第三章、風の噂、海野寛太
憂鬱な朝。自販機で紙パックのいちごオレを買い、ストローを唇で軽く挟んで、歩きながら飲んで、教室へ向かっていく。廊下で会った友達に挨拶を交わしていると、誰かが僕に猛ダッシュで近づいてきていることに気づく。視覚的にうるさい金髪だからすぐ、同じクラスの親友、山風駿だと分かった。駿は興奮して叫んだ。
「なぁなぁなぁ
一瞬、理解ができなかった。吸い上げたいちごオレが、ストローの中を下っていく。反射的に、え、と声が出る。
「マジマジ!昨日オレ電車で二人見たのよ。まぁ二人は一緒に帰ってたんだけど、変なオッサンに絡まれちゃって?んで早瀬さんが『私の彼氏に手を出さないでください!』って叫んで、二人で手繋いで車両変えちゃったんだわ。」
駿の早口でチャラい説明でも何となく理解できた。やっぱりあの二人は付き合っていたのか。結構なショックだ。だって、僕は早瀬さんが好きだから。今年同じクラスになったばかりだけど、みんなに優しいし、何よりも可愛いし完璧だ。一方、長野健斗は、学年でもあまり名前を聞かない、ただのクラスメート。天然パーマの眼鏡で、骨の形が分かるほど瘦せている。休み時間はよく読書をしている印象。
ただ、今は不思議とまだ悲しさは湧いてこない。だって、僕には信じていることがあるから。最後の希望が。
―――二人は付き合っていなくて、「彼氏」というのは、早瀬さんのその場の機転なのではないか?
悶々と考えていると、目の前から駿が消えていた。周りをきょろきょろ見回すと、駿は早瀬さん、長野と喋っていた。駿は相変わらずチャラい。あの二人は今日も一緒に登校したのだろうか。そう思うと胸が鈍く痛む。俯いてしまう。だが次の瞬間、早瀬さんの明るい声が僕の耳を鮮やかに突き刺した。
「えー、駿何言ってんのー?まさか付き合ってるわけないじゃん!友達だよ!」
僕は安堵して息を吐きだす。でもすぐ、これがまた「機転」の可能性もある、と思ってしまう。恋愛の心理戦、という泥沼に片足を踏み入れている今、僕はどうすればいいのだろう。
向こうで、駿が早瀬さんと長野に手を振ったのが見えた。早瀬さんの手が揺れている。一方の長野の手は、かなり強張っていて、古い機械のように粗く、小さく振動している。今にもガタガタ音が聞こえてきそうだ。クラスメート相手に、あそこまでビビる必要はあるだろうか。あいつかなり面白いな、なんて思っていると、駿が戻ってきた。
「寛太―、今聞いてた?あの二人付き合ってないらしいけど絶対嘘だよなー?」
「う、うん」
「えー寛太、お前何寝ぼけてんの?反応がしょぼいぞ?」
いたずらっぽく駿はそう聞いて、僕に詰め寄ってくる。本心を悟られたくなくて、駿から目を逸らす。すると、僕らにじっと視線を送ってくる女子が視界に入った。小さい声で、僕は駿に尋ねる。
「こっち見てるあの女子誰?」
「あー、河上美央。友達が今同じクラスなんだけど、口数少ないらしい」
「なるほどね」
とりあえずそう返しておいた。でも僕は不思議と彼女に惹きつけられてしまった。なぜなら、あの目を僕は知っているからだ。不安で今にも消えてしまいそうな、儚い少女の目を。誰かに懸命に恋しているような、あの目を。
そう思った途端、僕ははっとした。
―――彼女は、長野のことが好きなのでは?
確証はないが、そんな気がした。渦中の早瀬さん本人と言葉を交わし、ことの真意を訪ねた駿を確かに見ていた。二人の真実を知りたいというのは僕と同じかもしれない。ぼんやりしていると、駿の声によって現実に引き戻される。
「んじゃ、オレトイレ行ってくるわ、またな」
またな、と短く返事し、胸の前で軽く手を揺らす。
僕には、確かめたいことがあった。だから、廊下の遠くに立ち尽くしている、河上美央のもとへ向かう。
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