彼女の呪いが解けるとき 4




 柱から飛び降りたクックは、爆発から辛くも逃れ、洞窟の中心にある水場に飛び込んだ。

 だいぶ高いところから落ちたため、一気に深いところまで沈んでいく。その頭上に、爆発で折れた水晶の柱が何本か落下してきた。飛び込むのがあと少し遅れていたら、命はなかっただろう。


 明かりが届かない水場の中は暗闇に覆われ、ほぼ何も見えない。しかしその中で、クックは足元から強い殺気が昇ってくるのを感じた。

 とっさに、左手で巻貝を抱えこみ、右手で腰のファルシオンを抜き放つ。はっと気づいた時には、目の前に大蛇の開け放った口が迫っていた。

 鋭い牙の間をくぐり、口の中にファルシオンを縦方向に捻り込む。ファルシオンがつっかえ棒の役割を果たし、大蛇の口は閉じられることはなかった。

 飲み込まれるのを危うく逃れたクックだったが、大蛇は口の中にクックを乗せたまま、勢いよく水面から顔を出して咆哮を上げた。


 大蛇は口の中のクックとファルシオンを振り落とそうとするように、激しく頭を振り回しては洞窟の壁に頭を叩きつけ始めた。クックは巻貝がどこかに飛んで行かないように必死で抱えこみ、大蛇の口から放り出されそうになりながら耐え忍ぶことしかできない。


「船長!」

「クックがあぶねえ!」


 クックの危機に気づいたウルド、メイソン、グリッジーが、頭上から水晶の瓦礫が落ちてくる中、暴れる大蛇の体にとりすがった。鉄のような硬い鱗の隙間を目掛け、カトラスや斧を打ち込んでいく。

 ある程度効果があったのか、大蛇が苦痛の雄叫びをあげながら身をかがめた。

 その時、大蛇の顔が地面付近を通り、クックの目に、こちらに両手を伸ばすアドリアンの姿が垣間見えた。


「クック! それをこっちに投げろ! ミス・ルーベルを早く助けないと!」


 アドリアンが叫ぶ。

 クックはハッと顔をあげ、大事に抱えていた巻貝をアドリアンめがけて放り投げた。

 巻貝は弧を描き、アドリアンの腕の中にすっぽりとおさまった。


 大蛇の首の振りが激しくなり、クックはファルシオンごと大蛇の口から吹き飛ばされ、洞窟の岩壁に叩きつけられた。ウルドたちも、大蛇の体からふるい落とされ、水晶の柱や水場に叩き落とされる。


「アドリアン、こっちだ!」


 ルーベルを抱き抱え、洞窟の一角にある横穴に避難していたロンが、アドリアンに声をかける。そちらを目掛けて駆け出したアドリアンだったが、大蛇が牙を剥き出してその背に襲いかかった。

 大蛇の牙に捉えられる寸前、アドリアンはロン目掛けて巻貝を投げつけた。

 ロンが巻貝をキャッチするのと、アドリアンが大蛇の牙にかかり倒れるのはほぼ同時だった。


「アドリアン!!」


 ロンが叫ぶが、背中から血を流して倒れているアドリアンの体はピクリとも動かない。


「くそっ・・・・・・!」


 ロンは巻貝の口に手を入れ、中にある漆黒の真珠を取ろうとした。


(マハリシュの話では、この真珠を彼女の口に含ませれば、呪いは解けるはず!)


 あともう少しで真珠に手が届くところで、ロンは不意に襲った悪寒に背筋を凍らせた。

 弾かれたように後ろを振り返る。

 そこにはいつの間にか、横たわるルーベルの傍で、楽しそうに微笑むセイレーンの姿があった。


『残念。あともう少しだったのにねぇ』


 セイレーンの指がロンに向けられ、弧を描くようにはらわれる。

 その途端、ロンの体は巻貝を抱えたまま、宙を舞って洞窟の反対側に投げ飛ばされていた。

 岩壁に体を打ちつけられる瞬間、ロンは巻貝を身を挺して守った。そのせいで背中を激しく打ちつけ、呼吸が止まる。力なく地面に倒れたロンの手から、巻貝が離れて転がっていった。


(・・・・・・あぁ、もう夕陽が)


 ロンの霞む視界に、ゲイルたちの砲撃で開けられた穴から差し込む夕陽が垣間見えた。

 タイムリミットの日没まで、もうあとわずかだ。あともう少しでルーベルの命が消えてしまう。

 ゲイルの自爆により、洞窟は上方から崩壊を始めており、ここにいる自分達の命も危ういだろう。だが、今無事なのは、水晶の柱の影で身を寄せ合っているジャニとパウロだけだ。彼らを危険に晒す訳にはいかない。


(私が、やらねば・・・・・・!)


