第3話

今日、何度目かのチャイムが鳴った。

あと、どのくらいあの『授業』は行われるのだろうか。

『今日』という一日の長さは人間のそれとは違う。

―俺たち神見習いにとっては。

これもあの『先生』とかいう神様から教わった。

『先生』が人間の世界について説明する『授業』。

それを神見習いたちは一生懸命に、一文字も取り零さないように話を聞く。

俺もそうだった。

机に向かって『先生』の話に耳を傾けていたときもあった。

でも―

「・・・」

俺は無意味に空を見上げる。

蒼が一面を覆っている。

人間も何かに悩んだり、落ち込んだときはこうするのだろうか?

そんな疑問が俺の心の中に浮かんだ。

「・・・」

手元の数枚の原稿用紙に目を落とす。

これは俺が作り出した『物語』だ。

人間の世界そっくりの、この場所で俺が初めて紡いだ『物語』。

『授業』で教わった人間の世界を俺なりに作り出したものだ。

その時に全てを知ってしまった。

いや、確証があるわけじゃない。

それでも俺にはどうしても出来なかった。

どうしても書けなかった。

こういう結末でしか俺は人間を描くことが出来なかった―

「クソッ・・・」

俺は手元の原稿用紙をぐちゃぐちゃに丸める。

そして蒼い空にそれを放った。

手から離れたそれは重力にしたがって地面に落ち。

そして三回跳ねて止まった。

ここは人間の世界をまるで鏡写しにしたようだ。

世界は雲の形から校庭の砂の位置まで同じで。

俺たち神見習いはもとは人間で。

そして俺は―

「・・・人間みたいにここでサボってて」

そう呟いた時だった。

「え・・・?」

見上げたままだった空を何かが通り過ぎる。

右から左にふわふわと飛んだそれは。

さっき俺が投げた物よりもしっかりと空の空気を泳いでいた。

「紙飛行機、って言うんだよ」

「え・・・?」

首を左から右に流す。

紙飛行機の行く先よりも。

空気に乗って俺の耳に届いた綺麗な声が。

意識を奪った。

「それ、紙飛行機って言うんだよ」

女の子だった。

明るい髪の毛は肩につくかつかないくらいで。

大きな瞳は黒く澄んでいて。

それは、綺麗という言葉だけでは語りつくせなかった。

「君は・・・?」

彼女が作り出す空気が俺の言葉を途切れさせた。

それでも彼女は落ち着いたままこう言った。

「私は秋。君と同じ神見習いだよ」

「同じ教室で『授業』を受けていたんだけれど?」

俺はちょっと前のはずである記憶を思い出す。

窓際の一番後ろの席に座った彼女の姿が浮かんだ。

「ああ」

「あの、後ろの席の」

「そう、そう」

彼女は歩き出した。

どうやら紙飛行機というものを飛ばしたのは彼女で。

俺の数メートル先に落ちたそれを拾いに行くようだった。

「私、君の書いた物語読んだよ」

彼女は拾った紙飛行機をほどいた。

それをよく見てみると俺が丸めて投げた原稿用紙だった。

「どうしてこの物語はダメなの?」

「え?」

「丸めて、投げるだなんて、まるで没みたい」

「どうして、この物語は没なの?」

「それは・・・」

俺は言葉を濁した。

いや、言葉を探した。

このことを他の神見習いに知られてしまったら。

もう俺は神様になれないと、自分で認めてしまう気がした。

そんなちっぽけなプライドが俺の全てだった。

「・・・何となくだよ」

「何となく?」

「そう」

「なんかしっくりこないとか、どうしても納得できないとか、みたいな」

「そんな感覚的な理由だよ」

「・・・」

「そっか」

彼女はそう言うと自分の手元の原稿用紙を見つめた。

「先生が言ってたの覚えてる?」

「ごめん、俺は途中からサボっているから・・・」

「知っているよ」

「君は初めて自分たちで物語を書いてみる授業を最後に教室から出ていったんだよね」

「もう授業は終わったよって君に伝えてあげようと思ってここに来たんだ」

そうか。

さっきのチャイムは最後の授業が終わる合図だったんだ。

「どうして俺がここにいるって分かった?」

「何となくかな」

「何となく?」

「勘だよ。勘」

「・・・」

「ってそうじゃなくて」

「先生が言っていたこと、覚えている?」

「君がまだ授業に出ていた時のことだよ」

「神様は神見習いから一人しかなれないっていうの」

「もちろん覚えているよ」

それは一番最初の授業から何度も説明されてきたことだった。


「神様は人間の世界を物語として書いているのです」

「ですから、神見習いの使命は神様を目指すことなのです」

まだ日が昇って間もない『神様の世界』で俺は授業を受けていた。

先生は神様と人間と神見習いとの関係について話した。

「もう一度整理しましょう」

「まず、神様が物語を作ります」

「それはこの町のどこかにある、神様に選ばれた神見習いのみが入れる特別な空間で行われます」

「私たち神様はそれを『図書室』と呼んでいます」

「そして図書室で描かれた物語がそのまま人間の世界となります」

「では、神見習いとはなんなのか、を説明します」

「それは神様が作り出した物語の登場人物の人格のみになります」

「言い換えるのならば記憶のない登場人物ということですね」

「神様が『図書室』で物語を書き終えた時に神見習いは」

「人間世界の裏側であるここ『神様の世界』に誕生します」

「ここで神見習いは人間の世界について私から学ぶことになります」

「なぜなら、次の神様を神見習いの中から選ぶためです」

「神見習いの皆さんには神様になるためにこの教室で勉強して物語を書いてもらいます」

「神様が皆さんの物語を読んで、神見習いの中から次の神様を選んでくださります」

「選ばれた次の神様は人間の世界を書きます」

「神様は人間の世界を書き繋いできたのです」

「この中から一人が」

「たった一人が神様となれます」

先生は神見習いを見渡した。

そのあとこう言った。

「何か、質問があるものは居ますか?」

教室には三十人ほどの神見習いがいた。

その中で手が二つ挙がった。

「では、そちらの方から」

「人間の世界というのはこの教室に収まるほどの人数で成り立っているのですか?」

「いい着眼点ですね」

「神様というのは人間にとって絶対の存在です」

「もう少し詳しく説明しましょう」

「人間には記憶がありますが」

「その記憶とはすなわち神様が作り出した『設定』のような物なのです」

「例えば『世界には約70億人の人間がいる』ということを『学校の先生』から『主人公』が教わるということを神様が書いたとしましょう」

「『世界には約70億人の人間がいる』という『70億人』は物語の登場人物とは言えません」

「この場面では『学校の先生』と『主人公』のみが登場人物となります」

「その為人間がたとえ70億人いたとしても、神見習いとして此処に現れるのは『学校の先生』と『主人公』のみです」

「そう考えると一つの物語での登場人物はこのくらいとなるのです」

先生はまた教室を見渡した。

「これで分かりましたか?」

神見習いは「はい、ありがとうございます」と答えた。

「登場人物を極端に多くしても少なくしても問題はありません」

「ですが、禁止事項もあるのでそちらについてはもう少し後で説明しましょう」

「では、あなたの疑問に答えましょう」

そう、先生が言うとその神見習いは言った。

「神様に選ばれなかった神見習いはどうなるんですか?」

「・・・」

「そうですね」

「神様に選ばれなかった神見習いは」

「消滅します」

その言葉が放たれたあと、教室にどよめきが走った。

「選ばれなかった神見習いは」

「日が沈み次第消滅します」

「ここは人間の世界と全く同じで」

「まるで鏡映しのようだけれど」

「それでも一つだけ」

「違うところがあります」

「それは―」

「一日という日の長さ、です」

「『神様の世界』の一日は神様が物語を書いている時間、です」

「だから、この一日は長い、長い一日なのです」

「この不思議な一日が終わるころ」

「この中のたった一人だけが」

「次の神様になるのです」

教室の空気が先生一色で染まっていた。

その時チャイムがなった。

「一時間目はこのくらいにしておきましょう」

「次の『授業』は十分後です」

そう言うと先生は教室を後にした。


「衝撃的だったよね」

「ああ」

「私たちのうち一人だけが生き残って」

「それ以外は死んじゃうなんて」

「言い方が残酷だな」

「そうかもね」

「でも、そういうこと、なんだよね」

「・・・」

たった一人の神見習い以外が消滅してしまう。

それを秋は生死で表現した。

まるで人間みたいだなと思った。

「終君」

「え?」

彼女が不意に俺の名前を呼んだ。

「君のこと終君って呼んでいい?」

「いいけど・・・」

「私のことは『秋』って呼んでね」

「それでさ、終君」

彼女は真剣な表情で俺の顔を覗き込んだ。

「君は神様になりたくないの?」

「え?」

心臓がドキリと脈を打った。

神様になりたくない。

どうして。

どうして、それを彼女は分かったのだろう?

彼女のまっすぐな視線がこちらを捉えている。

「そんなわけないだろ」

「俺たちは神様にならなかったら消えてしまうんだろ」

「だったら、神様になりたいに決まっているだろ?」

「・・・そっか」

彼女はそう言ったきりしばらく俺が書いた物語を読んでいた。

「・・・やっぱり私には理解できないよ」

「え?」

しばらくぶりに彼女が口を開いた。

「神様になりたいなら、この物語を没にするわけなんてない」

「っ―」

俺は立ち上がって彼女の手から原稿用紙を奪い取る。

「なんなんだよ!俺がどんな物語書いたって構わないだろ!」

俺はそのまま、階段を降りようとした。

「綺麗なバッドエンドだと思うの」

その声に俺の脚は止められた。

バッドエンド。

その言葉が痛いくらいに俺の心に響いた。

「確かに二人は結ばれなかった」

「でも」

「それでも―」

「私はこんな世界があってもいいと思うよ」

「こんなに綺麗な物語、私には書けないよ」

「だからどうか教えて」

「どうしてこの物語を没にするのかを」

俺はゆっくりと振り返った。

彼女はとても悲しそうで苦しそうな顔をしていた。

「・・・」


それでも俺にはどうしても出来なかった。

どうしても書けなかった。

こういう結末でしか俺は人間を描くことが出来なかった。

だから―

だから俺は―

ついさっきだ。

ついさっき知ってしまった自分のことを。

隠し通さなければならないと思ったことを。

その顔を見たときに零してしまった。

「俺は―」

俺はそんな物語を書きたいんじゃないんだ。

幸せな結末を紡ぎだしたいんだ。

そう―

「俺はバッドエンドしか書けないんだ」


それに気が付いたのは初めて物語を書くという授業の時だった。

カリキュラムが半分終わった時に設けられた授業。

真っ白な原稿用紙に俺の世界を作り出す。

それはとてもワクワクしたしドキドキもした。

きっと周りのみんなも消滅とか神様とか忘れてそうなっていたんじゃないだろうか。

しかし。

書き進めていくほどにその気持ちは薄まっていった。

黒い雲が俺の心を覆っていった。

そして物語を書き終えた時、雨が降りだした。


芽衣は死んだんだ。

めいはしんだんだ。

めいはしんだんだ?

しんだ?

死んだ?

この手紙を書いた人間が死んだ?

違うだろ!

殺したんだ!

わたしが!

私が!

私が芽衣を殺したんだ!

わたしがめいをころしたんだ!


私はどうしたらいいんだろうか。

いっそ死ねばいいのだろうか?

そうやって贖罪まがいなことをすれば芽衣ちゃんは喜ぶだろうか?

そうだ。

ごめんね、芽衣。

私もそっちに行って直接謝るよ。

芽衣。

信じてくれないかもしれないけれど。

大好きだったよ。


あっさりだ。

首にめり込んだロープは気道を圧迫し。

多少の苦しさは芽衣への罪悪感に溶けていった。

目を覚ます、と言っていいのだろうか。

死んでしまった私は真っ暗闇にいた。

私は歩く。

芽衣。

芽衣。

芽衣。

名前を呼んでも何も帰ってこない。

そんな暗闇をただひたすらに歩いた。


「っ―!」

俺は書いた文章を消す。

少しでも跡が残っているのが嫌で俺は消しゴムを強くあてた。

そのせいで原稿用紙がぐちゃぐちゃになってしまう。

(こんなんじゃだめだ)

俺は別の文章を紡ぐ。

ハッピーエンドを目指して。


私は彼を呼び出した。

外は雨が降っていた。

私は公園で待った。

「10時に公園に来てほしい。大切な話があるの」

まだ後1時間もある。

それなのに初めて芽衣に相談した時と同じように心臓がバクバクと鳴った。

春先の寒さよりも体の暑さが優った。

だけど。

「葵!」

来たのは芽衣だった。

「ごめん」

「私、ちゃんと葵のこと応援するね」

芽衣は私の頬に手を当てた。

頬に触れた手は酷く冷たかった。

私は手でそれを包んだ。

「・・・」

「私こそ、ごめんね」

「芽衣のこと、大切に思っていたのに酷いこといっぱい言っちゃった」

「ごめんね、芽衣」

芽衣の目に涙が浮かぶ。

私は手を離して涙を拭いた。

「これだけ、言いに来たの」

「これから告白、するんだよね?」

「うん」

「・・・そっか」

「ファイト」

芽衣はそのまま私から離れていった。


芽衣視点


傘を差して雨の道を歩いている。

私は背が高いわけでもないし、今差している傘も十分な大きさがある。

だから濡れないはずなのに。


「どうしてこんなに涙が出るの・・・」

ちゃんと、私の気持ちを隠したのに。

雨みたいに私の心に降ってくる気持ちは全部ちゃんと防いだはずなのに。

どうして?

ねえ、どうしてなの?

私はビニール傘越しの空を見上げる。

雨が降っている。

涙で掠れているけれど。

雨が降っていた。

この町に。

私の心に。

それでも。

私は歩いた。

傘を差して。

一歩一歩。

この雨から逃れたくて。

ねえ、葵。

葵はこれから慎君と幸せになってね。

彼はもしかしたら本気で葵に惚れているかもしれないじゃないか?

私は葵を奪われるのが嫌なだけじゃないのか?

