ヒマワリ
碧川亜理沙
ヒマワリ
これは、運命なのかもしれないと思った。
* * * * *
「お父さん! ひまりね、これ欲しい!」
照明が明るすぎて目をつぶっていた僕の耳に届いたのは、元気な女の子の声だった。
ぼんやりと透明な仕切りの向こうに写るのは、まだ幼い女の子。はっきりとは見えなくても、その目は僕のことを見ていた。
「これでいいの? 女の子が欲しいって言ってたじゃない」
「いいの! この子がいいの!」
「まあ、ひまりがいいならいいけれど……」
しばらくすると、ガタガタと周囲が揺れて、次に奇妙な浮遊感があった。誰かが僕のことを運んでいるらしい。
周囲からは羨ましいだの、お幸せにだの、様々な言葉が投げかけられた。
この時はまだ、ただ嫌な人じゃなければいいなくらいにしか思ってはいなかった。
途中で視界が真っ暗になり、周囲の様子が全く見えなくなった。だけど、定期的に揺らされるから、だんだんと僕は疲れてきていた。
揺れがおさまったのは、どのくらい経ってからだろう。暗くて外の様子が分からないが、周りの人の声も、一時近くなったかと思えば、揺れがおさまってからはほとんど聞こえなくなった。かすかに笑い声が聞こえるだけ。
せっかくあの場所から移動したのに、これではどこにいたところで変わらない日々ではないか。
僕はまた目を閉じた。
それから、どのくらい日が経ったのだろうか。
ふっと目が覚めたのは、振動を感じたからだった。相変わらず視界は暗いままだが、どうやらどこかに移動しているらしい。賑やかな声がだんだんと近づいてくる。
「誕生日おめでとう、ひまり」
「ありがとっ!」
色んな声が聞こえてくる。それらはすべて嬉しそうだった。
「開けていい?」
「いいわよ」
そんな声が聞こえたかと思ったら、一気に視界が明るくなった。眩しさに目がくらむも、その間に今度は誰かが僕を抱き上げた。
こもって聞こえていた音が鮮明に聞こえる。
「うわぁ、やっぱりキレイだよ!」
僕を褒める声。ゆっくり明るさに目を慣らしていくと、目の前には満面の笑みの少女の顔。前歯が欠けているのが少し間抜けだ。
「よろしくね!」
僕はしばし、その少女の太陽のような笑顔に見とれてしまっていたのかもしれない。そして、その時にはもう、僕は彼女のものだと思っていた。
「エドワード! おはよう!」
僕にはエドワードという名前が与えられた。どうやら髪が金色で目が緑だかららしい。
由来はどうでもいいけど、この名前は気に入っていた。
そして、僕を呼ぶ彼女はひまりというようだ。
「ゆきちゃんもおはよう!」
僕から目を離して、隣に座る少女に話しかける。
ゆきちゃんとは、僕より先に彼女と一緒に過ごしている先輩だ。
真っ白な肌に真っ黒な長い髪と目。僕とは違い、立派な赤い服を着ている。
ひまりは、毎朝僕たちに挨拶をする。そして、彼女の支度が整ったあと、僕たちはひまりと一緒に遊ぶのだ。
先生ごっこ、家族ごっこ、お医者さんごっこ……日によってやることは変わるけど、ひまりはとても楽しそうに笑っていた。
僕も先輩のゆきちゃんも、ひまりのこの笑った顔が好きだった。
『身に合わなくても、彼女が嬉しいならそれでいいのよ』
そう、ゆきちゃんは言っていた。
ひまりは大きくなるにつれて、外で遊ぶことが増えてきた。
時折、友だちを部屋に招待して楽しそうに笑っているのを何度かみた。
彼女が小さかったころのように、毎日一緒に遊ぶことはなくなったが、彼女が僕たちのことを想ってくれているのは知っていた。
「ゆきちゃん、エド、おはよう」
毎日のように朝や夜には声をかけてくれるし、僕には"エド"と愛称をつけてくれた。
ひまりに対する想いは、なくなるどころか、日に日に増していった。
だけど、幸せというものは、どうしてか長続きというものができないらしい。
「……どうしよう」
ひまりは、もう立派なレディへと成長していた。笑うと幼さは残るが、僕たちから見たらもう大人と大差ない。
そんなひまりは今、僕たちを他所にたくさんの箱にものを詰めていく。
途中でうんうんと悩みながら、箱に詰めていた。
『この家を離れるみたい』
ゆきちゃんがそう言っていた。僕が寝ている間にでも、ひまりに聞いたらしい。
どうやらひまりだけではなく、ひまりの家族全員でここを出ていくようだ。
僕たちは、当たり前のようにひまりと一緒に行くと思っていた。
あの日までは。
大方、ひまりの部屋のものはたくさんの箱に収まり、ずいぶんとがらんとしてしまった。