 肋骨が折れたのか、呼吸をするだけで軋む体を引きずり、巻貝に手を伸ばす。と、彼より先に、巻貝を拾い上げる誰かの手があった。

 見上げるロンの目に、たなびく赤いバンダナが飛び込んでくる。


「クック・・・・・・」


 弱々しくささやくロンを前に、巻貝を抱えたクックは立ち上がった。

 彼の体は至る所傷を負って血が流れている。しかし、その背から立ち上る気迫は、陽炎のように彼の体を揺らめかせていた。


「後は任せろ!」


 一声吠えて、クックは走り出した。その背中を大蛇が追う。

 大蛇の口が襲いかかった瞬間、クックは横に転がって避け、俊敏に起き上がった。そして走りながら巻貝の中から真珠を一粒取り出す。

 再び襲いくる大蛇の攻撃をかわしながら、クックはパウロとジャニが隠れている柱の影の近くまで走り寄った。


「ジャニ! 早くこれを使え!」


 クックの叫びに、ジャニがハッと顔を上げる。

 クックは片方の真珠を素早くジャニに投げると、真珠がもう一粒入ったままの巻貝を抱えてルーベルに向かって走っていった。

 ジャニは、飛んできた漆黒の真珠を必死で掴み取った。両手の中で青白い強烈な光を放つ真珠を、呆然と見下ろす。


(これで、私の呪いは解ける)


 そう思いながら、何かが心の隅に引っかかっていた。横にいたパウロが、必死の形相でジャニの肩をつかむ。


「早くそれを飲みこめ! お前の呪いがやっと解けるんだぞ!?」


 その時、二人の目の前にある水場から水柱が上がり、絶叫を響かせて中からセイレーンが姿を現した。


『お前に“涙”は渡さない!』


 目をむき、頬を引きつらせ、セイレーンが青白い手をジャニに伸ばす。

 パウロはセイレーンの手からジャニを守ろうと、咄嗟に一歩踏み出していた。


『邪魔するな!!』


 セイレーンが怒りの咆哮を上げ、自分の前に飛び出してきたパウロに向かって右手を振り上げる。その手から青白い閃光が閃き、パウロの顔に直撃した。


「パウロ!!」


 ジャニが悲鳴をあげ、後ろに倒れ込んだパウロを抱き止める。パウロは血にまみれた顔を歪ませてジャニを見上げ、うっすらと笑って見せた。


「これで、借りは返したからな・・・・・・早く、呪いを・・・・・・」


 そこまで言って、パウロの首はがくりと力なく垂れ下がった。ジャニは目を見開き、震える手でパウロを掻き抱いていた。


(私の呪いを解いたとしても)


 セイレーンの手が近づいてくるのを、ジャニは焦点の定まらない目で見つめていた。


(セイレーンがいる限り、みんなが無事で帰ることはできない。それじゃだめだ)


 真珠を握る右手をぎゅっと握りしめる。


(どうすれば・・・・・・)


 ふいに、ジャニの脳裏にいつかのマハリシュの言葉が蘇った。


【ディオンヌは哀しいかな、自分にも呪いをかけてしまったことに気付かないのじゃ。そう、。この悲しい物語を終えてくれ。鍵は、君が握っておる】

(私の・・・・・・ように?)


 ジャニの瞳に、光が灯った。その顔目掛けて、セイレーンの狂気に醜く歪んだ顔が目前まで迫る。


『死ね!!』


 セイレーンの手が振り下ろされる寸前に、ジャニは一歩踏み出し、右手を持ち上げ——セイレーンの大きく開け放たれた口に

 ジャニの予想外の行動に、セイレーンは思わず息を呑んでいた。

 放り込まれた真珠は、セイレーンの喉を通過し、あっという間に体内に取り込まれる。


『あ、あぁ・・・・・・』


 セイレーンの顔に初めて怯えの色が浮かんだ。喉に手をやり、信じられないという顔でジャニを凝視する。


『お、お前・・・・・・何を・・・・・・!?』


 変化は突然だった。

 セイレーンの体が青白く輝き始めたかと思うと、その身体中から、目も眩むような閃光が四方に放散され始めたのだ。光はどんどんと強さを増し、セイレーンの絶叫があたりに響き渡った。セイレーンの体は、今や直視できないほどの光の塊になっている。

 青白かった光は強さを増すごとに色を無くしていき、洞窟内は真っ白な輝きに包まれていった。


 その光を背中に浴びながら、クックはルーベルのいる横穴に一目散に走っていた。自分の背中に追いつき、その体に牙を突き立てようとしていた大蛇が、白い光を浴びた途端に苦悶の声をあげ、蒸発した水のように煙となって消えていったことさえ、気づいていなかった。


「ルーベル!」


 ぐったりと横たわるルーベルに駆け寄る。

 頭の下に手を入れて抱き上げると、ルーベルの青白い顔は力なく傾いた。その口から、もう息吹は感じられない。

 クックの顔から血の気がひいた。真珠を取り出す時間ももどかしく、巻貝を叩き割って真珠を手に取ると、クックはルーベルの口に真珠を含ませようと奮闘した。しかし、ルーベルの口はなかなか開かず、薔薇ばらの花びらのような唇から真珠はこぼれ落ちてしまう。


「だめだ・・・・・・! 行かないでくれ!!」


 振り絞るような声で祈る。クックは震える手で真珠を自分の口に入れると、ルーベルの唇に願いを込めて唇を重ねた。


 重なる二人の姿が、セイレーンから広がっていく光の中に取り込まれる。







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