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