彼女の呪いが解けるとき 3




 クックは、ゆっくりとゲイルに歩み寄っていった。

 クックが自分の間合いに踏み込んでも、ゲイルはじっと首飾りを見つめたまま動かない。まるで彫像のようになってしまったゲイルを前に、クックは短剣をホルスターから引き抜いた。

 そのまま、短剣の切っ先をゲイルの首元に突きつける。


(ここでこいつの首を掻き切れば、島のみんなと両親の仇が取れる)


 そう思いながら、クックの手はそこで止まってしまった。

 ゲイルの生気のない右目が、ぼう、とクックを見返している。信じるものを失った人間はこんなにももろいものかと、背筋が薄寒くなる。彼の目にはただ底のない絶望が広がっていた。


 クックは、昔ルーベルに言われたことを思い出していた。

 家族や一族をゲイルに殺されたもの同士、復讐を果たそうと呼びかけるクックに、ルーベルは首を横に振った。


「私はゲイルを殺したいわけじゃない。一族に伝わる大切な宝石を取り返したいだけなの」


 ルーベルはあの大きな美しい瞳で、クックを射抜いた。


「あなたは、ゲイルへの憎しみに駆られて未来が見えなくなっている。もっと、目の前のものに目を向けて」


 そう言って伸ばした彼女の手を、あの時の自分は乱暴に払い退けてしまった。だが、今なら彼女が言いたかったことがわかる。


(確かに、こいつを殺しても、両親が生き返るわけじゃない)


 血を流して倒れる母親の姿が蘇った。

 ゲイルに切り捨てられる長老の姿も。焼かれる村。もう戻らない平穏な日々。

 それらを思うだけで、クックの右手は無意識にゲイルの首を切り裂こうとひくついた。しかし、何よりも自分をここまで生かし、心を守ってくれていたのは、母親が最後に言った言葉だった。


「誰かを助けるのに、理由なんて考えないで」


 その言葉に背中を押され、クックは救えなかった命の代わりに、多くの命を救ってきた。贖罪しょくざいの想いもあったのかもしれない。

 そうして出会った人々は、クックを支え、ここまで彼を形作ってくれていた。その積み重ねは、クックにとって、暗い海原に一筋の光を投げかける灯台のように、彼の行き先を示す指標となっている。

 その光は今、目の前の憎むべき男に注がれていた。しかしその光が浮かび上がらせたのは、自分の生きる意味を見失い、絶望し切った、一人の哀れな男だった。


 不意に、目の前のゲイルの姿に、一瞬だけ、オリーブ色の瞳の少年が重なった。


 傷つき、怯え、どうしていいかわからないといった表情の少年の首元に、クックは短剣を突きつけていた。


(俺が、殺したかったのは・・・・・・)


 クックは気づいた。自分が本当に許せないと思い、殺して消し去りたかったのは、過去の自分なのだと。無知ゆえに過ちを犯し、ゲイルに襲われたあの日、何もできず、大切な人たちが殺されていくのをただ見ていることしかできなかった、無力な自分。

 少年の姿はかき消えた。

 クックは深く息をつくと、ゲイルの首に手をやり、短剣を素早く振り下ろした。

 ブチっと何かがちぎれるような音がして、ゲイルは目が覚めたようにクックを見た。

 彼の首には、傷ひとつついてはいなかった。そしてクックの手に握られていたのは、先ほどまでゲイルの首にかかっていた、水色の宝石だった。


「これは返してもらうぜ」


 宝石を掲げ、クックはゲイルに背を向ける。

 そして一番上の水晶の柱を上り詰め、とうとうセイレーンの涙が封じられている透明な巻貝に手を伸ばしたのだった。


(昔の俺を許すことで、未来をこの手にできるなら)


 巻貝はひんやりと、クックの手の中に収まった。中から溢れる凍てついた青い光が、クックの瞳を輝かせる。


(俺は、未来を手に入れたい)


「よっしゃ! クックが“セイレーンの涙”を手に入れたぞ!!」


 メイソンが喜びの声を上げた。それにつられるように、仲間たちの喝采かっさいが響き渡る。

 思わずクックも顔を綻ばせ、こちらを見上げているジャニに巻貝を掲げてみせた。


「ジャニ! 涙は二つある! 俺もお前も、呪いを解けるんだぞ!」


 ジャニも、笑顔を浮かべてクックを見上げている。

 そんななか、不穏な笑い声が這い登るようにして聞こえ、クックは眉をひそめてそちらに目を向けた。

 声はどうやらゲイルのもののようだった。

 彼の背はわずかに前屈みになり、湧き上がる笑いを押し殺すようだったが、やがて勢いよく反り返って轟くほどの哄笑を上げ始めた。


「な、なんだ?」


 背筋が粟立つような感覚を覚え、クックも皆も彼を凝視した。

 ゲイルの黒く染まった右手には、いつの間にか手榴弾がひとつ握られていた。その導火線には火がつけられ、パチパチと爆ぜるような音が聞こえてくる。

 ゲイルの虚な眼差しがクックを捉えた。


「生まれる場所も、容姿も、運命でさえも私には選びようがなかった。神も私を見捨てた。こんな病による死を待つくらいなら」

「やめろ!!」


 クックの絶叫が響き渡る。ゲイルは色のない唇をそっと歪め、笑った。


「死ぬ時くらい、自分で選んでやる」


 巻貝を胸に抱え、クックが柱から飛び降りるのと同時に、ゲイルの持つ手榴弾が爆発し、あたりは眩い光と爆風で包まれた。






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