第3話

 大晦日の夕暮れ。暗澹あんたん様を祀る古社の前には多くの村人が集まっていた。

 皆悪塊あくかいが暗澹様に捧げられるのを見に来たのだ。今年はそれが十五歳の少女カナミであるためか、人々は意味深な雰囲気に包まれていた。

「来たぞ」

 誰かがそう囁く。

 人混みをかき分けやってくる二つの影——聖塊せいかいロウ大人たいじん悪塊あくかいカナミ。

 二人が古社の前にたどり着くと村人のざわつきは大きくなる。それはヒートアップしていきカナミに対する非難の声へと変わる。

 虚な瞳の少女に浴びせられる無数の罵声。

「やっといなくなってくれる」

「ロウ大人よ。感謝します」

「早く食われろ」

「この場で殺してしまえ」

 中にはかつてカナミを買った者も多数見受けられた。

 ロウ大人はただ黙ってカナミを先導し、カナミは人々に侮蔑の表情を向ける。それがさらに村人を煽り立てる。

 満足気に微笑んだカナミ。するとその手を引く者がいた。

「カナミ行こう!」

 カナミの腕を引くユウマ。しかしカナミに煽動された村人がユウマを羽交締めにする。

「やめろ離せ!」

「ユウマ貴様、村を不幸にする気か! あの女は暗澹様に食われるべき悪塊だ!」

 抵抗するも虚しく取り押さえられるユウマ。そんなユウマに巻き込まれたカナミだがその機に乗じて逃げることもせず、立ち上がるとさっさとロウ大人と共に古社の中へと消えていった。


 *


 古社の中。床には鉄の扉が取り付けられていた。ロウ大人は恭しい仕草でその扉の鍵を開ける。そこには地下へ降る石段が続いていた。この先にあるのは死。暗澹へと続く暗い穴が口を開けて待っていた。

 一段降る度、湿気と冷気が増していくのをカナミは感じていた。しかしカナミはロウ大人に何も聞かず、ロウ大人もまた何も言わない。彼の持つ松明の明かりだけを頼りにカナミは足を踏み出す。

 夕暮れ前、カナミを迎えに来たロウ大人の「行くぞ」という一言に対し、カナミは返事もせず黙ってついてきた。以来二人の間に会話はなく、ひたすらにじめじめとした石段を降り続けた。


 このまま降り続けたらいつの間にか、黄泉の国に着いていて、気付いた時には私は死んでいるのではないか。カナミがそう思い始めた頃、石段の先に明かりが見えた。ここが終わりのようだ。

 石段の先には洞窟のような空間が広がっており、正面には湿気と冷気の正体である大きな滝が音を立て流れていた。滝壺は大きく小舟でもないと滝には届かないだろう。

 洞窟の中には無数の松明が焚かれており見通しがいい。炎が燃えているところを見ると酸素は十分にあるようだ。呼吸は辛くない。

 するとロウ大人は久方ぶりに口を開く。

「カナミここに座りなさい」

 ロウ大人の指し示す場所は滝壺の縁。カナミはこれにも返事をせず黙って行儀良く正座した。

「カナミよ、ここでお前の生涯が終わる。最期を見届ける者として何か言い残すことがあれば聞いておこう」

 カナミはわずかに微笑む。

「じゃあ村の男たちに化けて出るぞって伝えてください。あとユウマにはありがとう嬉しかったよって」

 ロウ大人は頷くと、

「それでは暗澹様にその身を捧げる。感謝するぞカナミ」

 滝に向かい声を張る。

「出よ暗澹! 悪塊を食らい、汚れを払い我が村に安寧をもたらしたまえ!」

 ロウ大人の声に呼応するかのように尋常ならざる空気が洞窟に流れる。

 禍々しいものがやってくる。カナミはそう直感した。

 その気配は滝の向こうから現れた。

 巨大な灰色の物体。目を凝らすまでもなく、それが腕であることが分かる。

 灰色の腕が一本、二本……いや、見る間に数十本の巨大な腕が覗き、滝を二つに割る。

 裂け目からはいくつもの腕を生やした巨大な灰色のブヨブヨとした歪な肉の塊が現れる。

 肉の表面には無数の目玉が並び、肉の中心より下には牙を生やした大きな口——さながらイカの口のようであった——、その周りから無数の腕は生えていた。

 胴体ともいえる肉は所々がえぐれ腐ったような部分も見られる。腕の先には指が五本あるようだがその多くは欠けており、手首から先が見られないものもある。

 これが暗澹様……。神というより化け物だなとカナミは思い、身構えた。

 昨日から、いやそれよりずっと前から悪塊に選ばれることを悟り死は覚悟していたつもりだった。しかし、この化け物のような神を前にカナミの覚悟は一瞬揺らいだ。

 暗澹様の無数の目玉がカナミを捉える。

 もっと楽で苦しまない、綺麗な死に方もあったのではないか? 村の役になど立たなくていい。悪塊に選ばれるのを待つよりもっと早く死ねばよかった。

 だがその時、カナミの心にユウマの顔が浮かんだ。

 一途にカナミを思い続けたユウマ。力もなく決して頼れる男ではないがその優しさをここに来てカナミは思い出していた。

 カナミは結局彼の優しさ、想いに応えることは出来なかった。いや、裏切り続ける人生だった。なのに、最後の最後までユウマはカナミを救おうと必死だった。

 そうだ。私が食われることでユウマに安寧がもたらされると思えばいいじゃないか。

 カナミは再び覚悟を決める。この命は村の安寧のためではない、ユウマのために捨てるのだ。さあどうぞ、さっさと私をお食べ暗澹様。

 無数の目玉を見返した時、異形の神の目線はカナミの隣、聖塊ロウ大人に向けられた。

 無数の腕はそのままロウ大人に伸び、抵抗する間もなく非力な老人は締め上げられる。

「なぜです⁉︎ 暗澹様、私は聖塊です‼︎ おやめください、おやめください!」

 ひたすらに救いを求めるも暗澹様はそのままロウ大人を口の中へ放り込む。

 巨大な牙があろうことか村一番の聖人を噛み砕き、すり潰す。もはや人間とは呼べない姿になったロウ大人の死体は暗澹様の腹の中へと飲み込まれた。

 そして役目を終えた安寧の神は、滝の向こうへ再び姿を消した。


 *


 何が起きたのかカナミには訳が分からなかった。

 村一番の悪人を食べる神様。私はそんな神様の生贄。それが聖塊を食べてしまった。カナミは呆然と正座したまま滝を見つめる。

 私は生きている。

 なぜ?

 なぜ?

 なぜ?

 頭が思考を再開すると次第に恐怖が蘇ってくる。この世のものとは思えぬ異形。無残な死に方をしたロウ大人。

 カナミはやっと悲鳴を上げると、もつれるように長い長い石段を駆け上がっていった。

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