廃墟の秘密1
「あんたねぇ」
廃墟の魔女、もとい管理人さんの奥さんは、大きくため息を吐いた。公園に戻った私は、ベンチに座りながら小さくなっていた。
「確かに、此処は誰でも入れる場所だけどね、南は危ないってお祖父さんに教わらなかったのかい?」
思い返せば、やんわりと他の建物に行く事を止められていた。だからこそ私は今まで奥へと向かったことがなかった。
ふわりと光を纏った蝶が公園の中を舞っていた。一頭、二頭と何時の間にか数を増やしていく。
「……ええ、祖父は……危ないからって」
「だろ?」
小さな奥さんは、今日は箒の代わりに懐中電灯を持っていた。相変わらず高そうなコートを着ていて、汚れないのだろうかと心配になる。
「管理人さんはどうしてここに?」
「うちの旦那からあんたがロープを潜ったって報告があったからね。まさかと思ったけど本当にいるとは思わなかった」
管理人さんは、私の横に座って、無事で良かったと言った。膝の上で組んだ彼女の手は小さくて、そしてしわしわだった。
「ひょっとして、あの子を探そうと思ったのかい?」
「あの子?」
聞き返すと、ばつの悪そうな顔をした。
「随分仲が良さそうだった。でも、私はあの子に嫌われていたから、あんたに話を聞くことも出来なかった」
私と仲の良い人なんて、一人しか思い浮かべられなかった。でも、管理人さんは夏樹さんの事を嫌っているのではなかったのか。
「此処にあんまり潜っていると、あの子みたいになっちまうよ。ま、私が見回りをしてもあまり異常はないから、一日二日くらいなら大丈夫だとは思うけど、用心に越したことはない」
「夏樹さんのこと、何か知ってるんですか!」
思わず身を乗り出すと、管理人さんは頷いた。
蝶達は蔦の中に消えていった。
「あの子は、土地開発を行おうとしていた首都の会社の社員さんだよ」
遠くできぃきぃと音がした。
やがて音は大きくなり、旦那さんが猫車を押しながら現れた。〝卯〟のエントランスではない方向からやってきたから、ひょっとしたら他にも出入りできる場所があるのかもしれない。
あの蝶達は、そこから出ていったのだろうか。旦那さんは私達の傍に着くと、地面に直に胡坐をかいた。何も言わないし、表情が変わることも無い。ただ、背中が硝子の天井を通した光を受けて、鱗粉を撒いたように光っていた。
奥さんは旦那さんにちらりと目配せをすると、続きを話してくれた。
「前から、会社の人とちょくちょく私達のところにやってきていたんだよ。この八番
街の建物を綺麗に直して、きちんと人が住める場所にしたいんだって、熱心でねぇ」
夏樹さんの部屋にあった製図用の机と、建物の模型に思い当たる。彼女は、家でも仕事をしていたけれど、それは再生計画に関わるものだったということか。
「私達は断ったさ。この場所は一企業なんかがどうにか出来るものじゃない。そしたら、スーツを脱いで一人でやって来るようになって、せめて調査をさせてくれって。あんまりしつこいし、諦めがついたら帰るからって言われて仕方なしにOKしたんだ」
「調査、ですか」
「そう、この場所は呪われた場所だからね。自分たちの計画が本当に実行不可能なものなのか、呪いを覆せないのかを知りたかったんだろう。でも、長年見てきた私達からすれば、随分無謀なことだった」
中央に向かって歪になる建物群の正体。
小高い山になっているのはビルが一瞬で瓦礫になったものだということ。奥に行けば行くほど物は崩れやすくなるのだということ。歩いている地面でさえも、見上げた空でさえも同様で、無事に中心地まで辿り着く保証はないのだということ。
まるで商店街で起きた事のように淡々と話してくれる管理人さん。
年齢不詳な人だけれど、戦中のことをまるで見てきたみたいに語る。いやひょっとしたら実際に見たのかもしれない。自分の生まれる前の事だからあまり深く考えたことは無かった。
「でも、兵器? が落とされたのは結構前じゃないですか。なんで住宅地やショッピングモールを崩れたままにしてたんだろう。その、国とか、何も言わなかったのかなって思うんですけど」