僕とゆきちゃんは、まだいつもの定位置に座っている。
ドアがノックされる音とともに入ってきたのは、ひまりの母親だった。ひまりは、学校というところに行っていて、今はいない。
「もう、どこに何入れたか書いときなさいって言ったのに……」
ぶつぶつと呟きながら、彼女は箱たちを部屋の外へと運び出していく。
箱が全て運び出され、部屋はがらんとしてしまった。
ぐるりと部屋の中を見渡す彼女の視線が、僕たちの前で止まった。
「あら、まだ片付けてなかったの」
そういうや否や、僕たちの体は彼女の手の中に。乱雑に扱われ、ゆきちゃんと頭をぶつけてしまった。
無抵抗の僕たちは、ひまりの部屋を出て、白い大きな袋の中に投げ込まれる。重力に従うままに落ちた先は、少し柔らかかったから衝撃はそこまでなかった。だけど、ゆきちゃんは打ちどころが悪かったのか、右手がだらんとしてしまっている。
『右手……折れたかも』
痛そうに言うゆきちゃん。
何とかここから出ようと声を上げるも、誰も気付く者などいない。
しばらくすると、ひまりが帰ってきた声がした。
ひまりなら、自分の部屋からいなくなった僕たちに気付くことだろう。
案の定、僕とゆきちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ねぇ、お母さん。ゆきちゃんとエドは? 私、まだ棚の上に置いてたはずだよね?」
「……あぁ、あれのこと。袋に入れたわよ。それに、あなた、いい歳してまだ人形遊びしてるの? もう子どもじゃないんだから、なくても問題ないでしょ?」
「……んー」
「ほら、明日にはもう業者の人が来るんだから、早く片付けしちゃいなさい」
その夜、ひまりが僕たちを見つけに来ることはなかった。
翌日は、なにやら家の中が賑やかだった。知らない人が何人か僕たちの前を素通りしていく。
家の中にあったものが、次々と運び出されていく。
数時間もすれば、僕たちがいるところ以外は、何もなくなっていた。
『あ、ママさん』
ゆきちゃんが声を上げる。ちょうど僕たちの前に来たひまりの母に声の限り訴えるも、聞こえていないのか、近くにあった袋の口を次々に結んでいく。
もしかして──と思う間に、僕たちが入った袋の口も結ばれてしまった。
そして、僕たちは、家の外へと捨てられてしまった。
『どうしよう……』
息がだんだんと苦しくなってきた。このまま時間が経つにつれて、息が出来なくなり、死んでしまうかもしれない。
『ひまり……』
僕は死んでしまうことよりも、ひまりに会えなくなるほうが嫌だ。
『エド、私の後ろをみなさい』
ゆきちゃんが自らの体を動かす。そこには、小さな穴が空いていた。頑張れば、僕ひとり通って外に行けるだろう。
ゆきちゃんも一緒に、と誘ったが断られてしまった。
『右手がもう痛くて動けそうにないです。足でまといにはなりたくなりません。
おそらくひまりは、もうあの家にはいないでしょう。あなたなら、ひまりとまた会うことができますわ。ご武運を』
そう言って、目を閉じてしまった。
僕は彼女に会いたい一心で、ゆきちゃんに申し訳ないと思いながらも、なんとか袋を出ることができた。
自由に体を動かすことはできないけれど、移動できるようになっただけでもマシだろう。
『ひまり……どこなんだ』
外はもう暗くなっていた。
今までろくに外に出たことがないため、土地勘などあるはずがなかった。
それでも何とか今まで住んでいたであろう家に着くも、ゆきちゃんの言う通り、家は静まり返っていた。真っ暗で、誰かいる気配はない。
ここからは地道にひまりを探すことしかできない。
周りを通りかかる者たちに声をかけ、時には邪険にされ攻撃されることもあった。
それでも、親切な者たちは、僕に残っているひまりの気配を手がかりに協力してくれる者たちもいた。
そしていよいよ、その者たちのおかげで、ひまりがいるであろう場所を見つけることができた。
『ひまり……』
そこは、前にいた家より大きいが、たくさんの人たちがそれぞれの部屋を持っているのだそうだ。
残念なことに、僕はひまりが住んでいる部屋を知らない。
近くまで来たはいいものの、これではお預けをくらったようなものだ。
ひまりがここを通ってくれないかと期待した。なんなら、彼女の家族でもいい。
だけど、僕が起きている間は、ひまりたちが目の前を通ることはなかった。
『お困りかい』
体力もずいぶん回復してきて、最終手段として階段を使いひと部屋ひと部屋確認していこうかと思っていた時だった。