そうだよ。

全部私の思い込みだから。

これで。

これでいいんだ。

「明日はきっと晴れるよね」


「違う・・・!」

これも違う。

このまま物語を進めても芽衣は幸せにはなれない。

こんなんじゃダメだ。

くしゃくしゃだった原稿用紙にさらに皺が刻まれる。


私には幼馴染がいた。

彼女の名前は鏡芽衣。

私よりも一回り小さい小柄な女の子だった。

幼稚園からずっと一緒に過ごしてきた。

家族ぐるみの付き合いでもあった。

隣に居るのが当たり前の存在だった。

親友。

私にとって芽衣は親友だった。

芽衣にとって私も当然親友だと思っていた。

それを疑うことをしなかった。

高校生になってからも私達は仲良しだった。

「葵、帰ろ!」

「うん!」

芽衣は頭が良かったから最初から県内で一番頭がいい高校に進学するつもりだった。

私はどうしてもそこに行きたくて、死ぬ気で勉強した。

芽衣に勉強を教えてもらって。

夜遅くまで勉強して。

そうしてどうにかこの高校に合格することができた。

「私、この高校に入って良かった」

「急にどうしたの?」

「だってこうやって芽衣と親友で居られるんだもん!」

「・・・」

「そうだね!」

勉強についていくのは大変だけれど。

私の高校生活は充実していた。

私の隣には芽衣がいて。

私たちはずっとこの関係が続いていくのだと思っていた。

けれど―

「大好き」

どうしてこの言葉の意味は一つじゃないのだろう。

私の「大好き」と芽衣の「大好き」は違う色をしていた。

だから、それを知ってしまった時。

芽衣からそれを聞かされた時。

私と芽衣の波長がだんだんと合わなくなっていった。

芽衣のことが分からなくなった。

いや、違うな。

私は最初から芽衣のことなんて何一つ分かっていなかったんだ。

それを知ってしまった。

分かったフリで芽衣のことを親友だなんて思っていたんだ。

最低だと思った。

芽衣は私とどう接したらいいのか分からないようだった。

近づきすぎたら傷つけてしまうから。

私から距離をとっているのだろうか?

それとも。

私に対する「大好き」が消えてしまったのだろうか?

ああ―

どうして気持ちは相手に直接伝えられないのだろう。

言葉に乗せることしかできないのだろう。

何も分からない。

何も見えない。

それなのに、どうして私は芽衣のことを考えてしまうのだろう。

愛故に。

愛故に私、苦しいよ。

ごめんね、芽衣。


「クソ!クソ!クソッ!」

どうして?

どうして俺はこんな物語しか書けないんだ?

俺が書きたいのはこんな物語じゃないのに!

「あ・・」

ビリッという音の後、ゆっくり手をどけて原稿用紙を見てみると右上から破れていた。

消えかけの「大好き」という文字が二つに分かれている。

「っ―」

俺は次の原稿用紙に物語を再び書いた。

震える手を抑えながら。

にじみ出る汗を垂らしながら。


「そうやって最後に書いたのがこの結末なんだ」

「葵は芽衣の忠告を無視して慎に告白しようとする」

「だけれど、慎の黒い一面を見て告白しないまま帰宅する」

「結局、葵は芽衣のことを傷つけてしまってそれを謝れないまま、アメリカに留学してしまう」

「どんなふうに芽衣に接したらいいのかが分からなくて」

「芽衣からの手紙にも手を着けず」

「葵は芽衣が自殺してからその手紙を読むことになる」

「そこで葵は芽衣の恋心を知り」

「酷く後悔して物語が終わるんだ」

「・・・」

「せめて」

「せめてっ!」

「芽衣の気持ちが少しでも葵に伝われば」

「きっとこの物語の登場人物は救われるんじゃないかって」

「そう思ってこの結末で書いたんだ・・・!」

俺は手に握られた残りの物語が書かれた原稿用紙を握り締める。

皺が深く刻まれる。

「人間が生きるなら幸せでなくても」

「報われる人生であってほしい」

「その人がその人生を歩んだ意味を持っていて欲しいと思うんだ」

「だから、たとえバッドエンドでも」

「これでいいと思った」

「でも」

「それでも―」

俺はさらに強く拳を握る。

「やっぱり葵と芽衣には幸せになってほしかった」

「幸せに二人の人生を歩んで欲しかった」

「ただそれだけだった」

「それだけだったのに」

「俺にはそれが出来なかった」

「人間をハッピーエンドに導くことができない」

「ならさ」

「俺は神様になってはいけないんだ」

「いや、違う」

「俺は神様になんてなりたくない」

「そう思ったんだ」

彼女は俺の手から優しく原稿用紙を抜き取った。

そして、深く刻まれた皺を丁寧に伸ばした。

髪が風に揺れている。

まだ、物語を読んでいた。

バッドエンドを読んでいた。

どうしてだろうか?

こんな物語のどこにそんな夢中になるんだ。

「・・・やっぱりこの物語はすごいよ」

不意に顔をあげた。

彼女は笑っていた。

本当に綺麗な笑顔だった。

「その理由もよく分かった」

「物語を書いた神見習いがこんなに人間のことを考えているんだもん」

「一生懸命にどうしたら登場人物が幸せになるのか考えて」

「ただ、その人のことを想って」

「言葉を紡いで」

「ねえ、終君」

「これはまだ本物の世界じゃないけれど」

「きっとこの物語の人間が神見習いになったとき」

「彼女たちは本当に幸せな物語を紡ぐと思うよ」

「そしてきっと感謝する」

「私という人間を生み出してくれてありがとうって」

「芽衣の葵も」

「たとえ、人間だった頃の記憶が無くなってしまっても」

「二人はここで幸せな一日を過ごすんじゃないかな」

「っ―」

まるで手を差し伸べられているみたいだった。

心にその手が触れてしまうくらい。

優しさが全て俺に向かっている気がした。

自意識過剰かもしれないが。

それでも今はその優しさに溺れてもいいかと思った。

「私、この物語好きだよ」

「ありがとう、こんなに素敵な世界を書いてくれて」

彼女はそう言うと突然振りかぶった。

そして―

「それっ!」

俺の物語が、

俺の世界が、

俺のバッドエンドが、

「空を泳いでいる―」

小さな、小さな翼は。

それでもしっかりと空を掴み。

まるでハッピーエンドに向かうように。

遥か空高くまで昇っていくようだった。

「それでもこれじゃあ、空には届かない」

「だからさ」

「私と一緒に」

「ハッピーエンドを探す冒険に行こうよ」

今度は本当に彼女が手を差し伸べた。

さっきの紙飛行機はもうどこかに飛んで行ってしまった。

俺はその手を―

「秋―」

俺は神様のような彼女の名前を呼んだ。

まるでこの手が、彼女が。

俺を救ってくれる気がしたから。

さあ、行こうか。

俺が紡ぐバッドエンドを―

ハッピーエンドに塗り替える冒険に。


この町は静かだ。

世界は広大なのに神見習いは三十人ほどしかいないからだ。

学校、病院、公園、海。

様々な物があってもそれらはまるで息をしていないようだった。

「どこに行くの?」

少し前を歩く秋に尋ねる。

「んー」

「まあ、適当に。そこらへん、かな」

「適当って・・・」

「大体あれ、どういう意味で言ったんだよ」

「あれって?」

「その、だから」

「『私と一緒にハッピーエンドを探す冒険に行こうよ』って」

俺はすこし照れながら言った。

「別に具体的な意味があるわけじゃないよ」

秋は振り向いてそう言った。

俺にとっては口に出すのが恥ずかしい言葉選びだったが、言った本人はそんなことはないようだ。

「たださ、屋上にずっと居ても何も変わらないじゃん」

「それならこうやって町を歩いたほうがインスピレーションも沸くかもしれないでしょ?」

「・・・確かに」

俺と秋は死んだようなこの町を歩いた。

次第に潮の匂いが鼻をつくようになった。

「終君はさ」

「人間の世界で自分がどんな人生を送ったか気にならない?」

「え?」

唐突に話題が変わった。

周りの風景に向いていた俺の視点が秋に戻る。

「気になるけれど・・・」

「それを読む方法なんてどこにもないんじゃないか?」

「・・・」

「そうだね・・・」

「でもさ」

「もしも、読むことができるなら、終君は知りたい?」

と、秋が足を止めた。

まっすぐ前を向いたままなのでどんな表情をしているのかは分からなかった。

俺も秋の少し後ろで立ち止まる。

「・・・」

「俺は」

「別に知らなくてもいいかな」

「え?」

秋が振り向く。

驚いたような顔をしている。

「もしも、今の神様が俺みたいだったら、登場人物が最後悲劇的かもしれないだろ?」

「そんな物語なら知りたくないよ」

「・・・」

秋は言葉を失っていた。

期待外れだとか、失望したとかではなく、ただ俺の言葉を消化しているようだった。

「・・・そっか」

一言だけ言うとそのまま歩き出した。

俺もそれに再び着いていく。

「秋は前の自分、つまり『人間』の秋を知りたいと思うのか?」

「うん」

「それはどうして?」

「だってさ」

「私、ここに居たんだよ」

「この道を通って」

「笑って」

「泣いて」

「怒って」

「そして」

「恋をして」

「記憶がない『神見習い』じゃそういうことを想像することしかできない」

「言ってみれば妄想なんだよ」

「だけれど、『人間の世界』の物語を読むことができれば」

「私がどんな人生を歩んだのかたった一つに決まる」

「だから私は、それを知りたいの」

「・・・」

秋は少し悲しそうな声でそう言った。

気のせいかもしれないけれど。

それでも―

「じゃあ、教えてよ」

「え?」

「『神見習い』の秋が思い描いた『人間』の秋をさ」

「もしかして、こうやって二人でこの道を歩くのが既に妄想だったりして」

俺は駆けだす。

秋を追い越して言う。

「こうやって海岸沿いを二人で」

「あてもなく歩いて」

「二人だけの冒険、をしている気になって」

「そういう物語を秋は考えてるの?」

「・・・」

「秋?」

「・・・うん」

秋は俺から顔を背けて言った。

「なんだよ?どうしたんだよ?」

俺が秋のもとに戻って顔を覗こうとした。

その時だった。

「わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「!?」

秋は突然大声をあげて走り出した。

「あ、秋?」

「うん。うん」

「っふふ」

「そうだよ!」

「私」

「私ね!」

「終君と一緒にこんな世界を生きてみたかったの!」

秋は少し離れたところで俺に向かって叫ぶ。

死んだ町がほんの少し生き返った気がした。

「こんな風に二人は歩いて」

「お互いに文句を言い合ったりして」

「夕日の中を歩いていくの」

「終君はこんな世界じゃ嫌?」

秋は笑っていた。

蒼い海より。

蒼い空よりも。

綺麗に。

「なんだよそれ」

「最高の世界じゃないか」

「っふふ」

俺は秋のもとに追いつく。

「?」

俺が丸めて投げた原稿用紙を秋が紙飛行機にしたように。

俺の物語を秋に託してもいいのかもしれない。

秋はきっと。

素敵なハッピーエンドを描いてくれるだろうから。

「秋」

「俺をハッピーエンドに連れて行ってくれないか?」

「うん!」


それから俺と秋は二人で人間の世界の構想を練った。

目的もなくただ歩きながら。


太陽がほぼ真上にある。

まだこの『神の世界』はこれまでの時間分だけ存在するということだ。

俺が存在できるのも残り半分、なのか。

「それでね!」

「二人は夏祭りの日、この道を歩くの」

「人混みではぐれちゃうからって終君が手を繋いでくれるの」

「二人は緊張しちゃって特に会話もないまま道を抜けてね―」

「待てよ」

「なんで俺はそんなこっぱずかしいことをしなきゃならないんだ」

「別に手なんて繋がなくてもはぐれたりしないだろ」

「高校生の設定なんだろ?だったらなおさら―」

「ダメだよ!」

「そういうのは男の子からじゃないと!」

「めんどくせー!」

秋が自分の物語を語り始めてからしばらく経った。

そして秋がかなり夢見がちだと知った。

「めんどくさいじゃないよ!」

「大体このままじゃ俺ばっかり恥ずかしいことされるじゃねーか」

「そんなの不平等だろ」

「ここはこうすればいいだろ」


俺は一歩踏み出そうとする。

「待って!」

秋が俺の服の裾を掴む

「?」

「・・・」

秋は俯いている。

「何?」

「・・・えっとね」

秋は人差し指を互いにツンツンしている。

「・・・はぁ」

俺だってここまでされりゃぁ何となくわかる。

分かってるなら女の子に恥をかかせてはいけないだろう。

「ほら」

「え?」

俺の差し出した右手を見た後、顔を上げる秋。

秋の顔は真っ赤だった。

「はぐれるとまずいから、離すなよ」

「っ!」

秋はしどろもどろとしている。

意外とピュア?


「ちょっと!ちょっと!」

「なんだよ」

「私、指ツンツンなんてしないよ!」

「そんなあからさまな痛い女の子だと思っていたの!?」

「秋のことなんて全然知らないよ」

「だって知り合ったのさっきだし・・・」

「そ、そっか・・・」

冷たいように聞こえるが本当にその通りなのだ。

神見習いには人間の時の記憶は無いのだから。

俺と秋がどんな関係だったとしても。

この『神の世界』では初めまして、なのだ。

「と、とにかく!私はそんなに痛い女の子じゃないよ!」

秋が膨れて少し早歩きになった。

「悪かったよ」

俺はそれに遅れないようについていく。

「ま、まあ」

「次!次のシーン考えよう!」

秋は顔を赤らめてそう言った。


・・・どうにか抜けた

「・・・」

「だ、大丈夫だったか?」

「うん、ありがとう」

秋はまだ照れの残った顔で笑った。

「それで、ここからはどうやって行くの?」

「うん、案内するね」

そう言って秋は歩き出す。

つられて俺も歩き出す。

すぐ右側は海で、静かに波の音が聞こえてくる。

月は空高く昇っている。

「・・・あのさ」

「・・・何?」

「・・・もう、手いいんじゃない?」

「・・・そうだね」

いや、離せよ!

しっかりホールドしちゃってるじゃん!

