第3話 住民と呪い



 週末に散策する以外変わらない毎日。朝起きたらキンと冷たい空気の中で支度して、寂れきった商店街を通り抜けて駅へ。人口は大分少なくなったと聞くけれど、次から次へとやってくる電車の中には、どこから搔き集めたのかそこそこ人が乗っている。

 私は無言で車両に乗り込み、民族大移動の一部となる。見慣れた景色が窓の外を流れていった。元ビルだったり、アパートだったりしたそれらは、外国までの間に点在していた。大体が蔦や木に覆われていて、小さな丘のようになっていた。

 

 解体された高校の代わりに週に3回、大学の講堂で開かれる学校に通う。講義が終わったら商店街に戻り本屋のバイト。学費と生活費はある理由で保障されていたけれど、何かの時の為にたとえ微々たるものであっても貯金をしておきたかった。

 今日も何時もの本屋さんでアルバイト。学校が終わり、お店で店番をしながら、ぽつりぽつりとやってくるお客さんの相手をした。

 発送業務もあったから、退屈でない程度に忙しい。はたきを持って、全集や百科事典の棚の埃を落としたり、乱れた平台の商品を揃えたりして時間を潰した。


 平台の本は、その時の気分で店長が気紛れに棚からローテーションさせていた。テーマがあるようで、例えばSFだったり歴史ものだったり、恋愛ものだったりした。今日は、平台の上には料理本が並んでいた。


 やがて人通りが増した気がして顔を上げると、夕陽が商店街に降り注いでいた。通り過ぎる人の中に夏樹さんの姿を見つけた気がして入り口に立つと、向かいの八百屋さんの奥さんが人好きのする笑顔をこちらに向け手を振ってくれた。エプロンが小さく見えるくらい体格が良くて、力強い腕で野菜の箱をトラックから降ろす人だ。


「とわちゃーん、あとで寄ってきなー。焼き芋があるよぅ」

「わあ、ありがとうございまーす!」


 彼女は偶にこうやって食べ物をくれる。売り物なので申し訳ないし餌付けされているような気もするけれど、彼女の売る焼き芋や焼き栗の類は断り切れない美味しさだった。仕入れ先は、どこぞの丘の一角だと噂で聞いたことがあるけれど、誰もその場所は知らなかった。

 時々旦那さんだけでお店を回していることがあるから、ひょっとしたら、奥さんはその時に秘蔵の野菜を育てているのかもしれない。


 通りを挟んでやり取りをしていたら、真っ白な顎髭の本屋の店長に苦笑交じりに注意されてしまった。



 夕暮れの景色に夕飯の匂いが漂う。壊れたスピーカーから流れる割れた夕焼け小焼けが遠くで鳴っていて、ああ、いつもの平日だと人ごとみたいに思う。一見まるで判で押したように変わらない夕方なのに、春には雑貨屋さんと、魚屋さん、そしてつい最近また1軒、行ったことのある食堂が消えた。


「そうそう、阿佐美さん、このチラシ知っていますか?」


 レジに戻ると、店長がカウンターの上にある紙を手に髭を撫でていた。喫茶店のカウンター内で珈琲を淹れたら様になりそうな彼は、ポットの代わりに手に持ったチラシを私に示した。そこには「土地開発のお知らせ」と書いてある。住人の少なくなった町を、一度更地に戻し作り直すのだという。色んな所で見るから正直見飽きていた。


「こんなこと思いつく会社、まだあったんですね」

「ああ、昔は大手の広告会社だったみたいですけど。今は社会の再生を目指すなんでも屋だとか。そういう風に意欲的に頑張る企業を応援したい気持はありますが、──なんで、この場所で再開発なんて……」


 髭店長は、面白くなさそうに言った。参りましたねぇと呟いている。予定地には、商店街も、勿論八番街も含まれていた。店長は言外で八番街だけでも良いでしょうに、と言っているのだと気付いていた。まあ、八番街みたいな巨大な建物群はそう簡単には崩せないだろうけど。この会社はこちら側に茶々を入れようとしてくるほんの一握りの企業の一つ。広告に〝今までの暮らしを取り戻そう〟という謳い文句が書かれていたけれど、立ち退きを要請されてしまえば、私達は〝今の暮らし〟を無くしてしまう。それについては、お決まりの見ないふりなのか。


「さぁて、どうしましょうかねぇ、これから」

 本気でどうしましょうかとは思っていなさそうな髭店長は、チラシをシュレッダー行きの段ボールの中にひらりと落とした。

「着工は未定って書いてあるから、予定は未定です」

 

 私が肩を竦めて言うと、違いないですねぇと言って彼はにこにこ笑った。段ボールに落ちたチラシに一抹の不安を覚えないでは無かった。けれど、すぐにレジの脇に置いた店長のおススメコーナーに気になるタイトルを見つけて、不穏な紙の存在は意識の外に消えてしまった。

 

 仕事が終わるのはスーパーが閉まるぎりぎりの時間。バッグに焼き芋を忍ばせて、滑り込みで入店。お気に入りのお惣菜売り場に飛び込んだ。ここでも知っている人の姿を探してしまったけれど、ヘーゼルの瞳をした彼女はやっぱりいなかった。白っぽい蛍光灯の下にあるパックを迷わず一つ掴んでレジへと急ぐ。


 獲物をゲットした後は、足取りも軽く家路についた。商店街を抜けると途端に空き家が目立つようになる。でも、各家の崩れた土塀の上から沢山の椿が街燈に照らされていたので寂しい感じはない。私は足取りも軽く、小山のような建物へと向かった。今日は豪華なお土産が沢山だ。八百屋さんのおかみさんにもらった焼き芋だけでなく、例のレジの傍にあった本をしっかり押さえたし、更に唐揚げまで買えた。見た目よりもずっと、あそこのお惣菜は美味しいのだ。暗い照明の売り場で損をしていると思う。

