第2話
最後の授業が終わり、放課後になった。由莉は楓を呼ぼうと振り返ると、顔を青くした彼女がいた。
「ど、どうしたの?楓ちゃん……」
「あっ、由莉……。えっと、なんか弟が、熱出たみたいで……、結構高熱らしくて、迎え行かなきゃ、なんだけど……」
俯き、前髪をいじるその手は、少し震えている。由莉は楓の肩に手を添えて言った。
「いいよ。私、言っておくから、迎え行ってきなよ。私も心配だし……」
「…………ありがとう!」
リュックサックを腕にかけ駆けていく彼女を見送り、由梨は一息ついた。今から会いに行くのだ。心臓が高鳴る。由梨は心做しか軽い足取りで風紀委員会の場所──一階空き教室へと向かった。
教室の前につき扉に手をかけようとするが、体がこわばる。大丈夫、と自分に言い聞かせる。軽く深呼吸し、扉を開けた。
「す、すみません!風紀委員に入りました、かっ、柏木由梨です!」
入室と同時に頭を下げ大きなかすれ声で挨拶をする。だが、いつまで経っても返答は無い。
「…………?」
恐る恐る顔を上げると、窓の外を眺める彼女、宮原さくらがいた。夕焼けの光が長い髪の毛を照らし輝いている。細長い指は、子供が親の服の裾を掴むようにカーテンをつまんでいた。
「あの……」
「帰って」
「え……?」
困惑する由梨をよそに、さくらはピクリとも動かずに話を続ける。
「ご挨拶どうもありがとう。でも活動は私ひとりで充分間に合ってるので、もう来ないでくれる」
「え、でも」
「先生には私が伝えておくわ。貴方が心配することは何一つないから安心して」
「でも私」
「帰ってって言ってるのよ!」
応じない由梨にさくらは語気を荒げて命令する。急な彼女の変貌に呆気に取られて立ち尽くした。
「貴方も私の噂を信じて野次馬気分で入った人でしょうけど、残念ながら期待するものは今も今後も何一つないわ」
「私そんなつもりじゃ」
「そう、それなら一層来ないでくれる?変な噂が立てられるから」
「平気です!」
ふわりとさくらの髪の毛が揺れた。動揺したのが目に見えた。由梨はここぞとばかりに続ける。
「私、噂で来たんじゃないです。入学式の宮原先輩を見て、素敵だなって思ってきたんです。一緒にいたくて来たんです。だからどんな噂が立っても平気です!」
「…………帰って」
「どうして……!」
「レズビアンなのよ」
さくらは振り返ると、寸分もたがわず完璧な笑顔でもう一度言った。
「私、レズビアンなの」
その姿は眩く、差し込んだ窓明かりは彼女を護っているかのようだった。
「いいの?そばにいて。私、貴方のこと好きになるかもしれないわよ」
「いいです」
「冗談言わないで」
「冗談じゃないです、私、宮原先輩に一目惚れしたんです」
「馬鹿にしないでくれる」
険しい顔をして由梨に詰め寄るさくら。目の前に来ると、由梨の頬をそっと撫で、顎を掴み顔を近づけた。
「貴方、こんなことされるの想像した?」
「せんぱっ」
「こんなに近くにいても足りなくて、もっと近くにいたいって思った?」
「せんぱい、やめてっ」
由梨の胸に触れリボンに手をかける。
「このまま続けてもいいのよ」
「先輩!」
ドンッと大きくさくらを突き飛ばす。少しよろけたさくらは狼狽える由梨を見ることも無く、分かった?と呟き、そしてはっきりと発した。
「貴方のは恋ではないわ」
さくらは足早に教室から立ち去った。
由梨は何が起こったのか分からなかった。一瞬の出来事であった。そこに残っているのは、乱れた制服を着た由梨自身だけである。彼女は虚しさで涙を零した。
「由梨?」
静かな教室に響く男性の声。由梨は急いで涙を拭き、口角を上げて声の主に応えた。
「お兄ちゃん、どうしたの」
「由梨こそどうしたんだ。なんでこんなところにいる?既読もつかないし、心配して……」
「委員会だったの。ごめんなさい。スマホ見てなくて」
男は安心した表情を見せると、由梨を抱き寄せた。
「お願いだから、あんまり不安にさせないでくれ」
「うん」
「離れないで、どこにも行かないでくれよ」
「うん」
「連絡もすぐにくれ」
「うん、分かった」
「ありがとう、ありがとう……ごめんな、ごめん……」
男が啜り泣くのを肩で感じる。由梨の恍惚とした表情は、誰も知らないのであった。
ナズナ 〜中学生編〜 雲空 @kumozora
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