「・・・まぁでも」

「・・・?」

「・・・別に離す理由もないよな」

「・・・うん///」

いや、「///」はどうやって発音するんだよ。

「こっちだよ」

俺は秋につられて歩いて行く。


「いやいやいや」

俺は物語の続きを話し始めた秋を止める。

「ちょっと!これからいいところなのに!」

「いいも悪いもあるか!」

「なんで俺はこんなにお茶らけているんだよ!」

「俺は秋と一緒にその・・・」

「デ、デートしてるわけだろ」

「だったら、『いや、離せよ!しっかりホールドしちゃってるじゃん!』なんて意味の分からんツッコミ入れないだろ」

「終君の心の声だもん。言ってるかもしれないじゃん!」

「秋にとって俺ってどんな奴なんだよ・・・」


「ちょっと暑いね」

「そうだな」

俺は空を見上げる。

蒼い空に太陽が一つ浮かんでいる。

そして道路のアスファルトにじりじりと照りつけている。

「ちょっと休憩しようか」

「待ってて」

「お、おい」

秋は走って行ってしまった。

俺は仕方なく近くの日陰に入って秋を待った。

「・・・」

物語が出来上がってきた。

屋上でサボっていた不良少年の俺と。

たまたまそこに現れた秋が。

一冊の本がきっかけで繋がっていく。

綺麗なお話だ。

俺が描くバッドエンドよりも。

ずっと、ずっと綺麗なお話だ。

「えいっ」

「!?」

瞬間、おれの首元をひんやりとした感覚が襲う。

とっさに俺は身を避ける。

「どう?気持ちいい?」

「なんだよ。びっくりするだろ」

「ごめんね。はいこれ」

秋の手には350mlの缶ジュースが握られていた。

俺はこれを首に当てられたようだった。

「なにこれ?」

「四ツ谷サイダーだよ」

「ふうん」

俺は緑色と白色が特徴的な缶をちらっと見て缶を開けた。

プシュッと弾ける音がした。

そして一口飲み込んだ。

夏の味がした。

「これどこから持ってきたの?」

「そこに自販機があったから」

「自販機ってお金ないと動かなくない?」

「私も自販機に着いてからそう思ったけれどボタン押したら出てきたからさ」

「壊れてるのか?」

「そうなのかな。それかこの世界だからなのかも」

「確かに」

俺はもう一口サイダーを飲む。

この世界に貨幣制度はあるのだろうか。

そういう点も人間の世界とは違うのかもしれない。

「おいしいね」

「うん」

「物語の続き」

「二人は無事に花火を見る場所までついて」

「一緒にこのサイダーを飲むの」

「花火が上がって」

「黒に飲まれていたはずの空が」

「赤、青、黄、緑」

「いろんな色に染まるの」

「海には鳥居が立っていて」

「それで、」

「それでね」

秋の言葉が途切れた。

俺は隣に座る秋を見つめる。

飲み終わったサイダーの缶を眺めていた。

まるで飲み終わってしまったのを惜しむように。

まるで花火が終わってしまったかのように。

「そんな時、終は」

「花火なんて見ていなかった」

「え?」

「終は花火の明かりで染まる秋の横顔を見つめていた」

「二人は手を繋いだまま」

「俺は綺麗だとわざとらしく呟くべきなのだろうか」

「そう呟いたらこの乙女な文学少女は」

「花火の明かりのせいじゃなく紅くなるのだろうか」

「だけどー」

「そんな小説みたいな展開はいらない気がした」

「こうやって柔らかい手を繋いで顔を眺める」

「それだけで十分だ」

「今の俺たちにはそれで十分だ」

俺は自分の缶を見て言った。

「こんな展開じゃダメかな」

「終は秋に直接『綺麗だ』なんて言えるような人間じゃないんだよ」

「それでもちゃんと心の中では秋のことを思っている」

「そんなまだ始まっていない二人で、ここはいいんじゃないかな」

「・・・」

秋はしばらくの間無言だった。

無言で缶を見つめていた。

でも、その表情は少し嬉しそうだった。

「よし!そろそろ行こうか」

「そうだな。サイダーありがとう」

「どういたしまして」

俺と秋は再び歩き出した。

秋はまた俺に手を差し出した。

俺はまるで人間の二人のようにその手を握った。

秋の手はさっき言葉で表したよりも

ずっとずっと柔らかかった。

そしてそんな手を握りながら秋の後ろをついていった。

この目的地のない冒険はどこまで続くのだろうか。

いつまでも。

どこまでも続いて欲しいと思った。

俺は空を見上げた。

空の色はまだ蒼色だった。


「二人はここから花火を見るんだよ」

「ここが・・・」

俺と秋は長い道を歩いて公園まで来た。

神社の隣が公園になっていて、柵の向こうには海とそこに浮かぶ鳥居が見えた。

「こんな綺麗な場所があったんだな」

「うん」

今はまだ明るいが日が沈みかけたらここは幻想的な風景になることだろう。

俺は手を繋いだまま、その景色に見とれていた。

「それで二人は花火をここで見た後、どうするんだ?」

「・・・」

「どうしようか」

「なんだ、そこはまだ考えていなかったのか」

「終君は」

「終君はこれからどうしたい?」

「俺か?そうだな、終だったら―」

「違うよ」

「え?」

俺は振り返る。

秋は俯いていた。

「『終』だったらじゃなくて、『終君』だったらだよ」

「それって、どういう・・・」

「『人間』の終じゃなくて」

「『神見習い』の終だったら」

「このあとどういう風にしたい?」

「私と、何したい?」

秋は顔をあげて柵から見える空を見つめてそう言った。

そして俺の方を見ないまま話し始めた。

「私はずっと」

「『私』として物語を考えてきたつもりだよ」

「私はたとえ君の中に私が居なくても」

「君に恋、してたよ」

「『終』じゃない、『君』に、ね」

「あなたを好きになりました」

風が吹いた。

恋。

秋が。

俺に?

困惑した。

だって、こんなに突然。

と、その時。

秋と目があった。

俺はなんだか秋の顔を見ていられなくて。

顔を逸らした。

そして言い訳のような言葉を紡いだ。

「お、俺は」

「その、」

「なんていうか」

「あの・・・」

不思議な感覚だ。

俺たち神見習いは神様に近い存在だから。

人間の気持ちを考えたことはあったけれど。

自分自身の心を考えたことなんてなかった。

人間の心はいくらでも書き連ねられるのに。

自分の気持ちを表すための言葉が出てこなかった。

俺の心がどうなっているのか分からなかった。

「ごめんね」

「え?」

俺はずっと秋から顔を逸らしていた。

だから・・・。

気付けなかった。

秋が。

秋がこんなに。

「なん、で・・・」

「終君は何にも悪くないよ」

「これは私のせい」

「私のせいで流れてるだけだから」

―秋がこんなに泣いているのに気付けなかった。

「ごめん」

「ごめんね!」

「あ、秋!」

手がするりと抜けていく。

繋いだときはあんなに強く結ばれている気がしたのに。

あっけなかった。

秋が俺から離れていく。

まるでスローもション。

目の前の映像がコマ撮りで過ぎていく。

それでも俺の脚は動かなかった。

ただ一度きり。

ただ一度きり、名前を呼んで。

小さくなっていく背中を見つめることしか出来なかった。

俺は一人きり。

まるで物語から切り離されてしまったようだった。


夕日が空を紅く染めている。

長い間、本当に長い間俺はここに立ち尽くしていた。

日が傾いても目の前のこの景色は幻想的でもなんでもなかった。

少なくとも俺の目にはそう映った。


「あなたを好きになりました」


秋の声がずっと頭の中を巡っていた。

秋の体温が俺の手のひらから消えていった。

恋。

結局、俺は恋が何なのかも分かっていなかったんだ。

それなのに俺は葵と芽衣の恋の物語を書こうとした。

間違っていたんだ。

だから俺は二人をバッドエンドに導いてしまったんだ。

また繰り返すのか?

秋に対しても俺は同じことをするつもりなのか?

不幸を広げ続けるつもりなのか?

秋の涙が。

あのきらめきが。

鋭く俺の心をえぐった。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

そんな時、不安そうなか細い声が聞こえた。

この世界で秋以外の声を聞くのは久しぶりで顔をあげた。

「さ、さっきからずっとここでうなだれてますけれど・・・」

ナース服を着た神見習いがそこにはいた。

「確か、あなたって授業の途中からいなくなった・・・」

「物語は先生に出しましたか?」

「もうすぐ日が沈んでこの世界が終わってしまいますよ?」

「・・・別に、そんなのはどうでもいい」

「どうでもいいって・・・」

「神様になりたくないんですか?」

「っ!」

「神様とかそんなことよりも!」

「ひいっ!」

しまった。

関係ないのに八つ当たりしてしまった。

「・・・ごめんなさい。大きな声だして」

「い、いえ・・・。こちらこそ無神経でした・・・」

「あ、あの」

「私、新田って言います」

「あんまり物語を書くのが得意じゃないので多分神様にはなれないと思います・・・」

新田と名乗った神見習いはしょんぼりしていた。

そして悲しそうな表情で夕空を眺めていた。

「もうすぐ、この世界が終わるんですね」

「たった一日なのにすごく長かったですね」

「・・・」

「・・・教室では皆さん神様に提出する物語を書き終えていました」

「他の神見習いの物語を読むことが出来たんですけれど、どれも素晴らしい物でした」

「・・・他の神見習いが書いた物語を読むことができるんですか?」

「はい」

「先生が集めているんですけれど、公開しているんです」

「先に出した人ほど不利になりそうですけれど、そんなことなくて」

「一番最初に出された物語が一番良かったと私は思いました」

新田はすこし明るい表情でそう言った。

この人は物語を読むのが好きなのかもしれないなと思った。

「そうなんですか・・・」

「はい・・・」

「・・・やっぱり、あなたも書いてみたらどうですか?」

俺は新田の顔を見る。

新田はちらちらと俺の方を申し訳なさそうに見ていた。

「な、何度もしつこくてすみません!」

「でも、こんな私でも一応書けたんです」

「どうにか世界を作れたんです」

「私はこんな風に臆病だけれど」

「誰かの支えになるような物語を書きたいと思って」

「私のおかげでって言うと利己的かもしれないですけれど」

「影ながら人間を支えられたらって思って」

「だからもあなたも書いてみたらいいんじゃないですか?」

「物語を書くのが神様の使命で

「それを目指すのが私たち神見習いの使命なんですし」

「・・・」

「俺は」

「俺はなぜかバッドエンドしか書けないんです」

「どんなに幸せを願っても」

「俺は人間を悲しい結末に追い込んでしまう」

「そんな俺が描く世界に」

「価値なんてありますか?」

「そうだったんだ・・・」

そう答えると新田はしばらくの間考え込んでいるようだった。

「・・・あるよ」

「きっと、あるよ」

「あなたが書く物語に価値はあるよ」

「・・・」

「そんなの希望的観測じゃないですか」

「ううん」

「価値があるとかないとか」

「それを決めるのは私たち神見習いじゃないんだよ」

「その人生を生きた人間がその価値を決めるんだよ」

「あなたが描いた物語の人間が」

「次の世界を作ることになったとき」

「その物語に人生の価値が現れてくるのだと私は思うよ」

「記憶はなくても人格が残るのだから」

「あなたはきっと生きた価値のある人間だった」

「だって、こんなにも優しいのだもん」

「人間のことを思って」

「私、思い出したよ」

「あなた、初めて物語を書く授業の時、何回も書き直していた」

「原稿用紙がくしゃくしゃになっても」

「何度も何度も書き直していた」

「私はそれをみて『この神見習いはすごいな』って思ったもん」

「本当は人間をハッピーエンドに導くためだったのだろうけれど」

「それでも」

「自分の運命に逆らってどうにか努力する神見習いは」

「きっと、生きた価値のある人間だったと私は思うよ」

「だからさ」

「あなたも、書かなくちゃ」

「次の世界を」

「最高なバッドエンドを」

「あなたが作り出さなくちゃ」

「生きる意味のある人間を」

新田という神見習いは紅く染まった空を見つめていた。

「早くしないと日が沈んじゃうよ」

「この世界が無くなっちゃうんだよ」

新田が手を差し伸べる。

俺は―

「・・・俺は生きた価値のある人間なんかじゃなかった」

「だって俺は他の神見習いを不幸にしてしまった」

「俺、さっき告白されたんです」

「でも俺は何も答えられなかった」

「泣いている彼女をどうすることも出来なかった」

「何も分からなかったんです」

「俺にとって恋って言うのは人間がするもので、だからまさか自分自身にそんなことが起こると思っていなくて」

「人間の気持ちはいくらでも書けるのに」

「自分の気持ちは何一つ出てこなくて」

「・・・」

「・・・そっか」

新田はまた景色を眺めていた。

俺も同じ方を見た。

水面に反射した夕日が眩しかった。

「きっとさ、そんなに簡単なことじゃない、と思うな」

「え?」

「人間とか神見習いとか、関係ないよ」

「そんなことで自分へ向けられた好意に答えを出そうとしないでよ」

「そんなに簡単な正しさで恋を語らないであげてよ」

「誰かに自分の想いを語るのってさ、難しいことだよ」

「恥ずかしいとか、思い通りにいかないとか、いろんな壁にぶつかりながらやっとのことで言えるんじゃないかな」

「好きって、二文字を吐き出すのは」

「他のどんな文字を吐き出すのより難しいんだよ」

「だから、君もそれくらい悩まなくちゃ」

「それくらい、気持ちに向き合わなくちゃ」

「逃げちゃダメだよ」

「神様とか人間とか」

「そういうことじゃないよ」

「君がその子と作り出す物語、なんだから」

「・・・」

新田は笑った顔で俺を見ていた。

「俺は・・・」

俺は。

秋に救われた。

そうだよ。

俺は秋に救われたんだ。

俺の物語を読んでくれて。

俺の物語を面白いと言ってくれて。

それだけで俺は救われたんだ。

そのあと二人でここまで歩いてきて。

俺と秋二人で人間の世界を考えて。

幸せな結末を描こうとして。

楽しかった。

嬉しかった。

幸せだった。

それも。

全部、全部。

秋が俺にくれた物だった。

秋が俺に差し伸べてくれた手だった。

それが温かくて。

それをずっと隣で感じていたくて。

これが。

これが、俺の、気持ち、なのか?

これが秋の気持ちに対する答えなんだろうか?

俺は。

俺も―

「・・・ありがとうございます」

「俺、あなたに助けられてばかりだ」

「感謝してもしきれない」

「気にしないで」

「それに説教くさいことばっかり言ってごめんね」

「でも、もしも君が前を向くことが出来たなら」

「私が生まれた理由になった、のかな」

新田は悲しそうに笑った。

彼女は本当に神様になることを諦めているんだと感じた。

「そんな顔しないでください」

「俺はまだあなたの書いた世界を読んだことがないけれど」

「それでも、あなたの書く物語はきっと」

「沢山の勇気と希望に満ちていると思うから」

「ふふっ」

「そんなに褒められると照れるな」

新田は歩き出した。

「君の物語を見せてよ」

「人間の世界の物語と」

「君の気持ちが作り出した物語」

「両方とも君が描くんだよ」

新田が俺を向いて微笑む。

俺はまた歩き出す。

さあ、行こう。

もうすぐこの世界が終わる―


空が再びあおに染まろうとしている。

蒼よりも深くて。

暗いあおに―

「急いで学校に戻らなくちゃ」

俺と新田は走って学校に向かう。

秋と一緒に歩いてきた道を戻った。

秋の声や、表情が浮かんできた。

二人で考えた物語が頭の中を駆けた。

秋。

もう一度。

もう一度だけ、書いてみるよ。

二人で考えたこの物語を。

最後まで書いてみようと思うよ。

そして、書き終えたら。

君に伝えるよ。

俺の答えをー


教室に着いた時には空が紫色に染まっていた。

「本当にもうすぐ日が沈んじゃう」

「今から書いて間に合う?」

「はい!間に合わせます!」

俺は机の中からまだ白紙の原稿用紙の束を取り出す。

そして、筆を走らせていく。

俺は俺の世界を作って。

そのあと、秋に謝りに行くんだ。

だから早く書かなくちゃ―

「そう言えば、前に私が言った一番最初に提出された物語ってね」

新田が何か話しているがそんなのを聞いている暇なんてない。

俺は頭の中の情景を文字に起こしていく。

一枚。

二枚。

物語が。

世界が積み重なっていく。

しかし。

それは不意に止まる。

「『秋』って名前の神見習いが書いた物語なんだよ」

さっきまで聞こえなかったはずの新田の声が。

一つの名前によって鮮明に聞こえてくる。

「秋・・・」

俺はペンを落とす。

そして、一つ席の上に置かれた物語を読む新田の方を見る。

「あれ?秋ちゃんのこと知ってるの?」

俺は立ち上がる。

秋はどんな物語を、世界を書いたのだろうか?