「言わなかったわけじゃないさ。だから、私達が……っと、喋りすぎたね。1号のお嬢ちゃん、そろそろ帰るよ。荷物はこれに乗せれば、うちのが持ってくからね」
「待って!」
ベンチから立ち上がりかけた管理人さんを思わず呼び止める。
「私、探してるものがあるんです」
「……」
管理人さん達は無言で私に続きを促した。
「この辺りのどこかに、工房みたいなものはありませんか?」
二人は顔を見合わせた。魔女のような奥さんは、それから大きく頷いた。
「……」
「あるわね」
視線の先には〝辰〟がある。
「ここ、ですか?」
「違うわよ。この建物の先。鳥居が沢山あったろう? あの地帯を通り抜けた更に先巳棟の傍にある建物の事だと思う」
思案顔の奥さんが言うと旦那さんはゆっくりと私の方へと首を回した。旦那さんの瞳は虚ろであり、果たして私を見ているのかどうかは分からない。
鳥居の地帯は既に通ったことがある。抜けてしまえばゴールなのであれば、行かない手は無い。
「それじゃ、其処に行ってからきっと帰りますから!」
「何故そこに行きたいの?」
優しい顔で言う管理人さん。
「その工房にあるものを見れば、あの人を止められる気がするから」
「──」
無言で私を見つめる瞳が、ヘーゼル色をしていることに、今更気が付いた。
〝巳〟の麓に行く事はできなかった。
管理人さん曰く、立ち入り禁止区域に長く滞在すると悪影響が出てくるらしい。
〝丑〟に戻り、管理人室に呼ばれた私は、お茶を頂きながら話の続きを聞いた。管理人室には、監視カメラと合鍵の束、住民台帳などがきちんと置かれていた。
炬燵に入りながら、みかんの皮を剥く。壁の本棚には、住民台帳とは別の色をしたファイルがナンバーを振られて収められていた。
「私達はここの管理人だからね。首都の会社に言われなくても、公務員だもの、調査を長年続けている」
ファイルを一冊取ると、中を見せてくれる。開いたページには鳥居の写真があった。そして次のページには畳んだ地図が挟まっていた。管理人さんは炬燵にそれを広げる。私はみかんを慌てて食べた。
「あれ? これって」
「気付いたかい?」
地図には確かに見覚えがあった。夏樹さんは八番街の地図を持っていた。勿論自分が調査した範囲について書き足されていたけれど、そっくりだった。
「あの子の持っていた地図の原本だよ。調査するならってコピーを渡したんだ」
「……」
「結局、あまり捗らなかったみたいだね。忠告はしたんだけど、あの子が、何かを無くしてそうして此処の住人になるまで、時間は掛からなかった」
私は受け取った別のファイルを捲った。〝子〟〝丑〟について書かれている資料だ。大きさと、稼働可能な部屋。そして、南からの影響を示すグラフが添えられていた。崩壊の文字を見つけて、〝卯・辰〟の景色を思い出す。なんらかの物質が建物や設備を崩壊してしまうということだろうか。でも、ここ10年以上〝子〟〝丑〟には影響は無く、住むのに問題がないという結果が記されている。
「それ」の実施実績についても載っていた。実施後の部屋の清掃業者の変遷も記録されている。幾つかの業者を経て、今のところに決まったことが事務的に書かれていた。表紙裏の、資料の製作者名を見てから、私はファイルを閉じた。
小さな魔女は、湯飲みを抱えながらまだ炬燵に広げた地図を見つめていた。地図には、〝巳〟の周辺まできっちりと書き込みがされていた。〝巳〟の麓にある幾つかの建物。その中に興味深いものを見つけた。
「教会」
「そこに、多分1号さんの言う工房がある」
「何を作っていたか、知っていますか?」
「知らないよ」
奥さんはかぶりを振った。
「壊れてしまったのかもしれないね」
「壊れて……?」
「南に向かうごとに、物質が脆くなってしまうんだよ。大きさによるから、私達にすぐに害はないようだけど」
賽子や、メニューが壊れてしまったのを思い出してゾッとする。長く滞在すれば私も崩れてしまう所だったのだろうか。
「行かなくて良かったよ」
でも、そう言って笑う口元に、ほんの僅かに嘘の気配を見つけてしまった。
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