 

 八番街の入り口にある椿の生垣を過ぎ、自宅のある〝丑〟の入り口で管理人さんに会った。管理人さんは、小さくて上品な奥さんと、大きな体に短い髪がトサカみたいに立っている無表情なおじさんの二人でセット。会ったのは奥さんの方で、ふかふかの毛皮の襟のついたコートに身を包み、大きな箒を手にしていた。この奥さんは、旦那さんと違って笑っているところしたか見たことがない。それにしても何故箒を持っているのだろう? 夜だから流石に掃除をしているわけではないだろうに。毛皮のコートが汚れてしまうんじゃないかとつい心配になってしまう。


 奥さんは私の姿を認めると箒を振ってくれた。大きな箒がまるで宙を履いているように見えた。大きな声で挨拶する。


「こんばんはー!」

「あらあら、 元気が良いね。こんばんは」

 

 小さな奥さんはあいさつの後目を瞬かせた。


「何か困りごとかい?」

 

 私はそんな困った顔をしていたのだろうか。どちらかというと機嫌良く帰ってきたつもりなのだけれど。それとも住人に話しかける時の彼女の定型文なのか。


「困りごとは特にないんですけど……」

「あら、私ったら勘違いしちゃったかしらね」

「あ、いえ。そういえば、たまたま今日再開発のチラシを見たんですよ。そのせいかもしれません。八番街ってどうなるのかなって」

 

 何かあったとすれば、この話題くらいしかない。私自身はケ・セラ・セラなんて内心思っているのだけれど、そういえば管理人さんはどう思っているのだろう。もし本当に再開発計画が着々と進んでいるのなら、彼女達の職場がなくなってしまうのではないだろうか。由々しき問題のはずだ。私だってここが更地になってしまったら、祖父の残した大量の本と共に路頭に迷うことになるのだ。


「どうにもならないから安心していていいよ。1号のお嬢ちゃん」

 

301号室に住んでいる私を、管理人さん達はこう呼ぶ。恐らく他の住人に関しても部屋番号で呼ぶのだろう。来るもの拒まず去る者追わずという感じで、名を覚える気はないのかもしれない。まるで実験動物や、家畜に名前を付けたがらない人のようだ。


「それって、どういう」

「多分、着工されないから」

「え?」

「前にもね、何回も業者さんが入ろうとしたけれど、呪いにあったみたいに工事が進まなくなるの。だから今回も同じでしょうよ」

 

 そんな事ってあるのだろうか?

 確かに夏樹さんの家のある〝寅〟なんかも法に引っかかりそうな外見をしていた。階が張り出していたり、狭いベランダに下の階まで続く滑り台らしきものがついていたりと、妙な外観だ。それなのにこれまで放置されている。


〝寅〟だけではない。この間行った〝卯・辰〟。それにもっと奥にある建物群はきっと存在してはいけないものだ。地域住民や、役所なんかがどうにかしようとした過去があってもおかしくはない。

 嘘か誠か、〝卯・辰〟間を結ぶものよりももっと長い渡り廊下や、遊園地のようなアトラクション。それに地下に迷宮のような巨大な空間まであるのだとか、その他諸々とても現実とは思えない話も聞いたことがある。情報源は──主に夏樹さんなのだけれど。


「だから、安心していていいのよ」

 

 上品に笑った奥さんは、失礼するわね、と言うと一階にある管理人室兼、自分の家へと帰っていった。旦那さんは、私と奥さんが話している間中何を見るでもなく話すでもなくロボットのように佇んでいただけだった。

 地面には微かに箒を引き摺った跡が付いていた。


 302号室に作られたベッドルームにはまだ本の侵入を許していない壁がある。とはいっても既に本棚は設置されていて、いくらでも置けるようになっている。私は、敢えてその場所に実家の倉庫から出してきたランタンなどのキャンプ道具を飾ったり、万年筆などの筆記用具を置いたりして、自分なりの部屋に作り変えていた。図書館みたいな家でベッドルームの一角だけが浮いた感じだったけれど、それもまた気に入っているところだ。


 横になって呪いについて考えてみる。何回も業者さんがやってきて、建物を解体しようとしては止めてしまう。

 呪いとは事故だろうか? それとも嫌がらせ? あの小さな奥さんは一体何を見てきたのだろう。

 考えてみると、彼女は魔女みたいな人だった。八番街という奇妙な場所を、巨大な雄鶏みたいな旦那さんとたった二人で管理しているのだ。ああ、きっとつばの広い大きな帽子がよく似合う。どの部屋にでも入れる大きな大きな鍵束を持って、八番街のどこかに隠した、鳥の脚のついた家で移動するのかもしれない。週末の廃墟散策でバーバヤガーよろしく小屋に乗った管理人さんに追い掛けられたら物凄く怖いだろう。そんな失礼な想像までしてしまった。


 一体あの夫婦はどういう経緯があってこの仕事に就いたのだろう。以前あったという雇用の再分配と呼ばれる制度の末にここに流れてきたのか。それともよくあるぺらぺらの就職情報誌なんかに載っていたのか。

 なんにしても、魔女みたいな彼女が大丈夫と言う間は、路頭に迷うことは無さそうな気がした。

 



 寝返りを打ち、棚に設置したカレンダーを見る。あともう半月で3月になることに気が付いた。春まであともう少し。年々季節が通り過ぎていくスピードが速くなる。こういうのをなんて言うんだったっけ? ああ、そうだ。ジャネーの法則。〝生涯のある時期における時間の心理的な長さは、年齢に反比例する〟。


「十羽は、もう少し子供になっても良いと思うけどねぇ」

 不意に夏樹さんの声が蘇った。








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