「その物語」

「俺に、読ませてくれませんか?」

「え?いいけれど・・・」

俺は新田から原稿用紙の束を受け取る。

そして、秋の世界を読んでいく。

「これって―」



7/18


今日、何度目かのチャイムが鳴る。

高い太陽が屋上のコンクリートを焦がす。

遠くの景色がゆらゆらと揺れている。


「はあ・・・」

暑さのせいかため息を漏らす。

高校三年の夏。

この下のクーラーの効いた教室で机に向かっている同級生達にとって、勝負の夏だ。

難関大学への合格者が多いわけではないが大多数が国公立か有名私立に進学する西校。

県内で5本の指にギリギリはいるくらいの進学校。

でもー


俺は震える手を抑えながらページを捲っていく。



8/1


俺は一歩踏み出そうとする。

「待って!」

秋が服の裾を掴む。

「?」

「・・・」

秋は俯いている。

「何?」

「・・・えっとね」

秋は人差し指を互いにツンツンしている。

「・・・はぁ」

俺だってここまでされりゃぁ何となくわかる。

分かってるなら女の子に恥をかかせてはいけないだろう。

「ほら」

「え?」

俺の差し出した右手を見た後、顔を上げる秋。

そしてすぐに目を逸らした。

秋の顔は真っ赤だった。

「はぐれるとまずいから、離すなよ」

「っ!」

秋はおろおろとしている。

意外とピュア?

「・・・うん」

結局、秋は俯いてる俺の手を握った。

秋の手は俺の手よりも小さくて、柔らかかった。

・・・なんか小説みたいなモノローグだ。


「・・・あのさ」

「・・・何?」

「・・・もう、手いいんじゃない?」

「・・・そうだね」

いや、離せよ!

しっかりホールドしちゃってるじゃん!

「・・・まぁでも」

「・・・?」

「・・・別に離す理由もないよな」

「・・・うん///」

いや、「///」はどうやって発音するんだよ。

「こっちだよ」

俺は秋につられて歩いていく。


秋が微笑んだ。

その時ー

「あっ」

「・・・あがった」

さっきまで黒に染まっていた空に色鮮やかなインクが撒き散らされる。

赤、青、黄、緑。

空を彩る。

そしてー

「・・・そうだったんだ」

「ここの海には鳥居が立ってるからね」

さっきまで真っ暗で何も見えなかったが、花火の明るさで海に立つ鳥居が見えた。

そしてー

「綺麗だ・・・」

その鳥居の間に咲く、夜の花。

美しい花が眩しいくらいに咲いた。

「綺麗だね」

俺は手を繋いだままの少女を見る。

花火を見上げる顔がいろんな色に染まる。

こんな時。

俺は綺麗だとわざとらしく呟くべきなのだろうか。

そう呟いたらこの乙女な文学少女は。

花火の明かりのせいじゃなく紅くなるのだろうか。

だけどー

そんな小説みたいな展開はいらない気がした。

こうやって柔らかい手を繋いで顔を眺める。

それだけで十分だ。

今の俺たちにはそれで十分だ。


「これって、この物語って」

「男の子と女の子の恋の物語」

「女の子は病気でいつか死んでしまう」

「そんなバッドエンドが待っている物語」

「でも」

「とっても綺麗だとは思わない?」

「・・・」

「・・・どうしたの?」

「確認なんですけれど」

「この物語は書き加えられていたりしますか?」

「え?どういうこと?」

「初めて読んだ時と全く同じですか?」

「ちょっと待ってね」

新田はそう言うと原稿用紙を確認し始めた。

「さすがに一言一句同じなのかは分からないけれど」

「物語の構成は変わっていないね」

「そう、ですか・・・」

「どうしたの?」

どうしてなんだ?

どうして秋はこの物語を書くことができたんだ?

秋は俺と一緒に冒険をしながら。

この物語をなぞっていたのか?

でも、それだけじゃ説明がつかないことがある。

俺の反応までそっくりそのまま書かれている。

まるで、俺がどう反応するのか知っているかのように。

まるで、俺とこの物語を既に歩んできたかのように。

「おーい。大丈夫?」

「っ―」

「すみません」

「そんなに没頭しちゃうなんて」

「本当にいいお話だよね」

「でもこれは人間の世界にはなれないんだよね」

「えっ?」

「どういうことですか?」

「君がね授業を出ていってから説明があったの」

「先生から」

「『人間の世界』に『神見習い』を登場させてはいけないって」


「世界を書く上での禁止事項を教えましょう」

「この世界を書く上での禁止事項はたった一つです」

「それは『神見習い』を人間の世界に登場させることです」

「神様の目的は人間の世界を作り出し」

「そして発展させていくこと」

「ここでの発展という意味には技術的革新や生物学的進化をいうのではありません」

「新たな神見習い、新たな神様、新たな世界を作り出すことです」

「もしも、神見習いを人間の世界に誕生させてしまっては、この『神様の世界』に二度同じ神見習いが存在することになります」

「一度消滅したはずの神見習いが再びここに現れてしまう」

「それでは『新たな神見習い』が誕生したとは言えない」

「つまり、人間の世界が発展したとは言えないのです」

「ですから、人間の世界に『神見習い』を登場させることが唯一の禁止事項なのです」

「神様に選ばれた神見習いは自分を物語に書くことが出来ます」

「しかし、その場合は『神様の世界』にその神様が登場することはありません」

「もしも」

「もしも、神見習いを物語に書いたらどうなるんですか?」

「・・・」

「確かに、理論上それは出来ます」

「今の神様が皆さんの書いた世界を読んで次の神様を選んでくださってから」

「選ばれた神見習いは『図書室』に入ることが出来ます」

「そして、そこで本物の人間の世界を書く」

「つまり、提出した物語を書く必要はない」

「だから、本物の人間の世界を書く時に神見習いを登場させる」

「ということですね?」

「はい」

「・・・」

「これまでにこの禁止事項を破った神様が居ました」

「そんな時、書かなければいけない量が膨大になりました」

「この『神様の世界』に『神見習い』として誕生するには、物語の終わりに『生きている』ということが条件です」

「つまり」

「・・・書かなければならない量が多くなれば、神見習いだった人間は死ぬ」

「・・・そうです」

「時間という概念は神様が作り出した物です」

「言葉で『〇〇年が経った』と書いたとき」

「人間の世界では〇〇年が経ちますが」

「この『神様の世界』では、その文字を書いた時間しか経っていない」

「人間の寿命は普通百年ほどです」

「だから、長い期間同じ人間を書くのは不可能に近いのです」

「どんな世界を書いても自由なので」

「人間の寿命を何千年としても良いですが―」

「結局、神様が書く間中生きさせることは不可能に近い」

「そうです」

「まあ、禁止事項なのですからやらないことが一番ですが」

「質問は以上ですか?」

「・・・はい」

「これで授業は全て終わりになります」

先生がそう言った瞬間、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

「これからの時間は神様に読んでいただく物語を書く時間になります」

「完成したら、各々机の上に置いておいてください」

「また、物語は皆さん自由に読めるようにしましょう」

「この世界が終わるまで」

「つまり、日が沈むまでに書き終えてください」

「それでは私からの説明は以上です」

そう言うと先生は教室から出ていった。


「そんな・・・」

「さっきから一体どうしたの?」

この物語を『人間の世界』にしてしまったら。

秋も俺の誰もかも死んでしまう、というのか?

それを知っていて秋はどうして俺とこの物語をなぞったのだろう・・・?

「その物語について知りたいですか?」

その時教室の前の方から声がした。

「終」

「あなたは」

「あなたはこれから幸せになるのですよ」

「きっとこれは長い、長い一日の恋の物語、となるのでしょう」

「それでもあなたは書き続けるのです」

「バッドエンドを乗り越えるために」

「来ないはずの明日を迎えるために」

「先生」

先生はそういうと教室に入ってきた。

「『神様の世界』は『人間の世界』の裏側だと説明しましたが、実際には少し違います」

「ここは『図書室』の裏側なのです」

「神見習いがここに存在できるのは日が昇ってから、沈むまで」

「日が昇る前にはここの裏側に太陽があるのです」

「そこで神様が物語を描いた時間が記録されて」

「この『神様の世界』に太陽が現れるのです」

「・・・」

俺は黙ってその話を聞いた。

先生の声は狭い教室に響く。

「このように授業でお話した内容が絶対に正しいわけではないんですよ」

「もう一つ例をあげるなら・・・」

「そうですね」

「私は神様なんかではなくて、あなたたちと同じ神見習い、なのですよ」

「え・・・?」

「それって・・・」

「私たち神見習いにはそれぞれ人格から派生した特徴があります」

「終」

先生は俺の目を見つめた。

「あなたの特徴は『バッドエンドしか書けない』ということ」

「なん、だと・・・。」

俺は驚きを隠せない。

特徴?

『バッドエンドしか書けない』?

「あなたが人間だった頃、愛していた人を病で亡くしています」

「自分の気持ちを彼女に伝えられず」

「彼女の気持ちを聞くことができずに」

「ちょっと、待って・・・」

「それって・・・」

「新田」

先生は新田を見つめた。

「あなたは人間の世界で届かない恋をする少女を元気づけます」

「だから、あなたは『誰かに寄り添う』という特徴があります」

「だから、それって・・・!」

「私の名前は『凛』」

「そろそろ、分かったんじゃないですか?」

「その物語がなんなのか?」

先生は俺が持っている原稿用紙の束を見つめた。

「・・・そうですよ」

「あなたたちが思っている通りですよ」

先生は視線を空に向けた。

黄色くて、紅くて、青い空を。

そして一度目を瞑って深呼吸をした。

「その物語は私たち神見習いが」

「人間だった時の世界なのですよ」

「神様が作り出した私たちの世界、なのですよ」

これが?

俺が人間だった時の物語?

俺は秋と恋をして。

その思いが通じなかった。

そんな人生を送っていたのか。

それを秋は知っていたから。

俺と一緒に冒険に出かけた。

そして俺は人間世界でも『終』だったから。

秋の物語と同じ反応をした。

「ここからが本題ですよ、終」

「え?」

俺はいつの間にか俯いていた。

だから、先生の言葉に頭をあげた。

「少し長い話になります」

「葵とあなたのお話」

「それから、これからのお話」

「私の提案を聞いてください」

そうして凛先生は話し始めた。


秋視点


世界が終わろうとしている―


太陽が地平線に沈んでいこうとしている。

空の端っこが眩しい。

まるで空が燃えているようだ。

その炎に焼き尽くされてしまうのだろうか。

私も。

誰もかも。

「・・・」

空を見上げてもどこにも蒼が無かった。

私が手を伸ばし続けた蒼はもうどこにも無かった。

「・・・」

「・・・終君」

私はただ無力だった。

だから愛しいあなたの名前を呼ぶことしかできなかった。

「・・・」

私はポケットから紙飛行機を取り出した。

そして、それをほどいていく。

そして、終君の物語が書かれた方とは反対側に言葉を紡いでいく。

言葉を書けば書くほど。

あなたとの思い出が頭を駆けた―


私は授業が終わった後、屋上に向かった。

私にはなぜか記憶があった。

神見習いにはないはずの。

この記憶はなんなのだろう?

私のこの記憶通りなら、あなたはそこにいるはずだった。

「・・・」

蒼だ―

終君と出会った日。

幼いころに病院を抜け出した日。

終君と過ごした日々の中で何度も見てきた色だった。

と、その時だった。

「?」

頭に何かが当たった。

足元を見てみると紙屑が転がっている。

私はそれを拾って皺を伸ばした。

「っー」

夢でも見ているのだろうか。

そこには物語が書かれていた。

ー彼の文字だった。

そっか。

君に記憶がなくても。

君は『終君』なんだね。

何も知らなくても君は。

ちゃんと『終君』としてここに居たんだね。

「っ―」

涙が溢れてくる。

悲しいとか嬉しいとかそういういろんな感情が含まれた涙だった。

私だけが持っている記憶が。

少しだけ神様に認められた気がした。

「・・・」

しわくちゃの原稿用紙をどうにか折って。

不恰好な紙飛行機を作る。

いつだってこうやって私たちの物語は始まったんだ。

そう心の中で呟いて。

私は蒼に向かってそれを投げたー

「紙飛行機、って言うんだよ」

「え?」

「それ、紙飛行機って言うんだよ」


君は何も変わっていなかった。

本当に『終君』だった。

それでも君の中に私がいないことを知るたびに胸がチクッとした。

「君は・・・?」

君は私の名前を知らなかった。

「私は秋。君と同じ神見習いだよ」

「同じ教室で『授業』受けていたんだけれど?」

興味のないことにはとことん無関心なんだなと思った。

「ああ」

「あの、後ろの席の」

「そう、そう」

私は歩き出した。

数メートル先に落ちた紙飛行機を拾うためにだ。

・・・本当は零しそうになった涙を堪える顔を隠すためだった。


「私、君の書いた物語読んだよ」

紙飛行機を拾う時には私の中の悲しさを無理やり押し込めることに成功した。


「ごめん、俺は途中からサボっているから・・・」

「知っているよ」

「君は初めて自分たちで物語を書いてみる授業を最後に教室から出ていったんだよね」

「もう授業は終わったって君に伝えてあげようと思ってここに来たんだ」

知ってるよ。

ずっと君だけを見ていたから。

ずっと君だけを見てきたから。

いろんな言い訳や嘘を君に重ねるのにも心は痛んだ。

こんなことに意味なんてない。

『終君』じゃない『終君』と話していたって私の気持ちは届かない。

それでも私は君に話しかけ続けた。


「どうして俺がここにいるって分かった?」

「何となくかな」

「何となく?」

「勘だよ。勘」

「・・・」

君はずっとここに居たじゃないか。

君はずっとここで一人空に手を伸ばし続けていたじゃないか。

全部、全部、知っているよ。


こんなに悲しい気持ちになるのに。

話せば話すほど胸は痛んでいくのに。

どうしても私の口は止まらなかった。

涙の代わりに言葉を吐き出していた。


「終君」

「え?」

「君のこと終君って呼んでいい?」

「いいけど・・・」

「私のことは『秋』って呼んでね」


いつしか私は君と『終君』を重ねるようになっていた。

君のことを『終君』と呼ぶことにした。

君に『秋』って呼んでもらうことにした。

まるで、私の中の世界みたいに。

私の記憶のように。


「俺はバッドエンドしか書けないんだ」


君はそんなことを言った。

それは私だってそうだ。

「それっ!」

だって、私が『人間の世界』を書いたら。

『終君』も『君』も殺すことになっちゃうんだもん。

「空を泳いでいる―」

嫌だよ。

そんな終わり方は嫌。

私。

私・・・!