偶然通りかかった者が、僕に話しかけてくれた。
僕はその者に、今までの経緯とこれからのことを子細話した。
するとその者は、なんとひまりを知っているようだった。
『髪の長い女子だろ? たまに飯をくれるいい子だから、覚えてたんだ』
その子の部屋の前までなら連れていこうか、という言葉に、僕は是非にとお願いした。もう藁にもすがる思いなのだ。
その者は親切にも、僕をくわえてその場所まで運んでくれた。内心そのまま食べられてしまうのでは、と思ったのはここだけの秘密。
存外簡単に、その者はひまりが住んでいるであろう部屋の前まで、あっという間に連れて来てくれた。
『おいらはここまでだよ。後はてめぇで頑張りな』
ありがとう、と去っていく背に礼を言う。
目の前には、見慣れぬ大きなドアが立ちはだかっている。
おそらくここには鍵がかかっているだろう。彼女たちは、ドアというところにはいつも鍵をかけるから、ここも例外ではあるまい。
でも、ここまで来れば、いずれはこのドアが開く瞬間があるだろうから、その時まで待てばいいのだ。
そしてその瞬間はわりと早くに来た。
ガチャリ、と鍵が開く音とともに、ドアが開いた。出てきたのはひまりの父親であった。
外に出る彼と入れ替わるように、僕は家の中に入ることに成功した。
ひまりの部屋らしきところはすぐに見つかった。彼女のものは、10年以上ともに過ごしてきたのだから覚えている。
ひまりは、今はいないようだった。
僕はようやくここまで来たことに安堵し、そして今までの疲れも相まって、そのまま意識を手放した。
ふっと意識が浮上した。ひまりの声が聞こえた気がしたからだ。
僕はひまりの部屋の入口で寝てしまっていたらしい。
こんなところに寝ていたら、ひまりを驚かせてしまうかもしれない。
移動しようとした時、パチッと部屋の明かりがついた。
床に寝ころんだままという、何とも格好がつかない状態で、ひまりを見上げた。
彼女も僕に気付いてくれた。
でも、驚かしてしまったからか。彼女の表情は強ばっていた。
『ひまり、会いたかったよ』
「お母さんっ!!」
ひまりは悲鳴じみた声で、踵を返した。
やはり、僕がこんなところで寝てしまっていたばかりに、彼女を驚かしてしまったようだ。
「お母さんっ!! エ、エドがっ! 私の、部屋にいるのっ!」
「何言ってるの。人形は2体とも捨てたわよ。ここにあるわけないじゃない」
「でも! 今部屋に、エドワードがいるのっ!」
来て、という声とともに、ひまりは母親を伴って部屋に戻ってきた。
ひまりの母親も、何故か僕を見ると顔が強ばり、小さい悲鳴をあげていた。
なぜ、2人してそんなに驚いた顔をするのだろうか。
僕はただ、ひまりがいる場所に帰ってきただけなのに。
『ひまり、会いたかったよ。君が置いていってしまったから、僕は頑張って君を探して会いに来たんだ』
「拾ってきたんじゃないの!?」
「そんなことしないわよ! ねぇ、お母さん。部屋から出してよ。私、怖くて触れない」
「嫌よ! 私だって気味悪くて触りたくないわ! ……お父さんが帰ってきたら頼みましょう。もう少しで帰って来ると思うから」
「ねぇ、また捨てて戻ってきたりしない? どうしたらいいの……」
「だからお父さんが帰ってきたら話し合いましょ。お母さんに言われても困るわよ……」
……どうしてだい? どうして君は僕のことをそんな目で見るのだろう。
僕はただ、ひまり、君に会いたい一心でここまで来たんだよ。そして、君にまた会えて凄く嬉しいんだよ。
本当はゆきちゃんも一緒に来たかったけど、彼女はもう動けないから、ゆきちゃんの分の想いまで連れてきたんだよ。
だから、ひまり、もう一度いつものように笑った顔を見せて。僕たちが大好きなあの笑顔を見せて。
あぁ、僕の声が君に届けばいいのに。そうすれば、僕のこの思いもちゃんと君に伝わるはずなのに。
ひまり、僕の大事なひまり。これからも、ずっと、一緒いよう。
今回はなんかの不手際で、僕たちのことを忘れてしまっただけだろう。だって君は小さい頃、僕たちはずっと一緒だって言ってたじゃないか。
君と同じ存在にはなれないけれど、僕はずっと、いちばん近くで、君のことを見守り続けるから。
だって、僕は、ずっと、
『ひまり、僕は君のことが大好きなんだよ』
-[完]-
ヒマワリ 碧川亜理沙 @blackboy2607
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