君と一緒にハッピーエンドを迎えたいよ。

この紙飛行機がどこまでもどこまでも飛んでいくような。

そんな物語が書きたいよ。

気が付くと私はこんなことを口ずさんでいた。

「それでもこれじゃあ、空には届かない」

「だからさ」

「私と一緒に」

「ハッピーエンドを探す冒険に行こうよ」

この世界が終わるまで。

それまでは君と一緒に冒険をしたいと思った。

あの時のように。

私の最後のわがままだった。


それからは無意味に終君と歩いた。

何度も、何度も零してしまいそうだった。

でもその度に心を押さえつけた。

(ああ)

(私の中のこれは夢みたいなものなんだ)

(全部、全部偽物で)

(全部、全部私の妄想なんだ)

そう思い直した。

でも・・・。


「秋は前の自分、つまり『人間』の秋を知りたいと思うのか?」

「うん」

「それはどうして?」

「だってさ」

「私、ここに居たんだよ」

「この道を通って」

「笑って」

「泣いて」

「怒って」

「そして」

「恋をして」

終君は無意識に私の心を引きずりだそうとした。

いや、それが本来の終君だろう。

だから私は恋をしたんだ。

そのたびに私は我慢した。

必死に耐えた。

感情も想いも何もかも。

零れないように。


「じゃあ、教えてよ」

「え?」

「『神見習い』の秋が思い描いた『人間』の秋をさ」

「もしかして、こうやって二人でこの道を歩くのが既に妄想だったりして」

やめてよ。

どうして君はいつもみたいに笑うの?

私の記憶の『終君』と同じ笑い方をするの?


「こうやって海岸沿いを二人で歩いて」

「あてもなく歩いて」

「二人だけの冒険、をしている気になって」

「そういう物語を秋は考えてるの?」

「・・・」

「秋?」

「・・・うん」

私は終君から顔を背けた。

「なんだよ?どうしたんだよ?」

ダメ。

今度はまだ涙が収まっていないから。

溢れ出して、零れ出してしまったから。

「わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「!?」

私は大きな声を出して終君から離れた。

その短い間で壊れた蛇口からの涙を止めた。

「あ、秋?」

ああ。

私。

何をしているんだろう。

このままこんなことを続けたって苦しいだけなのに。

そのはずなのにどうしても私は前に歩き続けてしまった。

行先のはっきりしない冒険を続けてしまった。

「うん。うん」

「そうだよ!」

どうせあと少しで私はいなくなるんだから。

「私」

「私ね!」

せめて最後にこの夢物語を。

こんな無意味な方法で世界にしても。

いい、よね・・・?

「終君と一緒にこんな世界を生きてみたかったの!」

私は少し離れたところで終君に向かって叫ぶ。

「こんな風に二人は歩いて」

「お互いに文句を言い合ったりして」

「夕日の中を歩いていくの」

「終君はこんな世界じゃ嫌?」

「なんだよそれ」

「最高の世界じゃないか」

ありがとう。

ごめんね。

嘘をついて。

隠し事をして。

それでも許してよ。

最後までこの思いは。

この想いだけは。

隠し通すから。


それからも私は記憶を終君となぞった。

海岸沿いを二人で歩いたこと。

花火大会が混んでいたから手を繋いだこと。

目的の場所についても手を離さなかったこと。

大好きなサイダーを飲んだこと。

幸せだった。

この幸せが刹那的であることはよく分かっていたけれど。

それでも私はその幸せに依存した。

時間がずっと続くと錯覚しようとした。

でも、やっぱりそんなのはおかしかった。


「物語の続き」

「二人は無事に花火を見る場所までついて」

「一緒にこのサイダーを飲むの」

「花火が上がって」

「黒に飲まれていたはずの空が」

「赤、青、黄、緑」

「いろんな色に染まるの」

「海には鳥居が立っていて」

「それで、」

「それでね」

ここまで物語が進んでしまった。

嫌だ。

これ以上物語を進めたくなかった。

だって、私はこの後―

「そんな時、終は」

「花火なんて見ていなかった」

「え?」

「終は花火の明かりで染まる秋の横顔を見つめていた」

「二人は手を繋いだまま」

「俺は綺麗だとわざとらしく呟くべきなのだろうか」

「そう呟いたらこの乙女な文学少女は」

「花火の明かりのせいじゃなく紅くなるのだろうか」

「だけどー」

「そんな小説みたいな展開はいらない気がした」

「こうやって柔らかい手を繋いで花火と顔を眺める」

「それだけで十分だ」

「今の俺たちにはそれで十分だ」

「こんな展開じゃダメかな」

「終は秋に直接『綺麗だ』なんて言えるような人間じゃないんだよ」

「それでもちゃんと心の中では秋のことを思っている」

「そんなまだ始まっていない二人で、ここはいいんじゃないか」

「・・・」

君の言葉は、物語は暖かいはずなのに痛かった。

私の心にズキズキと刺さった。

そこから溢れるのは血じゃなくて涙だから。

私は必死に堪えた。

そんな状態だったからだろう。

涙じゃなくて想いが漏れてしまった。

「それで二人は花火をここで見た後、どうするんだ?」

「・・・」

「どうしようか」

「なんだ、そこはまだ考えていなかったのか」

「終君は」

「終君はこれからどうしたい?」

「俺か?そうだな、終だったら―」

「違うよ」

「え?」

「『終』だったらじゃなくて、『終君』だったらだよ」

「それって、どういう・・・」

「『人間』の終じゃなくて」

「『神見習い』の終だったら」

「このあとどういう風にしたい?」

「私と何したい?」

「私はずっと」

「『私』として物語を考えてきたつもりだよ」

「私はたとえ君の中に私が居なくても」

「君に恋、してたよ」

「『終』じゃない、『君』に―」

「あなたを好きになりました」

「お、俺は」

「その、」

「なんていうか」

「あの・・・」

「ごめんね」

「え?」

私はダメダメだった。

結局涙も何もかも零してしまった。

「なん、で・・・」

「終君は何にも悪くないよ」

「これは私のせい」

「私のせいで流れてるだけだから」

「ごめん」

「ごめんね!」

「あ、秋!」

神様。

神様。

この想いは。

いつか、蒼空に届くの?

教えて。

教えて。

明日の空が。

まだ、どこかに残っているのかを―

この長い長い一日の向こうに。

私の恋が届くことはあるのだろうか?

明日の青空の下で。

私は終君の隣に居られるの?

答えなんてわかりきってるし。

神様が絶対に答えてくれない疑問を心の中で繰り返す。


「っ―」

私は終君と二人で歩いてきた道を涙を流しながら走った。

まるで時間を戻しているような感覚だった。

それくらいに私は終君に恋していた。

絶対に届かない、恋をしていた。

歩いてきたときには短く感じた道は。

走っているのにとても長く感じた。

それも終君のおかげだった。

終君のせいだった。

涙はなかなか枯れてくれなかった。

記憶の分だけじゃない。

この世界で積み上げた新しい記憶の分も。

この涙には含まれていた。

「・・・」

そんな涙も収まった時に。

私は学校にいた。

教室に入るとそこにはもう誰も居なかった。

ほとんど全ての机の上には厚さが様々な物語が置かれていた。

私はその物語を一つ一つ読んだ。

そこには沢山の感情が溢れていた。

喜び。

怒り。

哀しみ。

そこには確かに『人間』がいて『世界』があった。

最後に私は自分の書いた物語を読もうと思った。

一番後ろの。

一番左側の席。

私は一文字ずつ。

丁寧に。

まるで抱きしめるように。

私の恋の物語を読んでいった。

沢山の記憶が。

想いが。

感情が。

その物語には詰まっていた。

「っ―」

ずっと、ずっと。

いつまでも読んでいたいのに。

涙が邪魔をしてなかなか進まなかった。

いや、それで良かった。

このまま私の気持ちが終わらなければいいと思った。

この物語が終わらないでほしかった。

だから、私は何も我慢せずに泣き続けた。

まるで子供のように泣きじゃくった。

それでもいいんだ。

それがいいんだ。

私は幸せなんだ。

私は幸せだったんだから。


「っ―」

私が書いている文字が涙に濡れていく。

さっきまであんなに泣いていたのに。

また涙が溢れてきた。

私の涙は底を知らないのだろうか。

「できた・・・」

「できたよ・・・終君・・・」

私は完成した物語をまた紙飛行機に折っていく。

そしてそれを飛ばそうとした時だった。

「それが、秋の望んだ今日の続きか?」

「明日の物語なのか?」

強い風が吹いた。

しかし、その風に負けない綺麗な声が聞こえた。

私はその声がする方を見る。

「秋」

「終君・・・」

目の前の男の子は綺麗な、私の記憶と同じ顔をして笑った。

それをずっと見ていたかったのにどうしてか涙が加速した。

「その続きを明日に飛ばすんだ」

「明日またここで今日の続きをしよう」

「だから、秋も笑ってよ」

「っ―」

私は笑った。

「泣かないでよ」

「聞いて欲しいんだ」

「この俺が書こうと思っている次の物語を」

終君は話始める。

その物語は長い、長い冒険だった。

「どうして・・・?」

「どうしてそんな物語を書くの?」

「そんなバッドエンドじゃ、また終君が苦しいだけだよ」

「いや、いいんだ」

「葵とのことがあるんだから」

「俺にとってこれは罰でもあるんだ」

「葵ちゃん?罰?」

「葵ちゃんに会ったの?どこに居たの?」

「いや、葵には会えなかった」

「でも、葵を知っている神見習いに会ったんだ」

「その話は長くなるから、『明日』葵から聞いて欲しい」

「どういうこと?」

「そろそろだ・・・」

終君は空を見上げた。

私も同じように空を仰いだ。

ほとんどが夜の青に飲み込まれていた。

「秋、ごめんな」

「え?」

「秋の気持ちに答えることが出来なくて」

「秋の気持ちから逃げてしまって」

「ううん」

「いいの」

「終君が謝ることじゃないよ」

「いや」

「俺はちゃんと秋に向き合おうとしていなかった」

「俺の気持ちは」

「本当はずっと前から分かっていたんだ」

「屋上で秋が俺に紙飛行機を飛ばして」

「俺の物語を肯定してくれたときに」

「もう俺の気持ちは、答えは」

「出ていたんだ」


終君が私の手を掴んだ。

大きな手。

私とは違うごつごつとした男の人の手。

その大きな掌が私を包みこんだ。

やっぱりその手はあたたかかった。


「俺もあなたが好きでした」


「っ―」

たった一日。

たった一日だ。

この不思議な一日の間に。

君は私を好きになってくれたの?

「俺にとって秋は神様だった」

「俺に手を差し伸べてくれた」

「バッドエンドしか書けない俺は絶望していた」

「世界に、神様に、自分に」

「だけれど、そんな俺に秋が手を差し伸べてくれたから」

「俺は大切なことに気付くことができた」

「物語を書こうを思った」

「世界を作り出そうと思った」

「ありがとう」

「俺の手を掴んでくれて」

「だから今度は俺が」

「こうやって手を包んであげようって思ったんだ」

「もうすぐ世界が終わってしまう」

「俺たちが死んでしまう」

「でも、俺」

「絶対にやり遂げるから」

「絶対に書き切るから」

「この紙飛行機を」

「『明日に』届けるから」

「明日の空の蒼に届けるから」

「だからもう一日待っていて欲しい」

「これは長い、長い一日になってしまう」

「ごめん」

「自分勝手でごめん」

「それでも」

「不思議なこの空間で待っていてくれないか?」

「ちゃんと迎えにいくから」

「ちゃんと今日の続きを伝えるから」

「絶対にまたこの手を掴みにくるから」

「『終君』の分まで秋に気持ちを伝えるから」

「飛ばそう」

「飛ばすんだ」

「俺たちの物語」

「俺と秋の物語を」

「明日の蒼に」

「きっと明日に届くと」

「ただそう信じて」

「その紙飛行機をー」

そう言うと終君は私の反対の手から紙飛行機を取った。

「っ―」

紙飛行機は夕暮れの空を飛んでいった。

まるでそれはどこまでもどこまでも飛んでいくようだった。

私は涙でぼやける視界の中。

それを眺め続けた。

「終君・・・」

「なんだ?」

私たち二人、その紙飛行機を眺めていた。

明日まで無事に飛んでいけるように。

見届けた。

「終君」

「私」

「私ね・・・」

「あなたをー」

「あなたのことを愛してい―」


その時、一つの世界が終わり―

次の世界が始まった。


終視点


いつだってこの紙飛行機を飛ばした時に物語が始まる。

ようやく。

ようやくここまで来た。

君の言葉が終わる前に。

日は沈んでしまった。

君の涙が消える前に。

君が笑顔になる前に。

あの『一日』は終わってしまった。

「・・・」

だから、これはその続きのための物語だ。

本当はあり得なかった『明日』を迎えるための物語だ。

紙飛行機は空を舞って。

君という物語を描く。

いつかくる明日を目指して。

また蒼空に放つー


「神様」

「神様」

「この想いは」

「いつか蒼空に届くの?」

「明日へ」

「明日へ」

「ページを捲った」

「君と二人空を見上げよう」

これは長い、長い一日の恋の物語だーー

そして、ようやくこの長い冒険が終わるようだった。

「長かった」

つい声に出してしまった。

でも、本当に本当に長い冒険だった。

後ろの扉が開く。

神様。

神様。

この物語。

ただ君に届け。

蒼を超えて。

さあ、行こう。

二人の物語が終わる。

一万回のその先へとー


秋視点


気がつくと私はこの教室にいた。

「どうして・・・」

私は慌てて外を見る。

蒼が一面を染めていた。

「ですから、神見習いの使命は神様を目指すことなのです」

聞き覚えのある言葉。

だけれどその声は以前のものとは異なっていた。

「どうして、葵ちゃんが・・・?」

「あっきー久しぶりだね」

葵ちゃんは懐かしむような笑顔で笑った。

「ちょっと話そうか」

「屋上に行こう」

葵ちゃんは教室を出ていこうとする。

「おっと、そうだった」

「私、今は『先生』なんだった」

葵ちゃんは踵を返した。

「えーと、これからしばらく自習にします」

「詳しいことはこの教科書に書いてあるんで」

「それじゃ」

教室にいる人たちは困惑していた。

ざっと三十人ほどだろうか?

「あっきー行こ」

私は葵ちゃんに手を引かれて教室を出た。


「うん、こんな感じ」

「扉を開いた瞬間にぶわーって蒼が目に入り込んでくる感じ」

「私の書いた通りだ」

「葵ちゃん、どうして・・・」

「そうだよね」

「いろんなことで困惑しているよね」

葵ちゃんの言うとおりだった。

さっき沈んだはずの太陽が昇り始めている。

それにこの記憶。

これが終君の言っていた約束・・・?

「一つ一つ話したいけれど」

「私、バカだからそんな器用なことできないの」

「ごめんね」

「だから、最初から全部話すね」

そう言うと葵ちゃんはまた空を見上げた。

そして、一度目を瞑った。

「これはね、私が世界を描く前のお話」

「私という『神見習い』のお話だよ」

そうして葵ちゃんは話し始めた。


葵視点


「ここは・・・どこ・・・?」

そこには蒼が一面広がっていた。

ただそれだけ。

そんな空間だった。

「どういうこと・・・?」

どうしてこんなところにいるのか確かめようとすると記憶がないことに気付いた。

私は恐怖心を抑えて歩いた。

何か。

何かないか・・・?

今の私を救ってくれる何か。

それを求めて歩いた。

そうしたら君に出会った。

「・・・」

「・・・どうして」

「どうして、葵がここにいるんだ」

震えた声が聞こえる。

目の前には机と、紙飛行機と、男の子がいた。

私は彼の名前を知らないのに。

彼は私の名前を知っていた。

「君は誰・・・?」

「俺は・・・」

男の子はうろたえながら言った。

「俺は終」

「終」

私は彼の名前を呟く。

男の子は俯いていた。

「私、記憶が無いの」

「終、ここがどこだか分かる?」

「・・・」

「そうか」

「話さなくてはならないのか」

「俺は、葵に話さなくてはならないのか」

終は涙を流した。

どうして泣くの?

この疑問は口に出せなかった。

「・・・」

終は蒼い空を見上げると話し始めた。

ここがどこなのか。

そして、終が何者なのか。

私が、なんなのか。

「そっか・・・」

「私、この紙飛行機の登場人物だったんだ」

私は空に舞うそれを手に取ろうとした。

しかしー

「やめろ!」

「!?」

終が大きな声でそれを静止した。

私はおとなしく手をひっこめた。

「大きな声出してごめん・・・」

「でも」

「それでも、やめてくれ」

「・・・」

私の記憶がこの紙飛行機に書かれているのだから、それを見たいと思ったんだけれど・・・。

どうしてか終はそれを嫌がっているように思えた。

「葵がここにいるってことは」

「きっと葵が『先生』になるってことなんだろう」

「先生?」

私は『先生』だからこの『図書室』から出て、『神様の世界』で『授業』をしなくてはならないそうだ。

「でも、どうやってここから出るの?」

「ちょっと待ってくれ」

そう言うと終は一点を見つめた。

すると周りの紙飛行機が集まり、扉になった。

「この扉の向こう側に『神様の世界』がある」

「すごーい!」

私は扉の前に立った。

「あのさ終」

「何?」

「私はどうやってこっちに帰ってくればいいの?」

「葵が想えばどこの扉だってここにつながっている」

「好きな時に帰ってこれるよ」

「そっか」

私は扉を開けた。

「っ―」

扉の向こうは本当に『神様の世界』が広がっていた。

「じゃあ、行ってきます」

私は終にそう言って扉を跨いだ。

しかし、扉が閉まる直前―

「ごめん、こんなー

「え?」

終の言葉がうっすらと聞こえた。


「ですから、神見習いの使命は神様を目指すことなのです」

私は終に言われたように『授業』を進めた。

人間について。

神様について。

神見習いについて。

私の教え方は自分でもわかるくらい最悪だった。

こういうのは苦手なんだよな。


「終、ただいま」

「おかえり、葵」

終の周りには書きかけの物語が散らばっていた。

「これも読んじゃダメなの?」

私はそれらを指差して言った。

「ごめん」

「読んでほしくないんだ」

「・・・こんなのは俺の逃げでしかないけれど」

「それでも、俺の書いた物語は読まないで欲しいんだ」

「そっか」

「終がそこまで言うなら読まないよ」

「本当にごめん」

「気にしないで」

私は授業の合間にこの『図書室』に来た。

『神様の世界』よりも居心地が良かった。

「ところで終は誰を神様に選ぶの?」

「・・・まだ、誰も物語を書き終えていないから決めることはできないよ」

「本当に物語を読んで決めるの?」

「終が言った説明だと、全員分の物語を読んでいる時間なんてないんじゃない?」

「ここ『図書室』では紙飛行機に触れれば物語が読めるんだ」

「だから、葵が持ってきてくれたら俺はすぐに読めるよ」

「そっか。確かに完成した物語は一ページごとにこんな感じで飛んでいるもんね」

私は周りを見渡す。

水晶のような紙飛行機が空を舞っていた。

改めて考えてみると不思議だし、綺麗だ。

「葵はどんな物語を書くつもりなんだ?」

「私?私はそうだな・・・」

私は頭を悩ませる。

どんな物語を書こうか。

「まだ何も考えてないってのが本音だけれど」

「終のお話を書きたいな」

「俺の・・・?」

「うん」

「終さ、気付いてる?」

「ずっと暗い顔しているよ」

「何か悲しいことでもあったの?」

「私でよければ相談乗るよ?」

「・・・」

終はいっそう悲しそうな顔をした。

やっぱり、終には何か悩みというか苦痛があるみたい。

「だから、終が幸せになれる物語を書くよ、私」

「そんな顔する暇もないような」

「すっごく明るい物語を書くよ」

私は笑った。

この蒼空に負けないように笑った。

「・・・」

「一つ、俺が書いた物語について葵に話しておきたいことがある」

「おっ!なになに!?」

「俺が書いた『葵』はそんなに明るい人じゃなかったよ」

「まじか!私根暗だったの!?」

「ああ」

「でも、こうしてるのを見ると」

「葵の根底にはこの明るさがあったんだな」

「蒼にも負けない明るさが」

終は空を見上げた。

私も同じように空を見上げた。

私はこの空よりも蒼いのか。

「そろそろ、次の授業だ」

「行ってきます、終」

「いってらっしゃい、葵」

心なしか終の表情が少し和らいでいた気がした。


「ふぅー終わったぁ〜」

私は軽く伸びをする。

これで『授業』は全部終わった。

太陽もちょうど真上あたりにある。

「そろそろ私も物語を書き始めないと」


「おっはー!終」

「なんだよその挨拶」

「気軽に言いやすい挨拶だよ」

「『おはよう』は朝しか言わないよ」

「あれ?そうだっけ?」

「そうだよ」

私は持ってきた原稿用紙とペンを机の上に置く。

「・・・ここって机一つしかないんだよ」

「うん!だから貸して!」

「終はもう書き終わっているんだからいいでしょ?」

「俺は確かに『人間の世界』を書き終えたけれども」

「まだ書いているだ」

「そうだったんだ」

床に散らばっている原稿用紙はそういうことだったんだ。

「なんで書いているの?」

「・・・」

「書いていないと」

「書き続けないと」

「人間たちに申し訳ないからな」

「ふーん」

終はいつも以上に悲しそうな顔をした。

そんな顔してまでも物語を書く必要があるのかな?

もう世界は書き終わっているんだし。

「とにかくちょっとくらい貸してよ!」

「うわぁっ!」

そう言って私は強引に終がさっきまで座っていた椅子に座る。

そして、物語を書こうとした。

「・・・なんだよ」

「書かないのか?」

「いや、私も書こうとしているんだけれど」

「よく考えたら終のこと何も知らないから」

「書けないよ」

「神様は人間にとって自由なんだから」

「どんな俺を書いたっていいんだ」

「自由って言われてもなぁ」

「逆に難しいよ」

私はペンを顎に当てて考える。

終はどんなことがしたいのだろう?

「あと、俺を書くのは構わないが、神見習いは物語に書くなよ?」

「大丈夫。ちゃんと覚えているよ」

「神見習いを物語に書くと罰が下るんでしょ?」

「それに神見習い達のことの方が終のことよりも知らないから」

「・・・ぼっちなの?」

「ぼっち言うな」

「・・・ここは物語を通りなんだな」

「ん?なんか言った?」

「なんでもないよ」

「物語の書き方を他の神見習いに教わった方がいいんじゃないのか?」

「先生が生徒から学ぶの?」

「そんな先生が居たっていいと思うよ」

「そっか」


と、そんなことを言われたので私はまた『神様の世界』にやってきた。

だだっ広い街に三十人ほどしか居ないので街は閑散としていた。

少し歩くと公園があった。

私は柵の向こうに見える景色を見下ろした。

「綺麗ですよね」

「?」

知らない声に私は振り返った。

「葵さんですよね」

「はい、そうですけど・・・」

この子は確か・・・

「慎君だっけ・・・?」

「そうです。覚えていてくれたんですね」

「はい!」

『授業』をしてる中でなんとなく覚えていたのはこの神見習いだけだった。

「ここ綺麗ですよね」

「海の上に鳥居が立っていて」

「うん、すっごく綺麗」

「てか、タメ口でいいよ」

学生服を着ているのを見る限り終の物語の中では私たちは同じくらいの年齢だったのだろう。

「そうだよね」

「葵さんって呼んでいい?」

「いいよ!いいよ!私はもう慎君って呼んじゃってるしね」

私達は二人並んで眼下の景色を眺めた。

「僕達神見習いにはそれぞれ特徴がある」

「葵さん、そう言っていたよね」

「うん」

終からそれを教わったんだけれど。

「実は僕、自分の特徴が何なのかまだ分かっていないんだ」

「そうなんだ」

そういえば私も自分の特徴知らないや。

「葵さんは『先生』だから、神様のところに行けるんだよね?」

「うん、行けるよ」

「それじゃあ、神様に聞いてきてくれないかな?」

「神様?」

「うん。きっと神様だったら神見習いの特徴を知っていると思うんだ」

「確かに」

慎君は頭が冴えるようだった。

私なんてそんなこと考えたこともなかった。

「それじゃあ聞いてくるね」

「うん。お願いね」

私は近くのドアを探した。

「ここでいいや」

そこは何かをいれておく倉庫のようなものだった。

すぐ後ろには慎君がいる。

「そこから行けるの?」

「うん。神様のいる『図書室』に行くにはどこの扉でもいいから『行きたいっ!』って願うの」

「そうすると扉の向こう側が『図書室』なんだよ」

「そうだったんだ」

慎君は感心していた。

そして私の一挙手一投足をじっと見ていた。

そんなにじっと見つめられたら緊張するよ。

「っー」

私は願いながらドアノブをひねる。

すると一面の蒼が飛び込んでくる。


「おっはー!終!」

「葵、帰ってきたのか」

「実は終に聞きたい事があってね」

私が終に笑いかけた、その時だった。

「なん、だと・・・」

「終?」

終の顔が真っ青になっている。

視線は私の後ろに向いていた。

「ここが、『図書室』・・・」

私の後ろには慎君がいた。

「あれ?なんで慎君もここに?」

「僕も葵さんみたいに願いながら扉を開けたんだ」

「そしたらこうして来られた」

慎君は周りを見渡しながら近づいてきた。

「ここが『図書室』なんだね」

「なんだか想像していたのと全然違うよ」

もっともな感想だ。

図書室といったら本がびっしり詰まった本棚が所狭しと並べられている印象を受ける。

「それにこの紙飛行機」

「あ、それはね」

私が紙飛行機について説明しようとした時だった。

「わあっ」

慎君の足がもつれる。

何にもないこの空間で転ぶ人もいるんだな。

そんな呑気なことを考えていた。

「え・・・?」

「これって・・・」

「まさか―!」

「っー!」

「そんな・・・!」

そう、呑気なことを考えている場合じゃなかった。

転んだ勢いで慎君は空に舞っていた紙飛行機を握っていた。

「・・・神様」

慎君の顔つきが変わった。

「この物語はなんですか?」

「・・・」

終は口を固く閉じた。

視線も慎君から逸らしていた。

「答えろっ!」

慎君の大きな声がこのどこまでも続く空間に広がっていく。

「慎君?どうしたの?」

「それはね、終が書いた人間の世界の物語だよ」

「私たちが人間だった時の物語」

「やっぱり・・・」

「やっぱりそうなのか!」

「葵はどうしてそんなに冷静でいられる!?」

突然呼び方が変わった。

怒りというよりは悲しみという感じだ。

「終が紙飛行機には触れるなって・・・」

「だから、私はこの物語を知らないの・・・」

「どうしたの?慎君・・・」

「葵・・・」

慎君は泣きそうな顔で私を見つめた。

しかし、すぐに終を刺すような目で睨んだ。

「・・・最低だ」

「どうしてこんな物語を書いたんだ!?」

「芽衣と二人、幸せなハッピーエンドだって良かったじゃないか!」

慎君がまた叫ぶ。

芽衣?

ハッピーエンド?

じゃあ。

この物語はバッドエンドなの?

「・・・僕はこんなの認めない」

「幸せな世界を僕が作る」

「僕はあなたを神様だなんて認めない」

「本当の神様に僕はなる」

慎君はそう言い捨てると図書室を出ていった。


「・・・終?」

私は恐る恐る終を見つめた。

「・・・出て行ってくれないか?」

終の声は悲しみに満ちていた。

「でも・・・」

「出て行ってくれ!」

「終・・・」

終は俯いていた。

私はどうすることもできずに『図書室』を後にした。

(終は一体どんな物語を書いたんだろう)

私は公園のベンチに座って一人考えていた。

今分かっていることは2つ。

『芽衣』という女の子のお話だということ。

ハッピーエンドではないこと。

私は無意味に空を見上げた。

「・・・葵」

そんなことをしていると慎君に話しかけられた。

どうやら彼はまだこの公園に残っていたらしかった。

「あいつが書いた物語読んだのか?」

「ううん」

「なんで?」

「終が悲しそうだった」

「僕達はあいつが書いた物語の登場人物なんだ」

「だったらその記憶を持っていたっていいじゃないか」

「その権利があると思わないか?」

「慎君がどうしてそんなに怒ってるのか、私に悲しそうな目をするのか」

「あの物語を読めば分かるのかもしれない」

「でもね」

「私は終に幸せになってもらいたいの」

「だから、終が嫌がっていることを無理やりする気にはなれないよ・・・」

「あいつはお前から幸せを奪ったんだ!」

「僕という人間を使って!」

慎君の叫び声が響く。

「・・・きっと何か理由があるんだよ」

「終はね、ずっと悲しそうだった」

「私が初めて会った時から」

「私に物語を見せなかったのはきっと終なりの優しさなんだよ」

「違う!」

「違う!違う!違う!」

「あいつはただ逃げていたんだ!」

「ただ隠していたんだ!」

「そしてそのままこの世界が終わればいいと思っていたんだ」

「そうすれば僕達のうち一人しか残らないんだから!」

「あいつが書いた物語は闇に葬られる!」

「葵も読めば分かるさ!」

「そうすればこの怒りを理解できる」

「私は読まないよ」

「どうして!?」

「だから言ってるじゃん」

「終に幸せになってもらうためだよ」

「私達は神様が作り出してくれた存在」

「私達がバッドエンドを迎えたのは確かに神様のせいだけれど」

「それまでに感じた幸せや喜びも」

「その神様のおかげなんだよ」

「だから私はそのお返しってわけじゃないけれど」

「終には幸せになってもらいたいの」

「クソッ!」

「クソッ!クソッ!クソッ!」

慎君はベンチを叩いた。

手が真っ赤になっていた。

そんなに力んだら痛いよ。

「・・・もういい」

「え?」

「確かにあいつが書いたの僕は『僕』なのかもしれないな・・・」

「慎君・・・?」

慎君は薄ら笑いを浮かべている。

そしてポケットから何かを取り出した。

「これがなんだか分かるか?」

「それって・・・!」

「そうだ。紙飛行機だよ」

「『図書室』から持ち帰ってきたんだ!」

「っ!」

「どうやら、聞くまでもなく俺の特徴が分かったみたいだな」

「俺の特徴は『図書室に自由に行き来できて紙飛行機を持って帰って来れること』みたいだな」

慎君の顔が嫌に歪む。

「何する気・・・?」

「決まってるだろ」

「神見習い全員にそれを触れさせて、記憶を取り戻させる」

「そうして終がバッドエンドになるような物語を全員書くんだよ」

「これは復讐だよ」

「僕達をバッドエンドに貶めたあいつへのな!」

「やめて!そんなことして何になるの!?」

「何にもならねぇよ!」

「それでも僕はあいつを許せない!」

「人間に過酷な運命を背負わせるあいつをな!」

「落ち着いてよ!」

「大体、終がバッドエンドを迎える物語を書いたらその世界の人間たちも悲しみに染まってしまうじゃない!」

「そこは上手く書くさ!あいつだけが地獄に落ちるような物語を!」

「そんな・・・!」

どうにかしないと・・・。

「お前は最後にしてやる」

「それまでにお前以外の神見習いにこれを読ませてやる」

そういうと慎君は走り出した。

「待って!」

私は慎君を追いかけた。

しかし、彼の身体能力は高かった。

反対に私は運動音痴だった。

「うわぁっ!」

ちょっと前の慎君よりも派手に転ぶ。

「どうしよう・・・」

慎君ははるか先だった。

「とりあえず終に知らせなきゃ!」


「終!」

「・・・」

図書室で終は未だに項垂れていた。

「終!終!しっかりしてよ!」

「終!」

私は終の頬を叩く。

「葵・・・」

「終。聞いて。大変なことになったの」

「慎君が紙飛行機をここから持ち帰ってみんなに読ませるつもりだって」

「それで神様になった誰かが終がバッドエンドになる物語を書くって!」

「・・・」

「ちょっと!終!聞いてるの!?」

「俺は・・・」

「俺はそれでもかまわない」

「何言ってるの!?」

「終だって幸せにならなくちゃ!」

「終はずっと悲しみに塗れていた」

「だから、今度は終が幸せになる番なんだよ!」

「幸福と不幸は足し引きゼロになるように世界は出来ているんだから!」

「・・・そんなわけないだろう」

「え?」

「そんなわけねえだろ!」

「世界っていうのはそんなに綺麗じゃねえよっ!」

「たった一日の記憶と」

「たった一人の神様と」

「たった一つの物語で出来ているんだ!」

「そんなに都合よくできてないんだよ」

「終・・・」

「・・・お前は親友を殺したんだよ」

「え?」

「初めての恋に浮かれたお前は」

「大切な親友の助言を無視して自分の恋を追い続けた」

「やめてよ・・・」

「親の都合で海外に行くことになったお前は」

「聞きたくない・・・!」

「親友の芽衣の言葉をはねのける」

「そしてお前は芽衣を無視するようになるんだ」

「やめてっ!」

「芽衣は自殺するんだ。お前へ手紙を残して」

「いやっ!」

「芽衣はお前を愛していたんだ」

「やめてって言ってるでしょ!」

甲高い音が響いた。

「あ、ああ・・・」

終を叩いた右手が震えている。

さっきの慎君の手くらい赤くなっていた。

「それでいいんだ」

「それが正しいんだ」

「あ、ああ・・・」


気が付くと私は神様の世界に戻ってきていた。

公園のベンチ。

私はそこで沈みゆく夕日を眺めていた。

「やっと帰ってきたか」

逃げなきゃ。

本能がそう言っているのに私の体は動かなかった。

「みんな、みんなこの物語を読んだら」

「俺の計画に賛成してくれた」

「後はお前だけだ」

慎君の腕が伸びてくる。

夕日に照らされた紙飛行機が私に触れた。

瞬間、頭の中に記憶が流れ込んでくる。

学校。

友達。

ひとりぼっち。

幼馴染。

受験。

別々の高校。

電話。

体育の授業。

ケガ。

矢嶋慎君。

保健室。

恋。

クッキー。

手作り。

すれ違い。

思い込み。

転勤。

アメリカ。

一年。

盲目。

告白。

雨。

頬を叩く。

涙。

濡れる。

無視。

手紙。

自殺。

愛してる。

絶望。

そして―

芽衣。

その瞬間私の色は。

私の蒼は―

黒に染まった。


「傑作だよ」

「まさかお前がこんなにいいバッドエンドを書くなんてな」

「やられたことをやり返しただけだよ」

「というと?」

「私の大好きな芽衣を殺された」

「だから私も同じように秋を殺した」

「ただ、それだけだよ」

「そっか」

「これで全部だ」

慎君は私の物語を分厚い紙の束に乗せた。

「後は『先生』のお前がこれをあいつのもとに持っていけばいい」

私はその紙の束を受け取る。

そして目の前の扉に手を掛けた―


「終」

私は目の前の机に座る神様を見据える。

「先生として神見習いたちの物語を持ってきた」

「ここから神様を選べ」

終は椅子から立ち上がってこっちを向いた。

「少し読んでくれないか?」

「は?」

「まだ時間はあるんだ」

「それにお前の憎しみを直接感じさせてくれ」

「・・・いいだろう」

「贖罪のつもりか何か知らんが、そこで聞くといい」

「私たちの憎しみを」

私は物語を読み始める。

ここには様々なバッドエンドが書いてあった。

どれも終が大切にしたものを失う結末だった。

「・・・」

「そろそろ時間だ」

「もうこれ以上は読んでいられない」

「そうか・・・」

私は紙の束を真上に放り投げる。

するとその紙はたちまち紙飛行機となり終に向かって飛んでいった。

まるで終に突撃するかのように。

「さようなら、終」

「私はお前をバッドエンドに導く」

「さようなら、世界」

そして―

一人の神様が死に―

次の世界が始まった。


秋視点


「特徴・・・」

「この世界の前の世界で終君から聞いた」

「神見習いにはみんなそれぞれ性格から派生した特徴があるって」

「『先生』っていうのは特徴とはまた別にあるんだ」

「うん、そうだね」

「『先生』は願いながら扉を開けるだけで『図書室』に来れる」

「『先生』に似た『特徴』もあるから少しややこしいよね」

「私と慎君が『図書室』に入れたりすると」

「大丈夫、どうにか理解できたよ」

「良かった」

「私の説明下手くそでごめんね」

「ううん」

「そしてね、これから話すのは私が神様となって世界を書いて、次の神様を決めるまでのお話」


葵視点


「・・・」

見慣れた景色だった。

だがそこにあいつの姿がないことに気付いた。

そして、自分の状況を悟った。

「次の神様は私・・・」

私は何もない蒼の世界を歩いていく。

そして、その机と椅子を見つける。

「っ―」

私は憎しみを込めて物語を書き始める。


今日、何度目かのチャイムが鳴る。

高い太陽が屋上のコンクリートを焦がす。

遠くの景色がゆらゆらと揺れている。

「はあ・・・」

暑さのせいかため息を漏らす。

高校三年の夏。

この下のクーラーの効いた教室で机に向かっている同級生達にとって、勝負の夏だ。

難関大学への合格者が多いわけではないが大多数が国公立か有名私立に進学する西校。

県内で5本の指にギリギリはいるくらいの進学校。

でもー


終。

五月七日終。

この男をバッドエンドに導くための物語を―


「秋!秋!」

伝えたかったこと。

聞きたかった言葉。

一つも届けることも受け取ることも出来なかった。

秋。

俺は秋が大好きだった。

愛していた。

ああ―。

運命はこんなに残酷で。

秋のバッドエンドはこんなにも酷いものなのか。

秋。

ごめん。

君と一緒に―。

バッドエンドを迎えられなくて。


傑作だ。

書き終えた。

ざまあみろ。

これが私の味わった悲しみだ。

これがお前の作り出した悲しみなんだ。


「こんな物語を書いてどうするっていうんですか?」

凛とする声がした。

「あなたは・・・」

「あなたの物語では『八月一日凛』という人間でした」

「凛先生・・・」

「皆さんからはそう呼ばれていたみたいですね」

凛の手には紙飛行機が握られていた。

「にしてもすごい物語ですね」

「以前の世界の神様と神様になった神見習いが出てくる物語だなんて」

「・・・どうして凛先生がそれを知っているんですか?」

「どうやら私の『特徴』みたいですよ」

私が終のもとに初めて訪れた時、前の世界の記憶や神様の世界については知らなかった。

凛先生が言うとおり、今起きているこの現象は『特徴』なのだろう。

そして、慎が言っていたことは間違いだったことになる。


「うん。きっと神様だったら神見習いの特徴を知っていると思うんだ」


「私から説明することは何も無いと思うが」

「あなたがこの世界での『先生』となる」

「はい」

「分かったなら早く授業を始めればいい」

「私から言うことは何もない」

「・・・一つ聞かせてくれませんか?」

「何をですか?」

「どうしてあなたはこんな物語を書いたのですか?」

「・・・」

「凛先生なら分かっているんじゃないですか?」

「前の記憶があるんだから」

「確かに凛先生の子供である秋を私が殺したことになる」

「それは申し訳ないと思っていますよ」

「そういうことではありませんよ」

「それに前の世界の記憶があるわけじゃないんです」

「?」

凛先生は地面に手をつけた。

すると―

「紙飛行機?」

凛先生は地面の中から紙飛行機を取り出したようだった。

「ここは『図書室』という空間」

「その名の通り世界を保管しておく場所」

「だからこうして私のような『特徴』を持った神見習いならば」

「以前の物語の紙飛行機を取り出すことができるんですよ」

「・・・そうか」

「凛先生は前の記憶を持っているわけじゃない」

「『人間の世界の物語を取り出すことができる』という特徴を持っていたのか」

「はい」

凛先生は紙飛行機を一つ持って歩いてくる。

「もう一度聞きます」

「どうしてあなたはこんな物語を書いたのですか?」

「・・・」

「憎かったからだ」

「私と芽衣の気持ちをもてあそんで」

「終の自己満足のためだけにあんな世界を書いた!」

「人間のことを一切考えない」

「そんな神様が憎かったからだ!」

「芽衣に幸せになってほしかった」

「それなのにどうして芽衣が死ななくちゃならなかったの!?」

「どうして私が殺さなくちゃいけなかったの!?」

「この行き場のない怒りを全ての元凶であるあいつにぶつけるために」

「この物語を書いたんだ!」

「・・・」

凛先生は遠くの空を見上げながら私の話を聞いた。

そしてこちらを向いた。

「これはあなたの憎んだ終の物語です」

「・・・」

「読んでみてください」

「その話は慎から教わった」

「慎が持ち帰ってきた紙飛行機に触れて知っている」

「いいえ、違います」

「物語に触れるんじゃなくて」

「ちゃんと読んでみてください」

「何を言っているんですか・・・?」

「いいから」

「『終の自己満足のためだけにあんな世界を書いた!』」

「『人間のことを一切考えない』」

「あなたがそう思っているのなら」

「この物語を読みなさい」

「あなたの目で」

凛先生は頑なだった。

しぶしぶ私はその紙飛行機を受け取った。

そしてそれを開いた。

その瞬間だった。

「・・・え?」


それは原稿用紙なのだろうか?

うっすらと残った罫線でようやくそれと判別できた。

そして何度も、何度も書いては消した後が残っていた。

「終の特徴は『バッドエンドしか紡げない』というものでした」

「え・・・?」

「それでも彼は物語を書き続けた」

「神様になればそれはきっと報われると信じて」

「彼は神様から教わった言葉を信じ続けていた」

「『幸福と不幸は足し引きゼロになるように世界は出来ている』」

「・・・」

「この言葉を信じて彼は神様になった」

「でも結局バッドエンドしか書けなかった」

「人間らしく言うなら特徴なんて言うのは呪いでもあるんでしょうね」

「彼は誰よりも」

「葵と芽衣の幸せを願っていたんですよ」

「っ―」

「あなたたちの想いが」

「どうにか伝わるように」

「そう何回も書き直した結果がこれだとは思いませんか?」

私は物語を読み返す。

手紙だ。

芽衣の手紙。

そこには芽衣の優しさと愛が溢れていた。

それを読む私は芽衣の優しさと愛を目一杯感じることができた。

そうか。

そうだったのか。

神様は。

終は。

終は私たちに。

想いを届けてくれていたんだ。

「・・・あなたは黒色に染まってしまった」

「慎という神見習いのせいで」

「きっと彼が本当の『先生』だったのでしょう」

「彼の『特徴』は『神見習いを自分の思想に染めること』」

「終が書いた物語で彼は女癖の悪い男だった」

「だから、そう考えるのが妥当でしょう」

「待ってください」

「それじゃあ」

「私の『特徴』は何だったんですか・・・?」

「どうして私は『先生』のように図書室に出入りできたんですか?」

「・・・それは私にも分かりません」

「それでも、あなたは終の物語に触れて」

「また、蒼を取り戻しました」

「終はあなたを書きました」

「『まるで空のように綺麗な蒼い少女だ』と」

「っ―」

私は何回も消された後の残るその文をなぞる。

終。

ごめん。

ごめん、私―

「・・・まだ授業は始まっていない」

「『神様の世界』に太陽が昇り始めてしまったから」

「物語を書き直すことは不可能でしょう」

「しかし、神見習いが居なくならない程度に削ることはできるんじゃないですか?」

「削る?」

「そうです」

「あなたの今の願いはなんですか?」

「それは・・・」

それは。

「終がハッピーエンドを迎えることです」

「なら、叶えてあげませんか?」

「この届かないはずの恋を」

「でも、どうやって・・・」

「私に提案があります―」


「では、私は授業に出ます」

「待ってください」

「なんですか?」

「ありがとうございます」

「私はただ秋に幸せになってほしかっただけですよ」

「え?」

「記憶はないけれど、私の子供、ですから」

凛先生は笑った。

私が物語で書いた通りの。

綺麗な笑顔だった。

凛先生は扉の向こうに消えていった。


「さて」

私は凛先生が残していった終の物語を読み返していた。

何度見ても驚く。

どれだけの時間をこの物語を書くのに費やしたのだろうか。

「終」

「ごめんなさい」

私は終がハッピーエンドに向かうために物語を削った。

その続きは彼を信じよう。


私の世界がもうすぐ終わる。

私は次の神様を選ばなくてはならない。

物語は一応全部読んだが。

私の答えは最初から決まっていた。

ガチャリと扉が開く音がする。

そしてそこから見慣れた顔がやってくる。

「・・・」

「終・・・」

私はその名前を呼んだ。

「葵」

「凛先生から全て聞いたんだね」

「そして全部知っているんだね」

「ああ」

「俺は葵に謝らなくてはならない」

「すまなかった」

終は薄く張った水面に立つ。

「・・・」

そして頭を下げた。

「・・・顔をあげてよ終」

「それに私たちの物語はまだ終わったわけじゃないんだから」

「これから幸せを追い求めるための物語を終は書くんでしょう?」

「・・・それでも」

「それでも、俺が葵をバッドエンドに導いたことには変わらない」

「だから、ちゃんと謝ろうって思ったんだ」

「・・・」

「私が神見習いだった時」

「終のそういう顔ずっと見てきた」

「終は私たちと一緒に悲しさを背負ってくれていた」

「終の物語が書かれた原稿用紙はぐちゃぐちゃだった」

「思えば世界が書き終わってからも物語を書き続けていたのは終の苦しみだったのだと思う」

「それくらい終は苦しかったんだと思う」

「終」

「ありがとう」

「私たちのためにいっぱい悩んでくれて」

「私たちを作り出してくれて」

「私、幸せだったよ」

「芽衣とは結ばれなかったけれど」

「それでも、芽衣と過ごした日常はキラキラしていた」

「私が私らしく居られる時間だった」

「青よりも蒼く私はいられた」

「私」

「私ね」

「ちゃんと生きた価値のある人生だったよ」

「私の歩んだ人生には」

「ちゃんと意味があった」

「ハッピーエンドだけが」

「意味じゃないんだって私は思ったよ」

「ありがとう」

「終」

私は笑った。

あなたが色付けてくれた笑顔で。

「終、泣かないでよ」

「次はあなたの番だよ」

「あなたが生きる意味を手に入れる番」

「さあ、行こう」

「紙飛行機を飛ばすんだ」

「・・・うん」

「・・・」

どうして?

「―っ」

どうして私は・・・。

「なんて・・・」

頬を涙が伝う。

「っ―!」

あなたが色付けてくれた

私という物語が終わる。

それなら、最後に少しだけ。

わがまま残してもいいよね。

神様が決めた結末では。

あなたの隣に私はいない。

あなたに届かないこの気持ちは。

幸せなんかじゃ隠せない物だから。

「それでもっ・・・!」

「それでも私は!」

「芽衣と未来を歩みたかった!」

「芽衣の隣で一緒に笑っていたかった!」

「くだらないことを言い合って」

「時々けんかして」

「そんななんでもない日々を過ごしたかった」

「二人だけの時間を」

「二人だけの世界を」

「二人で歩んでいきたかった」

「それなのに・・・」

「終」

「終!」

「どうして!?」

「終!」

「終っ!」

「うぅ」

「うわぁ・・・」

「こんなこと、言ういはずじゃ、」

「無かった、のに・・・」

「うわあぁ」

「っ―」

「うっ、」

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

苦しくて。

悲しくて。

そんな感情が。

溢れてしまった。

「葵・・・」

「葵っ!」


「違う」

「違うの!」

「だから」

「だからね!」

私は涙を拭う。

「終は」

「終は書き続けるの」

「ハッピーエンドの未来になるまで書き続けるの!」

「決してあきらめないで歩き続けるの!」

「私たちが届かなかった幸せを手に入れるまで!」

「ああ・・・」

「ああ、!」

「分かった」

「俺、書く」

「絶対に諦めない」

「幸せになるまで書き続けるから!」

「絶対、絶対に書くから―!」

神様。

神様。

この想いは。

いつか蒼空に届くの?

明日へ。

明日へ。

ページを捲った。

あなたの隣で見上げる空。

終。

任せたよ。

私が芽衣の隣で空を見上げる事のできる。

その日まで。

絶対に。

絶対に。

世界を。

想いを。

書き続けてね。


秋視点


「・・・」

「それで今に至るって感じかな」

長い話だったはずだ。

それを示すように西日が眩しい。

それなのにあっという間な気がした。

そのくらい情報量が多かった。

終君が二度の神様をしている。

芽衣ちゃんと葵ちゃんの話が一度目の終君が書いた人間の物語。

その後葵ちゃんが神様になった。

そしてその次の神様に終君が選ばれた。

それが終君にとって二度目の神様。

「終は私と約束した後、私がもともと書いた物語を書いたんだ」


「・・・まだ授業は始まっていない」

「太陽が昇り始めてしまったから」

「物語を書き直すことは不可能でしょう」

「しかし、神見習いが居なくならない程度に削ることはできるんじゃないですか?」


「凛先生がこう言っていたように私は物語を削った」

「私が書いた物語はあっきーが死ぬ前」

「具体的には9月の17日までだね」

9月17日。

それは終君が家に引きこもり始めた日だ。

「それ以上物語を前に戻すことは出来なかった」

「だから私はそこまで削って人間の世界とした」

「そうすればあっきーはまだ死んでいないから、神見習いとして神様の世界に誕生できる」

「うん」

私が持っている大部分の記憶。

その中では私は死んでいる。

ここに神見習いとして誕生する条件は物語の終わりに生きていること。

その条件をクリアするために―

「そうして凛先生が考えた方法は」

「人間の世界に神様の仕組みを組み込むことだった」

「物語の終盤、あっきーが死んで私と終は二人で神社に行く」

「そこであっきーの残した絵馬を見つける」

「そこで終は自分の無力さに苛まれる」

「そのあとね、終は『神もどき』になるの」

「『神もどき』は『神見習い』と『神様』のいいとこ取りみたいな感じでね」

「『図書室』のような場所で人間の世界を書いているの」

「『神様』の終が書いた物語の内容は」

「『神もどき』の終が『人間』の終を書いている」

「という物語なの」

「人間の世界を書く神もどきのお話なんだよ」

「・・・」

「そっか」

「私が死んだらもう一度物語がはじめから始まるんだ」

「元人間、現神もどきの終によって」

「そういうこと」

「神もどきが書き始める」

「あっきーが死ぬ」

「人間の終が神もどきなる」

「神もどき書き始める」

「あっきーが死ぬ」

「人間の終が神もどきになる」

「この方法で同じ物語を書き続けるの」

「『人間の世界』に神見習い登場させるという禁止事項を破った罰として与えられた書かなくてはならない原稿用紙の枚数分」

「だから、私の頭の中にはこんなにも大量の、しかも同じ記憶があるんだね」

「そうだね」

「そして書かなくてはならない枚数を超えた時、私が書いたところまでで物語を止めればいい」

「あっきーが死ぬ前までで物語を終わらせればいい」

「神見習いとして『神様の世界』に誕生する条件は物語の最後に生きていること」

「それを満たすためにね」

「そうしてこの『神様の世界』に誕生したのが今のあっきーだよ」

「本当はこの記憶も全てあっきーに教えるはずだったんだけれど」

「あっきーの『特徴』のおかげでその手間が無くなったって感じだね」

「あっきーの『特徴』は『人間の世界・神様の世界での記憶を引き継げること』」

「凛先生がそれを見抜いていたよ」

「そこはやっぱりお母さんなのかもね」

「お母さん・・・」

「ここで私が記憶を言葉で伝えても」

「あっきーが信じなかったら意味がないからね」

「私の特徴は凛先生みたいに物語を持ってくるとかじゃないから、直接記憶を渡せないし」

「いやー、本当に良かった!」

「何も良くなんてないよ」

私は俯く。

「どうして葵ちゃんは笑っていられるの?」

「どうして葵ちゃんは私を終君に会わせようとしたの?」

「葵ちゃんはいつになったら悲しみから解放されるの?」

「あっきー・・・」

私は俯く。

私が幸せになる価値なんてあるのだろうか?

「まだ、物語は終わっていないよ」

「え?」

「神様っていうのは人間のためにあるんだ」

「人間が幸せになるためにあるんだ」

「私は間違えた」

「自分の行き場のない怒りをぶつけるためだけに神様になった」

「私はその間違いを償っただけだよ」

「葵ちゃん・・・」

「終の物語は序章にしか過ぎない」

「あっきー」

「あっきーは次の神様になるんだ」

「そして、人間を幸せに書いてよ」

「神様だけだよ」

「幸せの価値を作れるのって」

「生きる意味を作れるのって」

「愛を書けるのって」

葵ちゃんが空を見上げる。

「そろそろ時間だ」

空が紫色に染まっている。

「私、最後は少しくらい」

「終の役に立てたのかな?」

葵ちゃんの頬に涙が伝う。

「あっきー私ね」

「私、幸せだった」

「あっきーと終と過ごしたこの世界は」

「私が作り出した世界では」

「間違いなく私は幸せだった」

「きっと無意識のうちに私は幸せを求めてしまっていたのだと思う」

「芽衣との時間くらい同じ幸せが欲しくて」

「だから、ごめんね」

「終とあっきーのことを幸せにできなくて」

「自分勝手だけれど」

「私はあっきーの幸せを願っています」

「私が作ってしまったバッドエンドを」

「ハッピーエンドに変えてください」

「神様ー」

葵ちゃんのその言葉と共に。

また、一つ、世界が終わった。


終視点


「・・・」

俺は空を見上げる。

きっと何度も見上げてきた空なんだろう。

俺はその色を目に焼き付ける。

あの女の子と同じ音を持つ色を。

長い、長い冒険が終わった。

一万回繰り返したバッドエンドが終わった。

さあ、行こう。

二人の物語が終わる。

一万回その先へと―

目の前に扉が現れる。

その扉がゆっくりと開いていく。

そして―

「・・・」

何度も。

何度も。

俺が何度も恋をした少女があの日のように屋上に立っていた。

空はまた蒼く染まっていた。

あの日のように―

透き通った目。

風に靡く少し明るめの髪の毛。

胸元の赤いリボンは滑らかに―

膝より少し上のスカートは重く揺らぐ。

一人の女子生徒が折り跡の残った原稿用紙を右手で持って―

左手で風に泳ぐ髪を押さえて、そこに立っていた。

「・・・」

名前を呼ぼうと思ったが、口を開けなかった。

たった一日ぶりの再会。

それなのにとても長い。

一万回の向こう側。

その再会には沢山の悲しみが積み重なっていた。

沢山のバッドエンドが積み重なっていた。

「・・・」

秋は『図書室』に入ってくることは無かった。

『神様の世界』の屋上でただ立ち尽くしていた。

秋も声を発さなかった。

だから、ひたすらに沈黙が。

漂っていた。

俺たちは何と言葉を交わせば良いのだろうか?

何を秋に言うべきなのだろうか。

想いは体が張り裂けそうなほど募っているのに。

俺はその伝え方を知らなかった。

そのやり方を探していた。

そしてふと視線を落したその時だった。


それは、これ以上ないくらいに間違っていて、これ以上ないくらいの正解だった。


「愛しています」

「え?」

俺は顔を上げる。

「私」

「私ね」

「終君のこと、愛してるよ」

「っー」

俺の知っているー

俺が見てきたー

葵が書いたー

俺が書いたー

あの笑顔だった。

満開で、空の蒼よりも。

色鮮やかな笑顔だった。

「秋、俺・・・」

「謝らないでよ」

「これは昨日の続きの物語なんでしょ?」

「そのために終君は一万回同じお話を書いてきたんでしょ?」

「私達はこれからハッピーエンドを迎えるんでしょ?」

「だったら謝ったりしたらダメだよ」

「でも、俺・・・」

「葵ちゃん」

「芽衣ちゃん」

「終君」

「沢山のバッドエンドの上に今の私と終君がいる」

「それに謝るのは『正しさ』なんじゃないかな」

「間違っていない方法、なんじゃないかな」

「でも、私達は前を向くの」

「この物語の先を見るの」

「私たちの結末を」

「ここに紡ぐの」

「そしてね」

「私は永遠を書くよ」

「永遠?」

「そう」

「私、みんなが幸せになる物語を書き続けます」

「誰もが不幸にならない物語を書き続けます」

「そんなことは不可能で」

「不幸が幸せを作り出していることも分かっています」

「それでも私はあなたの幸せを書き続けます」

「葵ちゃんの幸せを書き続けます」

「私の幸せを書き続けます」

「みんなの幸せを書き続けます」

そういうと、秋はポケットから紙飛行機を取り出した。

「っ―」

その小さな紙飛行機は。

その小さな翼で。

空気を掴んで泳いだ。

そしてー

「っー」

俺の胸に触れた。

瞬間、記憶が流れ込んでくる。

俺が書いた長い、長い一日の恋の物語はー

バッドエンドを迎えた。

そして次の世界が始まる。

それは永遠の物語。

決して終わらない俺たちの恋から始まる世界。

恋が愛になって。

愛が幸せになって。

そしてどこまでも続いていく物語。

どこまでも、どこまでも。

飛んでいく紙飛行機。

そんな物語を秋は書き続ける―

「これが一万一回目の紙飛行機です」


秋はこの先も物語を紡ぎ続ける。

終。

秋。

葵。

彼らが死んだ後もずっとー

愛を書き続ける。

愛が人間を、世界をつないでいるから。

神様がくれた愛を。

人々は優しく、優しく抱きしめて生きていく。

そしてその愛は幸せにも伝わっていく。

そんな人生を歩んでいこう。

そんな世界を描いていこう。

たった一人の少女が作り出したー

この世界で―

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バッドエンドは君と一緒に 371 @371yoriaiwokomete

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